文豪トルストイ(1828-1910)は、カフカスを舞台とする小説を多く著した。トルストイは名門貴族で富裕地主であったが、安穏な生活に背を向けカザン大学を中退。その後、砲兵隊勤務の兄の誘いで、カフカス砲兵旅団に志願し、士官候補生としてチェチェン人討伐作戦に参加した(1851-1853)。
<左:トルストイの肖像(1873) クラムスコイ画(トレチャコフ美術館所蔵)> 帝政ロシアは、1817~1864年にかけて、抵抗する北カフカスの山岳諸民族との戦争を繰り返した。19世紀のロシア文学には「カフカス」のモチーフが多く登場し、批評家ベリンスキーは、「カフカスはわが国の詩才たちのゆりかご」と表現した。プーシキン、レールモントフらがそのような詩才の初期の代表である。 トルストイは、カフカスへの思いを持ち続け、死の直前、家出したときに持っていた切符の行き先はウラジカフカス(チェチェンの隣国、北オセチアの首都)だったそうだ。 <右:トルストイ27歳時の写真> トルストイのカフカスもので、初期と晩年の作品の紹介です。 『コサック』(1863) 執筆に10年かけた中篇。主人公オレーニンは、虚飾に満ちたモスクワの上流社会から逃れてカフカスに転地する。はじめてカフカスの山地を見て夢ではないかとばかり感動するシーンが印象的。カフカスの自然のなかに真実や美を見出し、「幸福とは、自然とともに居、自然を見、自然と語ることなのだ」と語る。 主人公は、グローズヌイ(チェチェンの首都)から遠くないコサック村に起居し、コサックらとともに、ロシアに帰順しないチェチェン人を討伐する生活を送る。そのなかで、溌剌としたコサック女性や気のいい男性たちとの出会いと別れが描かれる。 「他人のために生きる」幸福をカフカスで発見し、手にいれようと夢見る青年の瑞々しさとはかなさが心に残る。 カフカスの最高峰エルブリス山(5,760m) John Shively氏撮影 『ハジ・ムラート』(1904) 中断時期をはさみ完成まで8年かかった生前未発表の中篇。発表されなかったのは、1880年代よりトルストイは、文明の悪に対する「無抵抗主義」を標榜していたためとされる。 ハジ・ムラートは、北カフカス山岳民の英雄で、ロシアに対する解放闘争の指導者シャミーリの片腕だった人物。シャミールと不和になった後のハジ・ムラートの悲劇が小説の主題である。 ハジ・ムラート ある日、トルストイが散歩しながら野の花をつんで花束を作っていたとき、「ダッタン草」と呼ばれるアザミも加えようとしたが、頑丈できれいにちぎることができず、結局投げ捨ててしまった、というエピソードがそのまま小説の冒頭に記されている。山岳民を「屈服しようとしない草」に例えているけれども、彼らに対する視線は暖かである。ハジ・ムラートは、ロシア兵士らも惹かれる魅力的な人物という設定で、その勇敢さ、礼儀正しさが印象的である。その一方で、討伐作戦におけるロシア軍の残虐行為とチェチェン人の悲嘆が描かれる。 ストーリーは、事件に沿って淡々と展開しているが、トルストイは、帝政ロシアの覇権主義の犠牲となった北カフカス人の話を通じて、一種の体制批判を行っているととれる。 カフカスの各地域がロシアに併合された年(出典:『ロシアを知る事典』平凡社) 参考: 『カフカース-二つの文明が交差する世界』 彩流社2006年 2006年12月1日 北海道新聞 2002年11月12日 毎日新聞
by itsumohappy
| 2008-11-09 10:26
| 文学・本
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