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A・ジッド 『ソヴィエト紀行』・『ソヴィエト紀行修正』


  「人々が希望していたのはこれではない。もっと徹底した言い方をすると、
  人々が希望しなかったことこそ、まさにこれなのだ。」(『ソヴィエト紀行』より)


A・ジッド 『ソヴィエト紀行』・『ソヴィエト紀行修正』_d0007923_2156478.jpgアンドレ・ジッド(1869-1951)(右)は、1936年6月、病床のゴーリキーを見舞うためモスクワを訪れたが、モスクワ到着翌日にゴーリキーは死去し、面会はかなわなかった。ジッドは、赤の広場で行われたゴーリキーの葬儀で追悼演説を行い、その後、フランス人文学関係者たちと共にモスクワ、レニングラード、セバストポリを周って、文化施設、社会各層の事情を見聞した。8月にフランスに帰国後、まもなく発表されたのが『ソヴィエト紀行』である。同書は、数週間のうちに10万部以上を売り上げ、ジッド67歳にして初のベストセラー本となった。

反響が大きかったのは、それまで、ソヴィエト及び共産主義に対して大きな希望と期待を表明していたジッドが、一転してソ連の内実を批判する「裏切り」の本を書いたためである。ジッドは、ソ連はもとよりロマン・ロランをはじめとするフランス左翼陣営からの非難を浴びた。

ジッドがソ連を訪れたのは、キーロフ暗殺(1934)をきっかけに始まる大テロル前夜。ジノヴィエフ及びカーメネフのモスクワ裁判事件(1936年7月。反スターリン派であった二人はでっちあげの裁判の結果、銃殺された)が起きた頃だった。

ソ連に対する愛情を賞賛のみに限定せずに、十分調査行う、という立場で旅行を終えたジッドは、「経験したことのない苦悩」をもって『ソヴィエト紀行』を著した。そのなかで、一切の批判が許されないソ連の体制は、恐怖政治への道であり、「ヒトラーのドイツであってさえこれほど隷属的ではないだろう」と切り捨てた。

また、「批評が行われない社会では、文化は危険に瀕する」と指摘し、いかに天才的芸術家であろうと、「線内」から外れれば「形式主義」として糾弾される状況を危惧した。
加えて、スタハノフ運動(生産性向上運動)を引き合いに、大衆の無気力さ、呑気さを指摘。工夫も競争もない状態で物は不足し、「貧乏人を見ないために来たのに貧乏人が多すぎる」社会に幻滅した。

1937年、ジッドは『ソヴィエト紀行』への批判を受けて、『ソヴィエト紀行修正』を発表した。「修正」といっても訂正ではなく、前作で語りつくせなかったことを加えて、スターリン体制への批判をいっそう強めた内容である。

旅行中に受けた豪奢な接待が、ジッドに却って特権と差別を想起させた、という部分が印象に残った。かつて『コンゴ紀行』(1927)で、原住民を搾取するフランス植民地行政を告発したジッドであるから、厚遇を受けようが惑わされない。
ジッドは、『ソヴィエト紀行修正』で、ソ連では最も価値ある人々が密告により殺され、最も卑屈なものが迎えられており、プロレタリアは愚弄されている、フランス共産党は欺かれたと気づくべき、と言い切った。

両書とも『狭き門』等と違って書店では見かけない。私が読んだのは『ジイド全集 第10』(1958)で、根津憲三と堀口大学の訳。

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A・ジッド 『ソヴィエト紀行』・『ソヴィエト紀行修正』_d0007923_21583797.jpgマクシム・ゴーリキー(1868-1936)は、レーニンと対立して国を離れていたが、スターリンの招きにより、33年帰国した。強制収容所の囚人を動員した白海・バルト海運河建設を礼賛する(そのように仕組まれたと言われる)など、スターリンの意に沿っていたが、次第にスターリンと不和を来し、NKVD(内務人民委員部;KGBの前身)の監視下に置かれた。34年、ゴーリキーの息子マックスが何者かに殺害された。ゴーリキーは、36年には、スターリン体制の告発を考えていたとされる。インフルエンザを悪化させて瀕死のゴーリキーが、ジッドにそのような告発を伝えることをスターリンは怖れた、という。ゴーリキーは、いったん快方に向かっていたが、(なぜか)容態が急変し、ジッドと会えぬまま死去した。

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共産主義に対する支持を表した当時の西側知識人は、バーナード・ショー、H・G・ウェルズ、ルイ・アラゴン、アンドレ・マルロー、ロマン・ロランら。
1930年代半ば、ナチスのラインラント進駐、スペイン内戦勃発など、ファシズムが台頭するなかで、ソ連への共感を持つ知識層が少なからずいた。
ロマン・ロラン(1915年ノーベル文学賞受賞)は、35年にモスクワを訪問した。スターリン体制を見る眼が曇っていたのは、ロラン夫人(ロシア人)がNKVDの秘密工作員であったため、とする説がある。

ジッドは、1947年、ノーベル文学賞を受賞した。その際、スウェーデン王立アカデミーは、「コンゴやソヴィエトへの紀行だけをみても、文学の世界のみに安住しなかった証左といえる」と称えた。

【参考】
『ロシアを知る事典』平凡社(2004)
亀山郁夫『大審問官スターリン』小学館(2006)
ノーベル財団のサイト
by itsumohappy | 2008-05-31 22:11 | 文学・本
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