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2007年 08月 05日

村尾靖子 『クラウディア 奇蹟の愛』


「…他人の不幸の上に私だけの幸福を築き上げることは、私にはどうしても
出来ません。あなたが再び肉親の愛情に包まれて、祖国にいるという嬉しい
思いで、私は生きていきます。…37年余りの年月をあなたと共に暮らせたこと、
捧げた愛が無駄ではなかったこと、私はこの喜びで生きていきます。
涙を見せずに、お別れしましょう。・・・」



これは当初版。06年に改訂版が出ている
d0007923_17543621.jpg終戦後の朝鮮で、無実の罪を着せされてソ連に拘束され、妻子と生き別れになった蜂谷弥三郎氏とそのソ連でのつらい生活を支えたクラウディアさん、51年ぶりに夫と再会した蜂谷夫人久子さんの実話である。
TVドキュメンタリー番組「クラウディアからの手紙」(1998年・日本海テレビ(山陰地方)制作)に触発された著者が、蜂谷夫妻とロシアに住むクラウディアさんを訪ね、インタビューを重ねて構成した。私は未見だが、06年に舞台・TVドラマ化されている。

朝鮮の兵器工場で働いていた蜂谷氏は、1946年、日本への引揚げを待っている間に、ソ連官憲にスパイ容疑(ソ連刑法第58条第6項;当時、多数のソ連市民がこの条項により強制収容所に送られた)で逮捕された。衝撃的なのは蜂谷氏を告発したのは日本人であったこと。その日本人(のち旧日本軍の特務機関関係者だったことが明らかにされた)は、蜂谷氏他2名の日本人に対して「スパイを助けた」「日本でスパイを徴用した」等々虚偽の証言を行い、蜂谷氏達はピストルを突きつけられてやむなく調書にサインをした。

証拠もなく弁護人もつかない裁判で3人は10年の刑を宣告され、強制収容所に送られた。告発した男にかつて食事をふるまったり、仕事を手伝ったりしたという蜂谷氏達の厚意は仇で返された。スターリン時代、スパイの摘発はノルマ化されていた。おそらくその男は、自ら生き残るため知り合いを密告したのだろう。

幾つかの強制収容所を転々とするうち腎臓病を患い、零下数十度の収容所の中を這って移動するまでに弱った蜂谷氏は、生き延びるために理髪の技術を身につけ、指圧も学び懸命に働いた。「日本人の恥になってはならない」という思いが生きるための原動力になったという。正直で器用な働き者という戦前の日本人のイメージそのものだ。

蜂谷氏は、1949年、マガダン(北極圏コルィマへの入口)に送られたが、勤務する収容所内理髪店の売り上げを多く当局に納め、減刑されて53年に出所した。56年の日ソ国交回復後も何故か帰国が認められず、KGBに監視される日々だったそうだ。そのようななかでクラウディアさんと知り合い、のち結婚。クラウディアさんは孤児で、やはり無実の罪で逮捕され、強制労働に服した過去があった。

この物語の核はクラウディアさんの人間性にある。「神は、人の心の中にこそある」というのがクラウディアさんの信条で、不幸な生い立ちにもかかわらず、純真な心の持ち主で生まれながらの善人である。

91年のソ連邦崩壊後も、蜂谷氏は恐怖心が先立ち、なかなか日本に連絡をとれなかったが、96年、51歳になった娘さんが訪ロし、再会を果たした。日本で久子夫人が健在で、夫を待っていると知ったクラウディアさんは、蜂谷氏に帰国を勧めた。冒頭引用したのが、蜂谷氏との別れに際してクラウディアさんが書いた手紙の一部。

人間の限りない素晴らしさと恐ろしさを知る本である。
クラウディアさんはアムール州プログレス村に一人住む。07年5月に久子夫人は亡くなった。
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by itsumohappy | 2007-08-05 18:13 | 文学・本


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