東西教会の和解は遠く

3月13日、プーチン大統領はバチカンを訪問し、法王ベネディクト16世と初会談した。ロシア正教会とカトリック教会との関係修復への一歩とされたが、大統領は法王をロシアに招待することは見送った。カトリック側の関係改善への働きかけに対し、ロシア正教会は、「バチカンとの対話には関心がある」としつつも「関係改善には具体的な措置が必要」と表明したという。

カトリック教会のロシアでの布教活動が、ロシア正教会を刺激していることが不仲の一番の原因らしいが、すると「具体的な措置」とはカトリックはロシアで布教するなということだろうか?

これまで、両者の関係を悪化させた理由としては
●ロシア革命時やスターリン政権下、カトリック教会は弾圧され、司教たちは銃殺など迫害を受け、カトリック信者は正教に改宗させられた。
●冷戦崩壊(1989年)後、バチカンはロシア領内で本格的な布教活動に乗り出した。
●ソ連時代非合法だったウクライナの「帰一教会」(正教会のミサを行うがローマ法王の権威を認める)の活動が当局に認められた。(1989年)
●ロシア正教発祥の地、キエフを法王ヨハネ・パウロ2世が訪問した(2001年)。また、法王は、ギリシャ正教やブルガリア正教との対話を進めた。


などが伝えられている。正教側にとっては、「1民族(国家)1教会」原則が侵されるのは我慢ならんということらしいのだが、ロシア正教も海外伝道はしているわけで、もうひとつわかりにくい話である。
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        トロイツェ・セルギエフ大修道院の三位一体教会。
       ロシア正教の聖地(総本山)のひとつ


東西教会に関し、過去の歴史をややさかのぼって世界史の本などで見てみれば、

395年  キリスト教を国教としたローマ皇帝テオドシウスの死によりローマ帝国は東西に分裂
726年  東ローマ皇帝レオ3世、「聖像禁止令」発布。聖像の是非を巡りローマ教皇と大論争となる (843年、東方教会は同禁止令を解除)
988年頃 キエフ公国ウラジミル大公、ギリシャ正教を国教とする
1054年  「聖像禁止令」を境にキリスト教の正統を争った、ローマ・カトリックと東ローマの正教の両者、互いに破門状を投げ合って教会は完全に分裂
1453年 東ローマ帝国滅亡。ロシアが東方正教会の主な後継者となる
(かなり飛んで)
1965年 東西両教会、互いの指導者への破門を解く
1989年 ゴルバチョフ大統領、法王ヨハネ・パウロ2世と会談。バチカン市国との関係を改善する
・・・という流れである。ものすごく大まかですが。

両教会のトップ会談は、1997年に一度予定されたが、直前にロシア正教会が拒否して流れた。分裂から1000年近く経つのに、今回のプーチン大統領訪問でも「歴史的和解」への道筋はつけられなかったようだ。

d0007923_2235522.jpg2004年、バチカンからロシア正教会へ返還されたイコン「カザンの聖母」。16世紀、タタルスタンで、聖母に導かれた少女がこのイコンを発見したと伝えられる。ロシア革命後行方不明となっていたが、米国でのオークションでカトリック団体が購入し、ローマ法王へ寄贈。法王は書斎にかけていたという。







(1989年11月30日朝日新聞、93年10月3日毎日新聞、2004年4月24日朝日新聞、07年3月16日北海道新聞他より)
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by itsumohappy | 2007-03-22 00:48 | ロシア | Comments(0)
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