プリセツカヤ 『闘う白鳥 マイヤ・プリセツカヤ自伝』

d0007923_16593529.jpg昨年、コンサートなどのチラシを見ていたら、「80歳を迎えても世界各国で活動を続ける、世界のトップに君臨する大プリマ」の東京公演(06年2月)の案内があり、20世紀最高のバレリーナ、プリセツカヤ(1925~)を知った。公演も踊っている映像も見たことがないが、名前とプロフィールが印象に残り、本書を読んだ。

これは、“Я, Майя Плисецкая...”(私、マイヤ・プリセツカヤ)の日本語訳(1996年)。(右下はロシア語版)
一部削除・整理しているとは言え、かなりボリュームがある。半端ではない苦難の人生を綴れば、これ位の量は軽くいってしまうのだろう。本の冒頭から、スターリンの大粛清時代のめちゃくちゃな様相が描かれている。

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プリセツカヤ一家は芸術家の家系。マイヤさん12歳の時、父親が逮捕された。銃殺されたのがわかったのはグラスノスチの時代になってから。北極石炭公団で働いていた父親の部下でもある友人が、以前トロツキーの秘書をしていたということがどうも「人民の敵」となった理由らしい。続けて母親も逮捕され、収容所に送られた。マイヤさんにはしばらくの間真相は知らされず(「母親」からの電報は叔母が送っていた)、叔母宅からバレエ学校に通い、やがてボリショイにデビュー。才能を開花させプリマへの階段を上がっていった。

親の逮捕やアメリカに移住した伯父の存在等が災いして、マイヤさんには長く外国での公演が許されず、KGBにも24時間監視された。「危険人物」視されていたのは、体制におもねることなく、従って特権も受けず、周囲の中傷・嫉妬をものともせずに、自らの才能のみを武器にバレエ芸術を追求した著者の姿勢のためとも思われる。また、当局が亡命を危惧したこともあったろう。しかし、ボリショイを愛したマイヤさんは亡命しなかった。本にも出てくるが、亡命したからといって平穏に暮らせるわけでもなかったらしい。61年に亡命したヌレエフには事故と見せかけて足を骨折させる計画があったという。

「アンナ・カレーニナ」
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著者によると、バレリーナは40歳には引退し、年金受給者になるそうだ。活躍できる期間が短い。古典を踊りつくしたマイヤさんは、長く踊るためにも新境地の開拓に努めた。「カルメン組曲」、「ボレロ」などプティ、ベジャールら外国の演出家達の協力を得て、当局から邪魔をされながらも作り上げ、「アンナ・カレーニナ」、「かもめ」、「小犬を連れた貴婦人」などロシアの作品にも取り組んだ。

マイヤさんは、社会主義国での生活を以下のように総括している。

人間には、悪人と善人がいるだけ。恥知らずな連中は平穏無事に暮らし、良心的な人間は苦労するばかり。思いやり・誠意・親切は強欲、裏切り、残忍に対抗できない。ただし地上の至る所に、神に忘れられた辺境に生まれ、自らの十字架を負う「善人」がおり、彼らのおかげでこの世にもまだ安らぎがある
平和な時には見えない、人の世の真理。認めたくないが、過酷な体験から出た言葉は重い。

バレエやソ連の歴史に関心のある人には興味深い本だと思う。各国要人の接待のたび「白鳥の湖」を死ぬほど見させられたフルシチョフほか、当時の共産党書記たちのエピソードも数多く登場する。
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by itsumohappy | 2007-02-18 17:44 | その他
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