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日本の守護聖人

ロシア正教会では、ユリウス暦により1月7日が降誕祭(クリスマス)。グレゴリオ暦より13日遅れる。しかし、世界中の正教会全てが7日にお祝いしているわけでもないらしい。ギリシャ正教会などはグレゴリオ暦を採用しているので、クリスマスは12月25日である。

日本正教会(日本ハリストス正教会)も25日に祝うそうだ。ただ、その他の行事(復活祭など)はユリウス暦を基に行われる。日本では、12月25日がクリスマスであることが広く定着しているため、宣教上の配慮らしい。

日本の守護聖人_d0007923_22345819.jpg日本に正教を伝道したのは聖ニコライ(1836-1912)(左)。1970年列聖され、日本の守護聖人である。

司祭ニコライ(俗名イワン・カサートキン)は、アレクサンドル・ネフスキー大修道院にあるサンクトペテルブルク神学大学で学び、シベリアを馬車で横断して1861年、開港まもない函館の領事館付司祭として来日した。ゴローウニンの『日本幽囚記』を読んで日本人に愛情がわき、日本への伝道を志願したそうだ。高田屋嘉兵衛の大ファンで、遺族にも面会した。

来日の頃は維新前の激動期。前年には桜田門外の変、翌年には生麦事件などが起きている。キリスト教もご法度の時代である。司祭は、1868年、日本人3人に密かに洗礼を行った。この時が日本正教会の創立とされる。

宣教団の設立や聖堂建設の資金集めの際には、プチャーチン(1855年の日魯通好条約を締結した軍人。のち政治家となった。)も支援した。日本研究、日本語学習に努め、函館のある書店が店じまいした時は、法華経から戯作本まで全て買い取ったそうだ。

1872年、上京して神田駿河台にロシア語学校を設立し、東京を拠点とする布教活動を開始した。1891年、東京ハリストス復活大聖堂(ニコライ堂)が完成。日露戦争時にも日本に留まり、活動は半世紀に及んだ。
(2005年9月25日 朝日新聞、御茶ノ水の泉通信千代田区地域サイトより)

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日本の守護聖人_d0007923_22405463.jpgニコライ堂(左)は7年がかりで建設された。工事費24万円。鹿鳴館は18万円だった。

谷中にある墓所(台東区HPより)。葬儀には明治天皇から生花が下賜された。 日本の守護聖人_d0007923_2242826.jpg
by itsumohappy | 2007-01-08 22:56 | 歴史・領土問題
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