ロシアが気になる

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2006年 07月 22日

日本から見える「ロシア」

北海道の納沙布岬や宗谷岬の向こうはロシア。日本とロシアの交流は1792年10月、ラクスマンの根室来航にはじまる。ラクスマンは、漂流民大黒屋光太夫を伴い通商を求めるためにやってきた。江戸幕府からの返答が来るまでの約8か月間、ラクスマン一行は根室沖の弁天島に船をつけて上陸し、根室で生活した。日本で最初のロシア語辞典が作られたのもこの時。一行は翌年6月、幕府と交渉のため松前に向かうが、長崎入港を許可する「信牌」を受け取って8月、箱館から帰国した。日本の対ロシア開国は、1855年2月のことである。(2001年12月29日 読売オンライン)
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     ラクスマン根室冬営の図(天理大学図書館蔵)


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根室港。右上が弁天島。根室の町は、かつてはいわゆる北方領土(歯舞、色丹、国後、択捉)への玄関口だった。納沙布岬などからロシアが実効支配する島々を見ることができる。今は目の前の海で漁を自由に行えない。ロシアと毎年交渉して結ばれる協定の範囲内で操業が可能となるまでは、周辺海域での漁業は常にロシア警備艇からの銃撃、拿捕の危険にさらされていた。

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納沙布岬から見る北方領土、歯舞群島のひとつである水晶島(左)。右端に小さく見えるのは1937年に日本がかつて立てた貝殻島の灯台。貝殻島は、灯台がやっと立つ位の大きさの島(というより岩)で、岬から3.7キロメートルのところにある。灯台との間が日ロ中間ライン(「国境」とは言わない)。そこを越えるとロシアの警備艇に捕まる。灯台周辺はコンブの漁場で、シーズン中はロシアに「協力費」を払って入漁する。歯舞群島にはロシア国境警備隊がいるだけで、住民はいない。

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   納沙布岬と歯舞群島の上空写真(2006年1月9日 海上保安庁ヘリ撮影)
   (第一管区海上保安本部のHPより) 


d0007923_2382575.jpg根室は領土返還運動発祥の地でもある。エゾカンゾウの咲く海岸沿いの道路のところどころに立つ看板。右上には「こどもたちのために新たな決意で燃やそう返還の火」というスローガン。イラストの少しゆるい感じが気になる?



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納沙布岬にある「四島のかけはし」(左)。右側に「祈りの火」。島が返還されるまで燃やし続けるそうだ。


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奥にうっすらと見えるのが標津町から30キロメートル先にある国後島。根室海峡に面する町、泊(ゴロブニノ)では日本のTVも映る。戦前はこの島に約7300人の日本人が住んでいた。現在ロシア人が約4300人住む。

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   国後で一番大きい町、古釜布(ユジノクリリスク)。(内閣府HPより)
   鈴木宗男議員ゆかりの「友好の家」はここにある。

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   標津町にある領土返還を叫ぶモニュメント。国後を臨む海沿いにある。

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択捉島にある「水産会事務所」(左)と「紗那郵便局」。(内閣府HPより) ともに、現存する戦前の日本建築。ソ連上陸後、日本の建造物は多く破壊されたため貴重である。水産会事務所は、1922年に建てられた当時唯一の2階建て建築物。戦後はソ連人が使っていたが、現在は空き家。紗那郵便局は1885年開局、その後建て替えられた。電信局もあり、ソ連の択捉上陸(1945年8月28日)はここから根室に打電された。建物は今でも使われている。

北方領土へはサハリンから船や飛行機で行くことはできる。しかし、パスポートを使うことは外国領と認めることになり、日本の国策に反するので一般国民は北方領土への渡航は自粛することになっている。北方領土の元島民や関係者は国の制度を使って、かつての故郷の訪問や墓参りをすることができる。その際、所定の身分証明書で入域(入国ではない)する。四島在住ロシア人との交流事業もある。来日したロシア人達のお気に入り買い物スポットは100円ショップらしい。
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by itsumohappy | 2006-07-22 23:50 | 歴史・領土問題


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