シェレメチェフ家の宮殿

d0007923_21333231.jpgロシアの玄関口はモスクワのシェレメチェボ空港。大国の国際空港とは思えない、暗くて古い感じのぱっとしない空港であるが、この空港の土地はかつて、ロシア皇帝の遠戚でもあった大貴族シェレメチェフ家の所領だった。空港名はその名にちなんだものである。同家はロシアのあちこちに地所を持っていた。

250年ほどの歴史を持つシェレメチェフ家の栄華は、ピョートル大帝に仕えた将軍ボリス・シェレメチェフ(1652–1719)に始まる。将軍は、当時のバルトの大国、スウェーデンとの北方戦争(1700-1721)で活躍し、ロシアがスウェーデンに大勝したポルタヴァの戦い(1709)で戦功をあげた。1712年、大帝よりペテルブルクのフォンタンカ運河沿いの土地が与えられ、シェレメチェフ家はそこに屋敷を構えた。


d0007923_21344099.jpg5世代が住んだ屋敷は今も残っており、たくさんの噴水があったことから別名ファンタニー・ドーム(左)という。当時の貴族や地主は、自家の農奴の俳優で構成する劇団などを持っており、この敷地内でも各地からやってきた同家の農奴である音楽家や俳優たちがコンサートや演劇を行っていた。ペテルブルクの社交、文化の拠点のひとつであり、エカテリーナ2世やその息子パーヴェル1世も屋敷を訪れた。現在は、200年がかりで収集された同家の美術品を展示する美術館で、バロック期の楽器などを所蔵する音楽博物館にもなっている。


d0007923_21353295.jpgモスクワ郊外には、モスクワのベルサイユとも言われた夏の屋敷クスコヴォ宮殿(右・下)がある。フランス式の庭園のある広大な敷地に1日に3万人の客を招待できた。
18世紀半ばから後半、ボリスの息子ピョートルの時代に40年ほどかけて完成した屋敷群の建設には、フランス人建築家のほか農奴の建築家も参加した。ピョートルが父ボリスから受け継いだ農奴の数は20万人位(!)だったようで、最盛期にはロシアの農奴の4分の1がシェレメチェフ家に仕えていた。d0007923_2136193.jpg
農奴といってもこれだけの数がいれば、中には様々な才能を持つ人たちもいたわけだ。
現在はモスクワの観光名所のひとつであり、数ある美術品の中でも陶磁器のコレクションが有名だそう。夏の間はコンサートやイベントなどが行われる。



d0007923_12521619.jpgピョートルの息子ニコライが作った夏の屋敷がオスタンキノ宮殿(左)。ここでは演劇などが盛んに催された。ニコライは、才能ある農奴の少女パラーシャをモスクワで評判になるほどの女優に育てた。パラーシャは、この屋敷の舞台にも立ち、のち伯爵と密かに結婚した。その事実が明らかになったのは、パラーシャが伯爵の子供を産んだ直後に死んだ時だったが、この事件は当時の上流社会にショックを与えたらしい。ここは今は農奴芸術博物館となっている。

シェレメチェフ家の屋敷はまだまだロシアのあちこちにたくさんあっただろう。日本人には想像し難いおとぎ話のような貴族の暮らし。うらやましい。
しかし、ロシア革命後の同家の運命は過酷である。家屋敷、地所は国の所有となり、亡命しなかった一族のうち、男性は全て「人民の敵」としてスターリン時代に粛清され、生き残ったのは女性の一族だけであった。

(写真はモスクワの観光案内サイトなどから)
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by itsumohappy | 2006-04-04 22:10 | ロシア | Comments(0)
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