横須賀の記念館三笠で、イギリスから寄贈された日露戦争当時の写真展をやっていると新聞にあったので見に行った。(10月8日) 基地が公開されているとそれなりに街に人が多いのだが、この日は寂しいくらいまばら。Yナンバーが走っていなければ普通のうらぶれた港町って感じである。横須賀は何度も行っているが三笠に入るのははじめてだった。
甲板と中の展示室を見て回り、解説などを読んでいるとけっこう時間がかかった。ひっそりやっていた特別展示の写真展もなかなか面白く、現代の、コンピュータが操る戦争と違って、いわゆる昔ながらの戦争のイメージそのまんまであった。観戦武官なんて知らなかったし。旅順港口閉塞戦という言葉は知っていたが、船を沈めた写真を見てはじめて具体的にわかった次第。 (写真)(上)艦橋から 東郷司令官が指揮したところ。(下)「艦橋の図」(東城鉦太郎画/三笠保存会所蔵) 展示室にT字戦法ジオラマ?みたいのがあって、沈んだロシア船の名前がずらーっと出ていた。 38隻のうち20隻も沈んでしまった。ペリーが来てから半世紀ちょいしか経っていなかったのだから、いま想像する以上に輝かしい出来事だったのだろう。 ウラジオストック艦隊の応援で遠路はるばるバルト海からアフリカを回って対馬まで来たロシア船。地図を見るとほんとよくがんばってやってきたよね・・と思う。 当時のロシア船で残っているのは巡洋艦オーロラ号だけらしい。ペテルブルグのネバ川をはさんで夏の庭園向かいに係留されている。実際見るとよくこんな小さな船がここまで帰って来られたなーと感じる。 (写真)オーロラ号 左は陸軍幼年学校 外国の軍関係者が来ると必ずここを表敬するらしい。1917年の10月革命時には、空砲を撃って冬宮攻撃の合図を送ったそうだ。その意味でもこの船はロシア史を象徴するもののひとつなのだろう。 三笠からの帰り、観音崎をまわってペリー公園、くりはま花の国に寄って帰った。花の国はコスモスの頃おすすめです。 (写真)ペリーの久里浜上陸記念碑 くりはま花の国
by itsumohappy
| 2005-10-26 00:41
| 歴史・領土問題
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