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ギンズブルグ 『明るい夜暗い昼』 

ギンズブルグ 『明るい夜暗い昼』 _d0007923_0345894.jpgスターリン時代の強制収容所生活を生き抜いた学者エヴゲーニヤ・ギンズブルグ(1904-1977;右)の回顧録。(中田甫訳;集英社/続編、続々編の3冊構成。現在は絶版のもよう)

カザンの大学で教鞭をとっていた著者は、共産党に「全生涯を捧げる決意」をしていたほど忠実な党員であったが、1934年12月のキーロフ暗殺をきっかけに始まった大粛清に巻き込まれ、37年、逮捕された。逮捕理由は、反党的として逮捕された同僚学者の著作や論文の「過ち」を指摘しなかったことだった。逮捕に納得せず、自らを地下テロ組織のメンバーとした「自白調書」へのサインを拒否した著者は、軍事裁判で禁固10年、公民権剥奪5年の判決を受けた。

家族(カザン市ソヴィエト議長の夫・アクショーノフと男児2人)と離れ離れになり、監獄で取調べを受ける日々からこの記録は始まる。収容された者同士が壁を叩く音やオペラのアリアで情報交換を行うなどの獄中生活の様子が詳しい。
教養があり信頼もされていた同僚が、取調官のいいなりのままに密告で他人の命を次々と犠牲にしたり、著者を断罪した取調官もその後逮捕・粛清されたり、といったエピソードが前半は続く。著者は、取調べで「自分だけのことについて真実を述べる。作りごとについては一切サインせず、誰の名も挙げない」という姿勢を貫いた。
判決後、中継監獄を経て、鉄道と船で極寒の地コリマ(「12ヶ月が冬で残りが夏」の地)に移送され、様々な労働に従事した。囚人を牢獄に閉じ込めておくより強制労働させるほうが「効率的」であるという国の方針転換による。
タイガでの作業は零下50度にならないと中止にならない。過酷な環境の中で、著者は何度も生存を脅かされる危機に陥ったが、頑健さと才気で乗り切った。ロシア・インテリゲンチャの精神、即ち、世紀はじめの賢者や詩人の遺産が自らを支えたと記している。

著者は刑期を満了するも、49年再逮捕され、東部シベリア地域に終身移住の判決を受けた。しかし、大陸から呼び寄せた次男(後の作家ワシーリー・アクショーノフ。長男は独ソ戦中にレニングラードで餓死)や囚人時代に知り合ったドイツ人医師との生活を願い、引き続きコリマに住むことを許された。追放処分が解かれたのは、スターリンの死後。18年ぶりに開放され、56年、名誉回復を受けた。

解放後は、回想記の作成に打ち込んだが公の出版はかなわず、国内にはサミズダート(私製版/地下出版)で流れ、やがて欧州、米国でも読まれるようになった。母国で完全な姿で出版されるという願いは、著者の存命中果たされなかったが、ペレストロイカ期の1990年、モスクワで公刊された。

平穏な時代であれば、一生表に出てくることはなかったかもしれない、個人の奥に潜む悪性に関して、著者は以下のように記している。
「・・・(他人を貶めた)人間はいかに良心の呵責にさいなまれるものか・・・苦しみの中で許しを請う人を見れば、「わが過ちなり」がそれぞれの人の心の中に鼓動しているのがわかる」
この本に描かれている生き地獄と、その究極の状況下にして初めてあらわれる、人間のさまざまな本性や生き様はあまりにすさまじく、言葉では説明し難いほどの衝撃を受ける。
by itsumohappy | 2010-07-30 00:40 | 文学・本
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