ロシアが気になる

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2009年 05月 13日

前外務次官の「3.5島返還」発言

d0007923_0491993.jpg2009年4月17日付の毎日新聞で、谷内正太郎政府代表(前外務事務次官)が北方領土問題の打開に関して「私は3.5島でもいいのではないかと考えている。・・・択捉島の面積がすごく大きく、面積を折半すると3島プラス択捉の20~25%くらいになる。折半すると実質は4島返還になるんですよ。」と発言したことが報道された。この報道が波紋を広げると谷内代表は、当初発言を否定したが、その後「誤解を与えたかもしれない」と弁明し、中曽根外務大臣から厳重注意を受けた。

毎日新聞によれば、谷内氏へのインタビューには記者3名、カメラマン1名が同席し、内容は氏の同意を得て録音されていた。そのため、「記事が全て」とコメントした同社に対し、政府は抗議しなかったのだろう。

北方領土の面積
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3.5島返還発言を聞いて怒った国民がどれ位いるかはわからないが、プーチン首相が来日した09年5月11日付の主要紙朝刊(見た限り毎日、日経、読売、産経)に載った日本国際フォーラムによる意見表明「対露領土交渉の基本的立場を崩してはならない」において、学者、返還運動関係者、政治家等が、「関係者が長年血の滲む努力で築いてきた平和条約交渉の土台」が崩れると緊急アピールしている(「妥協を示唆するやり方は、交渉の進め方としてあまりにも軽率」とも言っている)。政府は、このアピールに対し、国益上問題があるとして撤回するよう何度も要求したそうだ。

一方、3.5島論にさほど違和感を感じない国民もいるのではと思う。サハリンでの日露首脳会談(本年2月18日)で、両首脳は、領土問題を今の世代で解決すること、メドヴェージェフ大統領の言う「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」の下、最終的な解決につながるよう作業を加速させることで一致したのだから。

4島返還が達成されるまで粘り強く百年単位でがんばるか、「向こうが2島、こちらが4島では進展しない」(麻生首相)から妥協点を探るかは、最高権力者の政治判断次第である。近年の日露の首脳会談では、5月12日の麻生・プーチン両首相の会談も含め、「これまでの諸合意・諸文書に基づいて領土交渉を継続/加速することで一致」といった内容の表明がひたすら繰り返されている。その一方、「貿易、経済分野の関係強化は領土問題解決への環境づくり」というフレーズのもと日露の経済関係は着実に進展している。
特に日本側にとって、戦後63年過ぎた今となっては、領土問題は先送りするしかないのだろう。今更妥協策ではこれまでかけた時間が無意味になる。世の中には北方領土よりも優先して政治生命を賭けなければならない問題が山積している。北方領土を巡って戦争が起きるわけでもない(たぶん)。

谷内代表の3.5島返還発言は国内外への「観測気球」という見方もあるが、この発言で一番空しい思いを強めているのは、出口の見えてこない返還運動を懸命に行っている元島民をはじめとする人々及び根室等北方領土隣接地域の住民だろう。
 
【2009年4月21日毎日新聞、5月1日・8日北海道新聞、5月12日共同通信より】
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# by itsumohappy | 2009-05-13 01:03 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(2)
2009年 05月 13日

ビザなし交流再開へ

2009年1月、ロシアが国内法に基づき、北方四島渡航時における出入国カードの提出を日本に要求した問題は、5月1日、ロシア側が求めたカードへの署名は避けた形で両国が合意に至り、プーチン首相来日前にとりあえずの解決をみた。

これまでの北方領土への渡航方式は、
●日本側が作成した訪問団員リストをロシア側に提出。
●訪問団は日本外務省発行の身分証明書及び挿入紙を携行。(同行の外務省係官等が団員分をまとめて所持。ロシア側には提出しない)

という形であったが、今月からは、訪問団員リストに関して、
●訪問団員リストに訪問者全員が署名し、ロシア側に提出。
●その団員リストに基づきロシア側が出入国カードを作成。団員の出入域時におけるカードの半券受け渡しによりロシアは出入りを管理する。

こととなった。ロシアは団員が個々にカードの半券を所持するよう求めていると伝えられている。

ロシア側が作成した書類に日本側が記入・署名をしないので入国手続きには当たらない、というのが日本政府の見解である。「苦肉の策」「玉虫色の決着」と新聞は報道したが、外務省は「双方の法的立場を害さないことを双方が確認」した上での技術的な解決、と表明した。

ビザなし交流第一陣の出発は5月15日。高橋はるみ北海道知事も参加する予定である。以降9月まで6回の渡航が計画されている。

(追記:第一陣の訪問は、ロシア内部の調整が間に合わず5月13日、中止となった。次回は、同月22日択捉への出発が予定されている)

【2009年5月2日北海道新聞・毎日新聞、5月1日外務省プレスリリースより】
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# by itsumohappy | 2009-05-13 00:47 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 17日

国立トレチャコフ美術館展 「忘れえぬロシア」

国立トレチャコフ美術館展(09年4月4日-6月7日 於東京:Bunkamura)の感想です。来日した75作品のうち半数以上が現地で常設展示しているもので、展示会の準備に5年かかったそうです。

d0007923_2239261.jpgこの展示会は、トレチャコフ美術館(左)所蔵絵画から、19世紀後半の移動展派の作品を主体に紹介するものである。移動展派は、1863年、ペテルブルクの美術アカデミーの形式主義を批判し退学した14名が設立した「移動展覧会協会」の画家たちを指す。クラムスコイ、ペローフらが同派を主導。移動展派は、モスクワ、ペテルブルク以外にキエフ、カザンなど地方都市を巡って一般向けの展覧会を行った(1923年まで48回)。

19世紀後半のロシアは、農奴解放令(1861)、「人民の中へ」運動(ナロードニキ運動;1873)、「人民の意志派」による皇帝アレクサンドル2世暗殺(1881)等にみるように、社会の変動期であった。移動展派の活動は、「人民の中へ」運動と呼応するもので、絵画を通じて民衆の啓蒙を目指したとされる。

この度の展示会は、庶民の日常風景画、フランス印象派の影響を受けた外光派絵画、雪原等ロシアらしい風景画、肖像画と様々な分野の絵画で構成されていてあきない。特に肖像画は、チェーホフ、トルストイらの文豪、皇族、芸術家、一般人(左翼学生もあった)ら様々な社会的立場の人々のものが並んでおり興味深かった。人間の内面を映し出した肖像画に限らず、生き生きとした自然の風景画などにもみえる抒情的なリアリズムは日本人に親しみやすいと思う。
ロシアの美術展の常?として初日でもそれほど混んでいなかったので、じっくり鑑賞できた。
(2009年4月7日毎日新聞、平凡社『ロシアを知る事典』2004年 参照)

【今後の巡回予定】
岩手県立美術館 2009年6月13日~7月21日
広島県立美術館 2009年7月28日~10月18日
郡山市立美術館 2009年10月24日~12月13日

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右:「忘れえぬ女」
 (「見知らぬ女」;1883)
<クラムスコイ画>

今回のように国外に貸し出されていることが多く、トレチャコフ美術館ではあまり見られないらしい。ネフスキー通りで幌を上げた馬車から見下ろしているモデルは不明である。当時この絵を見た人々は、アンナ・カレーニナやナスターシャ・フィリポヴナ(『白痴』の登場人物)を連想したそうだ。私は後者のイメージを感じた。

絵の前で左右あちこちから見ると表情が変わってみえる。向かって正面やや左からがよいと思った。人物はもとより黒の豪奢な衣装の描写が美しい。誇り高く、挑むように寄せ付けないような、それでいて潤んでいる瞳が非常に印象的。


「冬の道」(1866)<カーメネフ画>
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展示解説によれば、ロシア絵画の特徴は「冬」、「道」、「古い地主屋敷」である。「白樺」、「橇」も入るだろう。


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パーヴェル・トレチャコフの肖像
(レーピン画:この絵は今回来日していない)
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パーヴェル・トレチャコフ (1832-1898)(左)は、紡績業で成功した実業家。慈善活動の傍らロシアの美術品を収集。移動展派を支持していた。ギャラリーを作って1880年代から収集品を一般に公開した。それらの作品は、1892年、モスクワ市に寄贈され、革命後は国に移管された。弟セルゲイの収集品も併せた美術品がトレチャコフ美術館の中核をなす。現在、コレクションは10万点となっている。
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# by itsumohappy | 2009-04-17 22:44 | 展示会 | Trackback | Comments(4)
2009年 03月 31日

黒海艦隊基地貸与の継続問題

ウクライナ南部クリミア自治共和国にある特別市セバストポリ(キエフの直轄)には、ソ連からロシアが継承した黒海艦隊が駐留している。黒海艦隊は、冷戦期、地中海に展開する米海軍第6艦隊に対抗することが主要任務とされていた。ソ連崩壊後の1995年、黒海艦隊の艦船は、ロシア81%、ウクライナ19%の割合で分割された。97年には、セバストポリの市と港湾地区を、20年間ウクライナからロシアへ貸与する協定が結ばれた。
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2008年5月、ウクライナ政府は、2017年に切れる貸与協定を延長しない方針を表明。その後、ユーシェンコ大統領は、艦隊撤退に向けた法案準備を指示したと報じられた。NATO・EU加盟を目指す大統領は、08年8月のロシアによるグルジア侵攻はウクライナにとっても脅威であるとし、ロシア黒海艦隊の艦船や艦載機が領海・領空通過の際には事前通報をロシア側に求める措置の導入にも言及した。

一方、ロシアのメドベージェフ大統領は、ウクライナがロシア黒海艦隊のセバストポリ基地撤退に言及するのは時期尚早とし、さらにウクライナのNATO加盟は、ロシアとの安全保障を弱体化させるとけん制した。
(ロシア海軍は、仮にセバストポリが使用不可能となった場合は、黒海艦隊をロシア領のノボロシースク港に移動させることになるとしている。)
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  黒海艦隊の旗艦、ミサイル巡洋艦「モスクワ」

08年12月、NATOは、ロシアへの配慮からウクライナ、グルジアの将来のNATO加盟の決定を見送った。その代替措置として米国は、同月、ウクライナと安全保障に関する合意文書に調印した。しかしながら、ウクライナ国民の大半(08年の世論調査では約8割)が、NATO加盟に反対であるという。

ロシアは、グルジアでの軍事衝突をきっかけに、ロシア南部の安全保障体制を強化する方針を示している。
黒海艦隊の強化策として、海軍関係者は09年3月、現在1隻しか稼動していない潜水艦を8~10隻程度に増やす必要があると表明した。

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セバストポリは、ギリシャ語で「高い都市」の意味。BC5世紀にギリシャの植民市が建設された地域である。エカテリーナ2世統治下の1783年、第一次露土戦争に勝利したロシアは、クリミアを獲得し、同年、黒海艦隊が創設された。
1954年、クリミアは、フルシチョフ第一書記の決定により、当時旧ソ連の一部だったウクライナに割譲された。ロシア・ウクライナ両民族の友好を印象付けるためとされる。


(ロシア海軍のサイト、2009年3月20日・24日RIAノーボスチ、08年8月15日朝日、08年9月11日読売、08年6月4日・7日北海道、24日毎日、97年6月23日読売、92年1月30日毎日新聞、『ロシアを知る事典』(平凡社)より)
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# by itsumohappy | 2009-03-31 23:32 | ロシア | Trackback | Comments(4)
2009年 03月 06日

映画 『バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び』

d0007923_22251873.jpg2007年公開作品。制作・監督のデイナ・ゴールドファインとダニエル・ゲラーは著名なドキュメンタリー映画作家だそうだ。

この映画は、2000年、ニューオーリンズで開催された「バレエ・リュス」(ロシア・バレエ団)の同窓会に集合したかつてのダンサーたちが語る思い出の数々を、当時の映像も交えて紹介しながら、バレエ・リュスの歴史を振り返る構成となっている。

「バレエ・リュス」は、興行師セルゲイ・ディアギレフがマリインスキー劇場などの若手ダンサーを集めて結成したバレエ団で、特定の劇場に所属せず、パリを中心にモンテカルロ、ロンドンなどロシア外で公演していた。09年は、リュスのパリデビューから100周年にあたる。

セルゲイ・ディアギレフの肖像(レオン・バクスト画
/国立ロシア美術館所蔵)
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このバレエ団は、舞台装置や音楽、脚本に、ピカソ、マティス、ミロ、ルオー、バクスト、ローランサン、シャネル、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ラヴェル、ドビュッシー、コクトー等々の芸術家たちが関わったことでも有名である。

29年のディアギレフ死去に伴い、バレエ団は解散したが、31年、ド・バジル大佐らにより「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」として再建された。バレエ・リュスでダンサー、振付をしていたジョージ・バランシンが振付師としてこれに参加したが、その後、レオニード・マシーンに交代した。34年には米国公演を敢行し成功をおさめたが、バジル大佐とマシーンの争いにより、団はモンテカルロと「オリジナル・バレエ・リュス」に分裂した。

映画は、ディアギレフ死後、後継バレエ団経営者たちの内紛に翻弄されつつも、バレエ・リュスの遺産を伝え続けたダンサーらのバレエに対する深い思いに焦点を置いている。

分裂した団はそれぞれに米国やオーストラリア、南米などを巡業した。ダンサーの出身国が一時17ヶ国にわたったという「モンテカルロ」が周った米国で、団に初めての黒人や少数民族ダンサーが加わったり、米国人振付師アグネス・デ・ミル(映画監督セシル・B・デミルの姪)による新感覚のバレエ『ロデオ』を上演したりといったエピソードなどにも映画では触れられている。

d0007923_22273519.jpg「バレエ団はもうからないもの」というダンサーのコメントにあるように、資金難で組織が弱体化し、「オリジナル」は48年、「モンテカルロ」は62年に活動を停止した。

「報酬なんてほんのわずか。でも『これが踊れるなら』『あのデザイナーと仕事ができるなら』と、そういう思いが財産だった」と映画撮影当時80歳を過ぎていたアリシア・マルコワ(右:14歳でディアギレフに見出されたバレエ・リュスの「ベイビー・バレリーナ」のひとり。故人)が生き生きと語る言葉が印象に残った。



バレエ・リュス草創期のダンサー
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  ヴァーツラフ・ニジンスキー(左) 相手役をつとめたリディア・ロポコヴァ(右)は、のち経済学者のケインズ夫人となった 

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  レオニード・マシーン(右:映画『赤い靴』(1948年)より)
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# by itsumohappy | 2009-03-06 22:57 | 映画 | Trackback | Comments(4)
2009年 02月 05日

北方四島渡航時における出入国カードの要求問題

2009年1月、北方領土への人道支援物資(医療器具約1.9トン:約950万円相当)を積んだチャーター船「ロサ・ルゴサ」号が、ロシア側から出入国カードの提出を要求されたため、物資を渡すことなく根室に引き返した。日本人の北方領土への入域は、これまで日ロ政府間で交わされた取決め(日ソ外相間往復書簡ほか)により、旅券・ビザなしで行われている。当然日本政府は、出入国カードの提出はロシアの四島への主権を認めることになるとして反発している。

  入域手続きは、はしけで島から来るロシア側の係官を待って船中で行われる。
  国後島古釜布沖で停泊中の「ロサ・ルゴサ」号(2007年5月のビザなし渡航時)
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北方四島への日本人の渡航に関する枠組は、以下の通り。

1.四島交流(ビザなし交流)
1991年4月に訪日したゴルバチョフ大統領の提案をきっかけに92年来毎年実施されている、日ロ相互の訪問事業。日本人の四島訪問には、旅券・ビザは要らないが、日本外務省発行身分証明書及び挿入紙が必要。元島民とその家族、四島返還運動の関係者、報道関係者、学術専門家等が参加できる。日本人の訪問先は、ロシア人住民がいる色丹、国後、択捉(歯舞群島には国境警備隊しかいない)。ロシア人の訪問先は道内が多いが、近年の実績を見ると東京、愛知、京都、佐賀等もある。
2.自由訪問
1998年、小渕首相・エリツィン大統領によるモスクワ宣言に基づき99年開始された。元島民とその家族(配偶者/子)が対象で、四島交流と異なり歯舞群島の訪問が可能。
3.墓参
元島民とその家族による墓参は、1964年から開始された。76年、ソ連が旅券・ビザを要求したため10年間中断したが、従来どおりの身分証明書による渡航方式により86年再開された。四島には日本人墓地が52ヵ所ある。
4.人道支援
1992年、ソ連崩壊後の混乱で困窮した四島ロシア人住民支援のため、外務省「支援委員会」による発電所など施設建設等の事業が開始された。支援委員会廃止後は、患者の受入れ、地震等災害時の緊急支援、人道支援物資の供与が行われることとなった。このうち、人道支援物資供与事業を、外務省の補助金事業として「千島歯舞諸島居住者連盟」が2003年、引き継いだ。

今回の出入国カードの問題で入域できなかったのは、この4の事業の訪問団(千島連盟と外務省の関係者)。

外務省は、「ロシア側が、北方四島への人道支援物資を搬入する直前になって、(中略)「出入国カード」の提出を一方的に要求してきた」(1.28プレスリリース)と表明したが、カードの問題は今回突然出てきた話ではない。

ロシアでは、02年の連邦法改正で入国審査の書類提出が義務化された。
08年10月、来道したロシア外務省サハリン州代表が、「09年以降、日本人に対する出入国カード記入が求められることになる」と発言し、北海道新聞(10月20日)をはじめ日経、読売、毎日でも報道された(21日)。03年6月にも、ロシアがビザなし渡航団に出入国カードを要求したという記事がある。(6月24日北海道、25日読売新聞)

つまり、前々からロシア側は「警告」を発していた。この度、船が引き返したのは半ば予想された事態とも言える。今回、人道支援事業関係者7人だけの渡航で、一般民間人は乗船していなかった。ロシアとしては、日本側に多少「配慮」したタイミングで、従来からの要求を通したのかもしれない。

今後、四島に渡航する際には出入国カードが必要、というロシアの主張がもし変わらなければ、日本政府は渡航事業を止めるのだろうか。ビザなし交流も17年間行われ、相互理解・友好という当初の目的はある程度達成されたと言われる。ロシア人住民の生活レベルも向上した今日、交流・支援事業がもし中止になってもロシア側は格別困ることもなさそうだ。とはいえ、島民は医療品を必要としているので、国後島の地区長は、来道の機会に根室で物資を受け取るという意向を示したらしい。

    爺爺岳(国後島)
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麻生首相は、今月半ば、メドベージェフ大統領の招待を受けて、「サハリン2」からの天然ガス輸出開始の式典に出席するため、日本の首相としては初めてサハリンを訪問する予定である。その際行われる日ロ首脳会談で、或いは首脳会談までに、この問題がどう解決されるか関係者は注視しているだろう。

(2009年1月23・29・30日、2月5日北海道、1月29日朝日、1月30日読売新聞、外務省のサイトより)
(四島交流実績はこちら参照)
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# by itsumohappy | 2009-02-05 23:15 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(2)
2009年 01月 18日

映画 『チェチェンへ アレクサンドラの旅』

d0007923_22334531.jpgアレクサンドル・ニコラエヴィッチ・ソクーロフ監督の最新作。原題『アレクサンドラ』。
往年のソプラノ歌手、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(1926~)がタイトルロールを演じている。2004年、戦下のチェチェンの首都グローズヌイなどでロケが行われた。

物語は、アレクサンドラ・ニコラエヴナ(ソクーロフ監督の名前の女性形になる)が、カフカスのロシア軍駐屯地で活動する将校である孫に会いに行き、駐屯地(本物だそうだ)の兵士や周辺の地域住民と触れ合うというシンプルなもの。映画では「カフカスでの長い戦争」という言葉や破壊し尽くされた建物で、チェチェンが舞台であることを示唆している。戦闘を暗示するシーンがちらっと出てくるだけで、武器を実際に使っている場面はない。砂ぼこりの絶えない駐屯地で、劣悪とも言える汚いテント生活を送り、掃討作戦に携わるまだあどけない顔の兵士たちを見たらどう感じるか。街を破壊したロシア兵たちを地元民はどのように思っているか。アレクサンドラは、周辺をよたよたと歩き回りながら観察する。映画は、普通の人が自然に持つであろう感情を表現していて、反戦を声高に訴えるといった政治的な意図はあまり感じられない。

d0007923_22271755.jpg場面に余計な説明はなく、観客の想像に委ねている部分も多い。アレクサンドラは、たった2日間の滞在ではごく表層的なものにしか気づいておらず、日々戦闘に従事して、人もおそらく殺し、明日の命も知れない孫や、親しくなったロシア語の堪能な優しいチェチェン人女性の複雑な気持ちまで理解しきれていないのでは、と思わせる。

ソクーロフ監督は、『アレクサンドラ』を制作した理由を「単純な話は普遍的であり、誰にでも起きることだから」とし、「舞台がイラクでも通じる」と語っている。この映画は、プーチン大統領(当時)のお気に召さず、当局の嫌がらせによりロシアの上映館では、公開時十名弱の観客しか集まらなかったそうだ。

画面の色が意図的なのかかなり茶色く褪せていて、暑苦しさが伝わってくるよう。ところどころにうっすらとヴィシネフスカヤの1940年代の歌声が流れる。

現在、ユーロスペース(東京)で公開中。順次全国公開の予定

  ガリーナ・ヴィシネフスカヤ。右は夫の故ロストロポーヴィチと
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(参考:2007年12月16日北海道新聞、Proline Filmのサイト、文藝春秋『本の話』2008年)
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# by itsumohappy | 2009-01-18 22:42 | 映画 | Trackback | Comments(2)
2009年 01月 10日

最近の話題から

最近の報道からロシアに関する話題を紹介します。

●天然ガス供給紛争の不透明な背景
2008年12月31日、ロシアとウクライナの天然ガス価格交渉が決裂したことをきっかけに、ロシアはウクライナ経由の欧州向けガスの供給を停止した。09年1月13日、EU監視団の派遣を受けて一旦ガス輸送が再開されたが、ガス価格の契約交渉が進展しないため、依然不安定な供給状態にある。欧州の17カ国がガス停止の影響を受け、なかでも備蓄のほとんど無いセルビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが深刻な状況に陥った。EU諸国の消費する天然ガスの約4分の1はロシアからの輸入であり、その8割がウクライナ経由のパイプラインで運ばれている。

輸送停止の理由としてロシアは、「ウクライナによるガス抜き取り」と「料金滞納」を挙げている(ウクライナはガス抜き取りについては否定。一方、延滞料などを含む滞納分約20億ドルのうち7割強は既に支払い済みと表明した)。06年にも料金改定を巡って起きたガスの供給停止は、新欧米政権が誕生したウクライナに対するロシアの圧力と見られた。この06年の紛争解決の際、ロシアは、ガス供給のための仲介企業の参入をウクライナに認めさせた。

主要な仲介企業が「ロスウクレエネルゴ」社。06年からロシア産を含む中央アジア産のガスを、ウクライナ(及び同地経由の欧州)へ独占的に供給している。04年に設立された同社はスイスに拠点を置き、ロシアのガスプロムが50%、オーストリアのセントラルガスホールディングAGが50%出資している。セントラル社の全株式は、ウクライナの実業家2名が保有する。ロスウクレエネルゴ社については、06年、ロシア、ウクライナの絡む贈収賄疑惑が取りざたされ、両国議会でも問題となった。

ウクライナのティモシェンコ首相はかねてよりロスウクレエネルゴ社を汚職の温床とみなし、同社の排除を訴えている。ウクライナ国内へのガス供給は、ロ社の子会社ウクレガスエネルゴが収益の高い産業界に、ウクレガスエネルゴ社から供給を受けるナフトガス(ウクライナ国営ガス会社)が利益率の低い家庭向けに行っており、ナフトガスの経営は悪化しているという。

ガス供給停止の背景には、「ナフトガス輸送網掌握によるロシアの権益確保」「NATO及びEU加盟を目指すウクライナに対するロシアの圧力」「ウクライナを迂回するバルト海経由のロシアパイプライン計画のアピール」などが伝えられている。なかでも、ロシアのエネルギー専門家は、ガスプロム及び仲介企業がプーチン首相周辺の租税回避先であるため、ウクライナがロシアに求めたこれら仲介企業の排除が「ロシア側の機微に触れた」ことを指摘している。

   ガス停止の影響が欧州各地に広まっている
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  (SOURCE: BBC 09/01/2009)
【2009年1月3日ロイター、8日毎日、日本経済新聞、10日BBC、13日朝日新聞より】

●ロシア憲法改正により大統領任期が延長される
2008年12月30日、メドベージェフ大統領は、大統領任期を現在の4年から6年に延長する憲d0007923_2161861.jpg法改正法案に署名した。このほか、下院議員の任期も4年から5年に延長された。実質的な憲法改正は93年制定以来はじめて。次回選挙から改正が適用される。メドベージェフ大統領がこの改正の意向を示した11月5日から2ヶ月経たないうちに、上・下院、83地方の議会における審議が終了した。プーチン首相の大統領返り咲きが取りざたされているが、同首相は、職にとどまり経済危機に対処することを表明している。

【2008年12月31日毎日新聞、ワシントン・ポストより】

●ロシア政府、公的支援対象企業のリストを公表
2008年、ロシアでは、グルジア紛争に続き金融危機及び原油価格急落の影響を受けて、資本の国外退避が加速。08年10月の1カ月で約500億ドルが流出した。株価指数は08年、5月のピーク時から7割下落。原油価格1バレル95ドルを想定して編成された09年度予算は、70ドルを下回ると赤字であり、大幅な見直しが必要となった(1月9日現在1バレル=約42ドル(WTI2月物))。
08年12月25日、ロシア政府は、経営破たんが懸念される基幹産業を救済するため、今後国が減税措置等を行う企業295社のリストを公表した。エネルギー、運輸、鉄鋼等25業種にわたり、ガスプロム、ロスネフチなどエネルギー関係が35社と最も多い。今後も支援を受ける企業が順次リストに追加される予定。
【2008年12月23日イタルタス、31日日本経済新聞、フォーリンアフェアーズ2009年1月号より】

●人工衛星等の打上げ、2009年は39回を予定
ロシア航空宇宙局は、2009年に打ち上げる人工衛星の発射を39回予定している。このうち半数が商業利用。08年の27回、07年の26回を上回る記録的回数である。グロナス衛星システム(ロシア版GPS)の拡充も金融危機の影響を受けることなく予定どおり行われる。同システムの衛星数を現在の19から2011年までに30に増やす。08年は6つ打ち上げられた。このシステムに07年は3.6億ドル、08年は26億ドルの予算が充てられた。

    主要な発射場であるバイコヌールには15の発射台がある
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   (写真:JAXA)
【2008年12月29日RIAノーボスチより】

●ソルジェニーツィン氏の全集刊行へ

ソルジェニーツィン(1962年)
d0007923_2110380.jpg2008年8月死去した作家ソルジェニーツィン氏の誕生日に当たる12月11日、ロシア各地で追悼行事が行われた。ナタリア夫人によれば、今後数年かけて30冊に及ぶソ氏の主要な著作集が出版される予定であるという。夫人は、将来は、氏の誕生日に新設されたサイトで、著作メモ等も含む全ての作品が公開されることを望んでいる。既に短編や『イワン・デニーソヴィチの一日』の朗読版などが掲載済みである。


       作家は遺志によりドンスコイ修道院に葬られた 
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【2008年12月11日AP、12日Russia Beyond the Headlinesより】

●日清カップヌードル、ロシア進出へ
2008年12月26日、日清食品ホールディングス(株)は、アングルサイド社(本社キプロス)と資本業務提携し、ロシアのカップめん市場に進出することを表明した。アングルサイド社は、ロシアの即席めんトップシェア(41%)会社マルベン社の持株会社である。
ロシアは、即席めんの年間総需要が08年推定で約20億食(世界第9位。年間一人当たり約14食)の大量消費国。近年ロシアでは、めん類を含む高品質・高価格帯の食品の販売比率が拡大している。日清は、将来的には周辺CIS諸国をも視野に入れ、販路を拡大する計画である。即席めん製造の技術指導、援助も行う予定。
【2008年12月26日日本経済新聞、日清食品HDのサイトより】
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# by itsumohappy | 2009-01-10 21:22 | ロシア | Trackback | Comments(6)
2008年 12月 07日

ボリショイ・バレエ「ドン・キホーテ」

d0007923_2344065.jpgボリショイ・バレエ「ドン・キホーテ」の感想です。(12月3日/東京文化会館)

2007年9月のマリインスキー・バレエ&ボリショイ・バレエ合同ガラ公演で、ドン・キホーテ/第3幕のパ・ド・ドゥにマリーヤ・アレクサンドロワ(キトリ)とセルゲイ・フィーリン(バジル)が登場し、アレクサンドロワのかっこ良さが大変印象に残ったので、同じキャスティングであったボリショイ公演を売り出し同時に買った。その後、2回の配役変更で、バジルはドミトリー・ペロゴロフツェフになったが・・・。アレクサンドロワが予定通り出演してよかった。そもそも平日公演で行かれるか心配だったけれども無事鑑賞できた。

開演前に、年内でボリショイを退任するラトマンスキー芸術監督からお話が少々。王子王女ものでなく、民衆が主体の「ドン・キホーテ」は、(帝都であったペテルブルクよりも)モスクワで人気の演目らしい。150年間ロシアで踊り続けられ、ボリショイでは「モスクワ・スタイル」ともいうべきダイナミックな踊りが見どころ。振付をしたプティパは、「ドン・キホーテ」に出演するためにロシアにやってきたそうだ。

      アレクサンドロワ。第一幕より(Photo: Alexandra Kocitsina)
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明るく楽しい、元気な舞台にアレクサンドロワはぴったり。めりはりきいて力強く、表情を見ていても楽しくってたまらないみたいな気持ちが伝わってくる。どう?私の踊り、存分に観て頂戴というゆるぎない自信に溢れていて小気味よい。真面目そうなペロゴロフツェフは一歩引いてアレクサンドロワを立てていたように見えた。
2幕目の優美な夢のシーン、きれいでした。

踊りがよくついていけるなぁと感じるほど音楽がスピーディー。闘牛士たちのシーンではマントをハイスピードでそろってくるくる回す。闘牛士の筆頭?を演じていた端正なアンドレイ・メルクーリエフ、ロマの踊りを情熱的に踊ったアンナ・アントロポーワが印象に残った。とはいえ、どの出演者も実にたいしたものです。

楽団も合わせ大勢の所帯のせいか料金もそれなり。他の演目までなかなか手が出ない。
日本初演の「明るい小川」はどんな感じだろう。
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# by itsumohappy | 2008-12-07 23:10 | 演劇 | Trackback | Comments(4)
2008年 12月 02日

『カラシニコフ自伝 -世界一有名な銃を創った男』

d0007923_23284448.jpgフランス人ジャーナリスト、エレナ・ジョリー氏聞き書きによる自伝の紹介です。(2008年4月 朝日選書)

自動小銃AK-47(自動小銃カラシニコフ1947年型)の開発者ミハイル・カラシニコフ(1919-)は、この本によれば「世界で最も頻繁に口にされるロシア人の名前」である。

1947年、コンペで入賞し、のちソ連軍に採用されたAK-47は、冷戦時代、ワルシャワ条約機構加盟国全てに代価を支払うことなく製造が可能だった。AKは、部品に隙間を持たせる設計で、砂・泥水に強く故障が少ないのが特徴。この銃は、70年代、ベトコンの勝利に「貢献」し勇名をはせた。現在も、アフガニスタン、イラク等々の紛争地で、直近ではインドで起きたテロ事件でも使われている。

カラシニコフ氏は、11歳の時、スターリンによる農業集団化を目的とする「富農撲滅運動」
の犠牲となった。一家は財産を没収されてシベリアに送られ、過酷な労働で父親はまもなく死去した。カラシニコフは、国内移動のためのパスポートを偽造し追放地から脱走。行く先々で「人民の敵」であったことを隠し続けた。自身の過去を語れるようになったのはゴルバチョフが登場してからだという。
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カラシニコフは、1938年、ウクライナで兵役に就いたが、独ソ戦で負傷し、近代的な銃器でファシストを倒したいという思いにとらわれた。当時の軍における有力者、ジューコフ将軍との出会いが、本格的に兵器開発に携わるきっかけとなった。独学で技術を身につける一方、セネカ、モンテスキューらの著作も愛読。「私の大学」である書物から幅広い教養を身につけた。

兵器開発で国に貢献したカラシニコフは、旧ソビエト最高会議の代議員にも選出されたが、政治とは一定の距離を置いた。名誉は得ても、売買された銃器から利益を得ることはなかった。カラシニコフ銃が、自身の意思とは無関係に世界のテロリストにも広まったことについて、設計以外に決定権を持たなかった自分に責任はないと語る。「祖国を守るため」に銃を作った人物として人々の記憶に残りたいそうだ。

興味深いのは、スターリンを「両親よりも身近な存在」として尊敬していたと述懐するくだり。ゴルバチョフはソ連の崩壊を招き、エリツィンは酔っ払いと切り捨てている。ソ連時代は、スタート地点で平等の権利を与えられたと語り、共産主義についてそれなりの評価をしているようだ。

d0007923_23302232.jpgカラシニコフが我慢ならないのは、新ロシア人と呼ばれる新興富裕層。真面目に働こう、新たに何かを生み出そうという意思がなく、不当に利益を得た連中として断じている。諸外国を見ると、豊かな資源を持つロシアは、もう少し望ましい発展があったのではないかと歯がみする、国士ないし実直な愛国者的姿勢が印象的。
ウラルの奥地、イジェフスクに慎ましく暮らし、今でも機械工場で働いているとのことだ。
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# by itsumohappy | 2008-12-02 23:35 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)