ロシアが気になる

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2005年 11月 11日

羅臼の漁船の拿捕

11月3日、国後島付近でホッケ漁をしていた羅臼の漁船がロシア国境警備隊に捕まり、取調べのため国後島のユジノクリリスク(旧地名:古釜布)に連行されてしまった。10日現在、その後どうなったか音沙汰がない。拿捕の理由は、指定区域外で操業し、許可されていない魚が船にあったためらしい。
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いくら北方領土(択捉、国後、色丹、歯舞)は日本の領土と叫んでもロシアが実効支配している地域なわけで、かつてその付近での操業は、ロシア側の銃撃など危険と隣り合わせであった。
領土問題は未解決のままであるが、98年、ロシアとの協定により、取締りの管轄権を棚上げし、一定の条件のもと安全に操業することができるようになった。毎年の交渉で魚種や漁獲量、隻数が決められる。操業中、網に入った指定外の魚は海に戻す。秋から年末まではホッケ、年始から3月初旬まではスケトウダラなどの漁ができる。協定遵守のかわりにロシアは臨検しない(のが暗黙の了解)。ロシアへの相応の見返りはあり、漁業者は2千万くらいの資源保護協力費(一応日本の領土なのだから入漁料とは言えない)を払う。その他水産研究の機材の供与とか日本政府による対ロ技術支援もある。

ちなみにこの協定ができるきっかけを作ったのが、先の選挙で返り咲いた鈴木宗男議員だ。世帯の約3分の1が漁業に従事している羅臼町では絶大な人気があるらしい。この町で鈴木氏は60%の得票率を得た。

今回の拿捕は協定締結後はじめてとのこと。日本側に目に余る行為があったのか。たまたまロシア側の警備隊の機嫌が悪かったのか。
船の中にあった禁止魚は「エビ15匹、キンキ120匹、ツブ150個」だったそうだ。キンキというのは食べたことがないのだが、一匹2~3千円位もする高級な深海魚。別名キチジ、キチジ(吉事)であるからして鯛のとれない北海道ではその代わりになるらしい。   

キンキ
d0007923_2124628.jpgロシアの目をかすめて?ちょっとくらいとりたい気持ちになっても不思議ではないなぁ。ともあれ、拿捕漁船の関係者は心配しているだろう。ロシア大統領の来日を目前にそうひどい扱いは受けないと思われるが・・。
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# by itsumohappy | 2005-11-11 21:37 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
2005年 11月 07日

革命記念日

11月7日(ロシア暦10月25日)は10月革命を記念する祝日、だった去年までは。今年からなんと祝日ではなくなったそうだ。ソ連時代の革命記念日といえば、赤の広場をミサイル積んだ戦車みたいのや兵士が軍事パレードし、それを例のふさふさ黒毛の帽子かぶった党のお偉いさん方が横一列に並んで宮殿上から閲兵するシーンを必ずTVニュースで報道したものだ。西側社会は、彼らの立ち位置でそれぞれのクレムリンにおける影響力を推し量っていた。あ、3番目にいます!とか言って。

  赤の広場  党書記たちは右側の木々付近の上から閲兵していた 
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かわりの祝日として11月4日に「民族統一の日」ができた。1612年、商人ミーニンとスズダリ大公パジャルスキーが義勇軍を率い、モスクワをポーランド軍から解放した記念日である。

  聖ワシリー寺院前にある銅像がミーニンとパジャルスキー
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国をまとめるのに愛国心に訴える政策をとっているのは中国に限らない。同じように広大な国で100以上もの民族がいるロシアでも同じことだ。しかし、新聞によればこの祝日変更に国民はそれほど賛成せず戸惑いの声もあるとか。

4日の「民族統一の日」に極右がモスクワで他民族排斥を掲げてデモをしたらしい。外国人留学生を襲ったりする事件が前々からあるそうだし、日本大使館員も最近被害に遭っている。愛国心と民族主義。一歩間違うとおそろしい。民族問題は日本人にはぴんとこないが根の深い問題だろう。
モスクワ旅行中、市内から郊外に行く途中でハイウェー脇に男性が多く集まっている場所があった。ガイドが、カフカスからの人たちで、そこで仕事のあり口を探すのだと言っていた。おそらく危険できつい肉体労働をするのであろうが、彼らのような(イスラム系の)不法移民に向けられる目は厳しいようだ。
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# by itsumohappy | 2005-11-07 22:00 | ロシア | Trackback(1) | Comments(0)
2005年 11月 04日

プーシキン 『ベールキンの物語』 『エヴゲーニー・オネーギン』

ロシア文学と言えばまずひたすら長大で気軽に読もうという気が起きないイメージがある。トルストイやドストエフスキーの著名な作品を読んでもなんだか疲れたなぁという思い出があるだけで、あまり感銘を受けたって記憶がない。大人になってから読むと全然違うんだろうか。しかしもう『戦争と平和』とか『カラマーゾフの兄弟』を読む気力はないなぁ。

ロシア文学の神、プーシキンの作品では、中高生の頃に『スペードの女王』『大尉の娘』などは読んだ。内容は覚えていないのだが、面白かったように記憶している。でも特にその他の作品を読んでみることはなく、しばらく忘れていた。

プーシキンの肖像  右は自画像
d0007923_16514988.jpgロシア人はプーシキンの作品を読みながら成長していく、と言われるくらいお国ではプーシキンの存在は大きいらしい。日本で存在がもうひとつなのは、時代が古いせいもあるが詩句のすばらしさというのはもとの言語でないと理解しにくいこともあると思う。

『ベールキンの物語』と『エヴゲーニー・オネーギン』を読んだ。
ベールキンは『A.Pによって刊行されたる故イヴァン・ペトローヴィチ・ベールキンの物語』という小難しい題名であるが、5つの独立した短編から成るもので、どれも簡潔で読みやすい。広大な大地を背景に農奴制と貴族社会というロシアならではの前近代性を頭に入れながら読むと面白い。昔は田舎にこんな貴族がいたんだろうなぁ。名前でも田舎の子の名前とかあるようで、そういう当時の社会風俗の解説がついていると楽しめる。ベールキンに限らないが。

『エヴゲーニー・オネーギン』は、プーシキンの代表作。今まで本を開いてみてその見慣れぬ構成におののいて、ストーリーは知っていたが読まないままでいた。これは小説ではなく物語詩で、一見とっつきにくいが読んでいくうち慣れてちゃんと物語の世界に入っていける。プーシキンが腐心したであろう韻とか字句の構成美は翻訳では失われるが。当時数部に分かれて出版され、読者は次編の出版を心待ちにしていたそうだ。

やさぐれ貴族オネーギンの描写が読みどころのひとつだろう。プライドだけは高く才気は上すべり気味の様子や決闘の原因となる友人への態度など、他人の純粋さをからかうねじけぶりが淡々と描写されていく。タチアーナはまさにロシアの大地の強さを持つ理想の女性として描かれる。最後のオネーギンとのやりとりのシーンはぐっとくるものがある。
この作品はオペラやバレエにもなっている。映画ではレーフ・ファインズがオネーギン、リブ・タイラーがタチアーナをやった。なかなかよい映画だったと記憶している。まあ原作がよいからまじめに作ればよいものになると思う。
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プーシキンは『オネーギン』のシーンにあるような決闘を実際にやり、その傷がもとで37歳で死んだ。伝記を見ると20歳くらいの時から決闘騒ぎをしている。自ら誇っていたエチオピアの熱い血のせいか。ドラマチックな人生だ。
 
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# by itsumohappy | 2005-11-04 21:23 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
2005年 11月 01日

ロシア語学習

ロシア旅行時、街中の標識にある地名が全く想像がつかなくて落ち着かない気分になった。特に飛行場で地名が読めないということはかなり致命的だ。(国際線ではローマ字表記もあったが)日本はどこ行っても駅名や道路標識にローマ字が併記されていてよほど親切だ。
せめて地名や人の名前くらいは読めるにこしたことないと思い、10月からテレビロシア語講座の再放送を録画後に眺めている。ひと月かかってなんとかロシア文字に見慣れてきた感じ。

Б Г Д Ё Ж З И Й Л П Ф Ц Ч Ш Щ Ъ Ю Я

アルファベットのうち、ん?と思う形の文字だけでもこれだけある。これをきちんと覚えないと辞書もひけないわけで、バスの中などで思い出しては忘れ、を繰り返している。ロシア文字はアートっぽくて面白いがローマ字でも使う字は混同しがちだ。Ha(な)とかPa(ら)などがそうだ。
並んだ文字を、えーっとうーんとと、うなりながら解析?するように読んでいる。簡単なので例えば、

икра → イクラ     
イクラはなんとロシア語起源だった!今日みたロシア語講座でクレープ(ロシア語ではблины(ブリヌイ))の具になっていた。なんか思いもよらぬ取り合わせで衝撃。
якитори→やきとり    ロシア文字だとやきとりも哲学的に見える。   
Я Николай.→私はニコライです。  Яは英語のIに相当。

今のところは名詞と読み方に慣れて、TVでやっている挨拶文を少しずつ覚えていくくらいがやっと。冠詞がないのはありがたいが、名詞の性による語形の変化はロシア語でも避けられない・・。こんなペースではプーシキンが読めるまで相当時間がかかりそうだが、まぁのんびり続けますかね。。
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# by itsumohappy | 2005-11-01 20:06 | ロシア | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 26日

三笠とオーロラ

横須賀の記念館三笠で、イギリスから寄贈された日露戦争当時の写真展をやっていると新聞にあったので見に行った。(10月8日) 基地が公開されているとそれなりに街に人が多いのだが、この日は寂しいくらいまばら。Yナンバーが走っていなければ普通のうらぶれた港町って感じである。横須賀は何度も行っているが三笠に入るのははじめてだった。
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甲板と中の展示室を見て回り、解説などを読んでいるとけっこう時間がかかった。ひっそりやっていた特別展示の写真展もなかなか面白く、現代の、コンピュータが操る戦争と違って、いわゆる昔ながらの戦争のイメージそのまんまであった。観戦武官なんて知らなかったし。旅順港口閉塞戦という言葉は知っていたが、船を沈めた写真を見てはじめて具体的にわかった次第。

(写真)(上)艦橋から 東郷司令官が指揮したところ。(下)「艦橋の図」(東城鉦太郎画/三笠保存会所蔵)
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展示室にT字戦法ジオラマ?みたいのがあって、沈んだロシア船の名前がずらーっと出ていた。
38隻のうち20隻も沈んでしまった。ペリーが来てから半世紀ちょいしか経っていなかったのだから、いま想像する以上に輝かしい出来事だったのだろう。

ウラジオストック艦隊の応援で遠路はるばるバルト海からアフリカを回って対馬まで来たロシア船。地図を見るとほんとよくがんばってやってきたよね・・と思う。
当時のロシア船で残っているのは巡洋艦オーロラ号だけらしい。ペテルブルグのネバ川をはさんで夏の庭園向かいに係留されている。実際見るとよくこんな小さな船がここまで帰って来られたなーと感じる。

(写真)オーロラ号 左は陸軍幼年学校
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外国の軍関係者が来ると必ずここを表敬するらしい。1917年の10月革命時には、空砲を撃って冬宮攻撃の合図を送ったそうだ。その意味でもこの船はロシア史を象徴するもののひとつなのだろう。


三笠からの帰り、観音崎をまわってペリー公園、くりはま花の国に寄って帰った。花の国はコスモスの頃おすすめです。

(写真)ペリーの久里浜上陸記念碑  くりはま花の国
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# by itsumohappy | 2005-10-26 00:41 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 22日

プーシキン美術館展

モスクワに行ったとき、道路の混雑で時間的余裕がなくなって行かれなかったプーシキン美術館。あー今でも心残り。なので、上野にやってきた出張展示会「プーシキン美術館展 シチューキン・モロゾフ・コレクション」に初日に行ってきた。朝から雨が降って暗い天気。込んでいるのか空いているのか全然見当つかなかったが、早目が無難かと思い9時半ちょっと前に着いた。会場の都美術館は狭くて暗く、雑然とした所で私が嫌いな建物のひとつ。今日はさすがに外に行列はできていなかったけれども、会場内に入って鑑賞しだすと、どんどん人が入ってきてこれ以上込んでは混雑で身動きとれなくなりそうなくらいだった。

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印象派の絵画は全般に明るく親しみやすい。西洋絵画を見るとき、誰もが最初に馴染むジャンルなのではないだろうか。私がはじめて見た印象派の展示会は「ソ連邦所蔵の-フランス近代絵画展-プーシキン・エルミタージュ両美術館から」(1979年)で、親に頼んで連れて行ってもらった記憶がある。絵画展の図録を買ったのもこのときが最初だ。会場も同じだが今の建物だったかは覚えていない。この時買ったポスターや絵葉書は今でもある。今日の展示会に当時見たものが6,7点あった。「白い睡蓮」などに26年ぶりに再会したわけだ。

今回の展示では1階ではルノワール「黒い服の娘たち」がよいなーと思った。少女のかわいらしい表情、黒い服なのに画面が暗く見えないテクニックが印象に残る。2階では目玉であるマティス「金魚」。これを目当てに今日は行ったようなものだ。
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マチスは別に好きではないが、この絵はとにかく見ていて飽きない要素に溢れている。構成、色彩、タッチ。鑑賞している周りの人が「小学生の絵みたいねー」なんて話していたが、確かになぐり書き風で遠近もへんだし、もののあるべき直線・曲線など全く無視している。しかし、実はとても緻密な計算がされているように思う。そして緻密でも、描きながら瞬間芸のように色を載せてそれを感じさせないようなテクニック。黒い床?上のテーブルにある巨大な金魚鉢と周辺の植物の他には壁紙?と階段の手すりなのかなんなのか、不協和音の画面ながら不思議に統一感があるし。金魚の白目も何気にかわいいし。緑、ピンクを散らした中心に赤い金魚という色彩のハーモニーもポップで、ほんと面白くて楽しい絵だ。

展示会の作品は、もともとシチューキンやモロゾフが心血注いで集め、それぞれの邸宅を飾っていたものだ。革命後国家の所有になり、彼らはどんな思いだったろう。その後、プーシキン美術館やエルミタージュ美術館がコレクションを分割所蔵することになった。モスクワ旅行時のロシア人ガイドは、モロゾフは革命後パリで自殺したと言っていた。シチューキンの遺族は美術品の返還を願っているともどこかで読んだ。でも後世いろんな国の人が愛で外貨も稼ぎ、大事にされているわけだから幸せな絵画人生?なんじゃないかな。
              
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   ルノワール「黒い服の娘たち」とモネ「白い睡蓮」
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# by itsumohappy | 2005-10-22 22:17 | 展示会 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 16日

『北槎聞略』-大黒屋光太夫の苦難

エカテリーナ2世に謁見した日本人、大黒屋光太夫。
1782年に伊勢を出帆後、嵐に遭って8ヶ月漂流、アリューシャンまで行き着いた。その後ロシアの東端から大陸をペテルブルグまで移動し、1791年、帰国願をエカテリーナに直訴。翌年、対日通商を求める使節アダム・ラックスマンに伴われて根室に帰国した。 

(写真)エカテリーナ宮殿内 光太夫がエカテリーナ2世に拝謁した間
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帰国した光太夫が見たロシア事情を、幕命で学者桂川甫周が聞き書きし、『北槎聞略』として幕府に提出した。これの現代語訳(原文は漢文調で結構読むのが大変らしい)を図書館で借りて読んでみた。10年に及ぶ波乱万丈の物語であり、なかなか面白かった。

漂流の経緯、仲間の乗組員の運命、キリル・ラックスマンとの出会いといった帰国までの話に加え、ロシアの風土、気候、歴史、言葉、冠婚葬祭、動植物、生活一般等々が絵図とともに記されており、当時としてはかなりの情報だったと思う。これだけの内容を語るには、光太夫はメモなどをまめにとっていたのではないだろうか。ロシア人の生活の様相をつぶさに観察している。折々に聞き手の甫周が、自身の蘭語の文献などから得た情報を合わせて補足説明している。鎖国下でも海外事情をよく研究しているのがわかる。

光太夫はあちこちでロシア人の世話になり、食客みたいな感じだ。時には辞書作成の手伝いなどもしている。ツァールスコエ・セロー(エカテリーナ宮殿のあるペテルブルグ郊外)滞在中、宮中から皇太子の馬車で寄宿場所に戻って周囲の人をびっくりさせた話、ペテルブルグの娼家に連れて行かれ日本の話を聞きたがる娼婦達に囲まれて、帰国前には彼女らからお土産をもらった話、マスカレード(仮面舞踏会)の何が面白いのかわからないが、それがある度に着物を貸してくれと言われた話などエピソードも多い。

厳寒のシベリアを横断した光太夫は、驚異的な体力と気力の持ち主だったのであろう。帰国後、幕府からあてがわれた屋敷に暮らし、78歳で死去している。
光太夫の文物はペテルブルグのクンストカーメラ(人類学民俗学博物館)にあるそうだ。
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# by itsumohappy | 2005-10-16 22:32 | 文学・本 | Trackback(1) | Comments(0)
2005年 10月 12日

プーシキン 『青銅の騎士』

9月にサンクトペテルブルグを初めて訪れた。ホテルが中心部から遠かったこともあって短い滞在で観光できたのはごく一部分だ。しかしながら強い印象を受けた。運河のせいか華麗な冬宮のせいかよくわからないのだが、忘れがたい街だ。
沼地のようなところに何万人も徴用してむりやり?街を作りあげたのはピョートル大帝。厳しい労働で街の誕生までに10万とも20万とも言われる多くの人が犠牲になったらしい。建都後も何度か大規模な洪水に見舞われた歴史がある。

デカブリスト広場(元老院広場)の端に、ネバ川に向かってピョートル大帝の像が建っている。エカテリーナ2世が大帝を称えて作らせたものだ。
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その昔ペテルゴフ(ペテルブルグ郊外)で悪さをしていた大蛇を大帝が懲らしめたという伝説があるそうだが、この大帝の像に踏みつけにされている蛇は北方戦争の敵方スウェーデンの寓意らしい。ロシアの大詩人プーシキンの作品にちなみ「青銅の騎士」像という。で、帰国後さっそく『青銅の騎士―ペテルブルグの物語』を読んでみた。解説を見るとペテルブルグのイメージを後世決定づけたと言われる小説(というか詩)だそうだ。

洪水によって人生の夢と希望を打ち砕かれ狂気となった男が、街の破滅をものともせず、悠然と高みにそびえる青銅の騎士に挑む。
物語詩というのか、「オデュッセイア」みたいに詩形式にストーリーが流れる。私にはあまり読みつけないジャンルである。叙情的という言葉はわかりにくい表現だが、こういう作品のことを言うのだろう。原文でなければ韻などを鑑賞することは不可能であるが、日本語訳からでも喜怒哀楽の感情のうねりが行間に窺える。デカブリストの乱を暗示させる部分は、皇帝ニコライ1世の検閲で当時削除された。
物語は短く、簡潔であるが、デカブリストのシンパであったプーシキンが熱い魂の持ち主であったことが感じられる。この時代、この街、そしてプーシキンでなければ成り立たない。そんな作品だと思う。いつの日かロシア語で読んでみたい。
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# by itsumohappy | 2005-10-12 00:00 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 10日

サンクトペテルブルグとモスクワ紀行

夏休みにロシアに行った。あまりにも暑かったので、涼しいところへと思って、行き先はサンクトペテルブルグとモスクワ。各3泊した。
時期は9月中旬(11日の週1週間))、ある大手旅行会社のツアー(値段的にはBランク位?)に参加し、泊まったところは市内中心からけっこう離れた外国人用の大きなホテル。添乗員のほか、各市で現地のガイドがつき、市内移動はバスというよくある団体旅行で、モスクワーサンクト間は飛行機で移動した。

観光は自由時間時を除き団体客として見学、私が買い物したところはホテルや案内されるみやげ物店、空港だった。街中のスーパーや商店街のお店では買う時間がなかった。自由時間はほとんどなく、観劇などを除き、大部分が日中の行動だった。
旅行期間中のだいたいのレート換算は1ルーブル4円、1ドル110円、1ユーロ140円ってとこだった。

旅行前、ガイドブックをあらゆる書店で探したが、結局「地球の歩き方」1冊しかない。
JTBに問い合わせたら以前あったものは絶版で今後発行する予定もないとのこと、なんでー?ロシアへ旅行する人はそんなに少ないのかしらん。そういうわけで、旅行前は、新しい情報をあまり収集できなかった上、外務省の渡航情報を見ると不良警官の旅券チェックだのスキンヘッドの暴力だの鬱になることばかり出ていて、旅行先のイメージがわかないというかどうもとらえどころがなかった。

結論から言えば、日中、観光地を見学する分には通常の注意を払っていれば他所のヨーロッパの観光地と多分変わらないであろう。ただ、滞在登録や外国人料金の設定などのシステムは時代遅れだし、ロシア語表示のみのところも多く街中でどこにいるのかわかりにくい。郊外の施設など個人は夕方にならないと入れなかったりする。地下鉄の料金もよく値上げするらしいし、撮影でも月によってフラッシュがよかったりだめだったり(クレムリン内武器庫がそうだった)というように、たぶん様々な面で状況がよく変わるため、ガイドブックも作りにくいのかもしれない。でも見学先には事欠かないし、外国人観光客の増加に伴い少しずつ改善されていくだろう。

では、以下に雑多な印象を。

アエロフロート
成田第二ターミナルの隅っこから出発。ヘッドホンも配られないし、映画も上映されない。ちょっとサミシイ。期待はしていなかったので、まぁこんなものかと。機内誌「オーロラ」は写真がきれいだし内容もよい。モスクワやサンクトの簡単な市内地図&ガイドも載っているので乗り込む時もらっておくといいかも。
行きの飛行機で、座席の手すりがパコーンと外れてあせった。押し込んで直した。それでも一応ボーイングの飛行機だし(767)、アエロのパイロットの操縦は、真偽は不明だがうまいって噂だし、もうちゃんと飛んでくれればいいやって感じ。モスクワ→サンクトの国内線はツポレフ154。120人乗り位のちっこい飛行機で、汚いお手洗いのかほりが漂っていたのが何とも・・。非常口脇に座っていたがなんだかずっとキコキコ音がしてたし。しかし、これもちゃんと飛んでくれた。よかった。

国内線移動での注意事項は荷物!開けられて金目のものが盗られることが頻発しているらしい。モスクワの空港では荷物を巻くラップぐるぐるマシーンがあった(有料)。鍵穴部分にがんばってガムテープで巻いたりしても多分やられるときはやられるんだろう。幸いそういう目には遭わなかった。テロを抱える国であるからセキュリティも当然ながら厳しい。荷物チェックは2回された。携帯電話を預け荷物に入れてはいけない。出国時の預け荷物の計量は厳格。なんだかんだで時間がやたらとかかる。帰国時の機内持ち込み荷物の数は荷物1、免税店買い物袋1らしいが、チェックしている様子はあまりなかった。

治安など
不良警官もスキンヘッドも見なかった。ジプシーや物乞いの少年少女・老人はいた。サンクトでは地元ガイドに地下鉄には乗るなと言われた。モスクワでは一度地下鉄に乗った。その路線は、昔の銀座線みたいに駅前で電気が一瞬消えるガタゴト電車のわりにスピードが出ていた。プラットホームの駅名表示がまばらで注意しないとどこだかすぐにわからない。観劇後で夜10時過ぎていたが、そこそこ人が乗っていた。特に危なそうな人は見かけなかったが、何人かで乗らないと夜は不安。

気候
朝は9度くらい。日中15,6度くらいがせいぜいだった。サンクトのほうが風が強いので寒く感じる。10度で曇天、風が吹くと手がかじかみ、かなり寒い。サンクトは、朝晴れていても夕方から雲が出てきて雨が降る。
モスクワは、夏場は良い天気が比較的続くそうな。雪が降らないのは7、8月だけで9月の初雪も珍しくないとか。地図を見ると両市とも樺太より北にある。カムチャッカやアラスカあたりと同じ位置である。寒いところなのだ。

ホテル
滞在登録のため、到着時にパスポートを預ける。サンクトでは預けっぱなしだった。何かあってもホテルカードの提示で大丈夫らしいが、モスクワではパスポートとホテルカード両方所持しないと駄目だと言われた。ホテルではドルで買い物ができた。客室内はよくある普通の部屋。シャンプーなど備品の種類は少なめであった。水は沸かして飲んだ。
サンクトのほうが室内に干した洗濯物がすぐ乾いた。

食事
サンクトのホテルの食事はおいしかった。朝はブッフェなのだが野菜やハム、チーズ類が豊富。海外旅行ではお腹が心配でサラダなどめったに食べないのだが、連日もりもり食べてしまった。パンもおいしい。黒パンはいつでも出てきて酸っぱい感じがなんともいえない。ウイキョウをちらしたスープもグッド。サワークリーム(これもどこでも出てくる)を入れて頂く。案内される街中のレストランはいずれも外側からはわかりにくいが、内装はどこもこぎれいで料理もよかった。ただしサービスは遅い。別にさぼっているのではなく、一生懸命やっているのだが、遅い。総じて味付けは比較的日本人好みで、癖のないものが多かった。

おみやげ&買い物
d0007923_16453875.jpg 写真はどれも3ドル~5ドル。私は箱というか入れ物好きで、特に気に入ったのが白樺細工と卵の小物入れ。白樺細工は大きさも柄もいろいろ、開けるとほんのり木の香りがする。民芸品らしいしあちこちで買ってしまった。卵はかわいいのだが、よく見ないと合わせ目の柄がずれていたり、曲がって接着されていたり、開けたふたがちゃんと閉まらなかったりで大雑把な国民性?が伺える。

マトリョーシカは特別欲しいと思うものではないのだが、どこにでも必ずあり、並んでいると面白いのでつい眺めてしまう。15ピースくらいでないと雰囲気が出ないが、あまり大きくても置き場所に困るので記念に3ピースのを買った。ホテルや美術館の店ではそれほど安いものではない感じがしたが、露店だと安いだろうし観光客にまとわりついて「3個でしぇん円!」って売っているのもある。質はわからないけど。

琥珀はペンダントヘッド、ネックレス、ブローチ、イヤリングなど。デザインがもうひとつだが、安価だと思う。小さいヘッド7ドル、中くらいの17ドルで買った。街中で買えば多分もっと安いだろう。色も普通に茶色いのから緑がかったもの、虫入りのものといろんなタイプがある。

塗り物は、黒地にナナカマド柄?のホフロマ塗り(食器やお盆)とパレフ塗り(飾り箱で、宗教画などがモチーフ)をよく見かけた。前者は、色づかいが派手なので大きいものだと暑苦しい感じ。後者は小さなものでもかなり高価で手が出なかった。
染付けの陶器(グジェリ、ロモノーソフ)は、あまりロシアっぽい感じがしないので買わなかった。

食べ物ではやはりキャビアが高価。これは信用できる店で買うほうがよさそう。赤ラベル56.8グラムが45ドルだった。黄ラベルも同じ値段。青ラベルは+20ドル位だったか。(案内された店は他の商品を見ても結構割高の値付けだったので、実際の相場がどれくらいは不明)赤はイクラ説を聞いていたので、ガイドに確認するといずれもキャビアであるそうな。キャビアは高級なイメージだし、実際かなり高いけど、大きさのせいなのかなんなのか食べたときの満足感ってそれほどないのよね・・。サンクトのホテルで隅っこのテーブルで朝食をとっていた時、ウェーターがなぜか食器棚の引き出しから150グラム位ありそうな青ラベル1個取り出して20ドルですすめてきたが、多分偽物だろう。ガイドによると食べるとお腹が痛くなったり舌が真っ黒になったりするキャビア(もどき)も多いらしい。

お菓子だとチョコレートがおいしい。ロシア文字のパッケージはおみやげ感が増す。
お酒ではナナカマドのお酒(甘口)が珍しいそうだ。ナナカマドジャムもあるらしい。ついでにきゅうりのジャムもあるとのこと。地元のスーパーでも行くとそんなのも手に入りそうだし案外おみやげによいかもしれない。

買わなかったけどウールのショールもよく見かけた。四方に決まってフリンジがありそれがおしゃれらしい。他にはロシアの寺院の絵のついた鍋敷きとかガラスのコップとか観光地にありがちなものを売っている。
絵の好きな人には美術館カレンダーがよいかも。エルミタージュには土日だけが赤字(祝日表記がない)にしてある国際仕様?のものもあった。7ドル位。
トロイツェ・セルギエフ大修道院で、カメラ券を買ったらロシア正教賛美歌CDをおまけにくれたが、そういうおみやげもいいと思った。なんかありがたいし、安価で軽いし。帰国後、聴いてみるとなかなか荘重で(あたりまえか)心静まる感じであった。

その他、重いのに本をけっこう買ってしまった。宮殿や美術館のガイドブックだがどこでも日本語版があるのに感心。図版がきれいで、解説もあるし、開くたび思い出に浸れる。 

両替
全てドルからで、ホテルで両替した。レートはだいたい相場どおりで悪くなかった。街中のお店や教会の拝観料などはルーブルしか使えない。ホテル、露店、ツアーで案内される店ではドルが使える。ドルの表示は$ではなくy.e.($相当)と書いてある。お札は使い切ったがコインは記念に数枚残した。

観光
エルミタージュ美術館やエカテリーナ宮殿などは団体予約の上入場。中のお店はドルでも買い物できた。また、どこに入っても必ずトイレに行っていた。街中ではあまり見つからない。簡易トイレがたまにあるが、掃除のおばさんがいて有料のようだ。

では、観光した主な所について。

サンクトの街
運河と橋(350位ある)の情緒ある美しい街。昔の小説に出てくる場所がたくさんあるようだ。夜中になると橋が上がり、ライトアップもある。次行く時はぜひ見たい。ホテルを真夜中に出て2時くらいに戻るツアーが出ていた。

エカテリーナ宮殿、ピョートルの夏の宮殿(ペテルゴフ)
前者のハイライトは「琥珀の間」。この部屋が修復後公開されてからは、ハイシーズンは大混雑らしい。6トンの琥珀が使われた。(そのうち5トンが細工の過程でごみになった!)裏の庭もきれい。お金持ちは宮殿内のお部屋を貸し切ってパーティーなどできる。
後者は庭園のいろいろな噴水が有名。サンクト市内から船で30分位。食堂、女帝の部屋、謁見の間などなど双方の宮殿どの間も贅をこらしたきらびやかさでため息しか出ない。

(写真)エカテリーナ宮殿とピョートルの夏の宮殿
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エルミタージュ美術館
1日は割きたい。サンクトの優秀なガイドのおかげでメインの絵画はほとんど鑑賞できた。しかし、名画の付近はあらゆる国の団体さんが入り乱れ、心静かに見るわけにはいかない。
ガイドブックがないと歩き回るのは困難。閉まっている場所もあって、(日本やドイツの部屋はいつも閉まっているとか)わかりにくい。レンブラント、ダ・ビンチ、19世紀フランス印象派絵画をはじめそうそうたるコレクションにひたすら圧倒される。1点しかないゴヤの絵は日本に出張中であった。 
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左側のパネル列にレンブラントの絵画を展示
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3階は印象派の名作がいっぱい。写真はマチスの「ダンス」
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冬宮の居住区間も「黄金の間」など豪華絢爛なお部屋が続く。本当にきんきらきんであった。

(写真)「黄金の間」と「大使の階段」
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クレムリン
宝物、武器庫を見学。予約制で、ここも大混雑。ガイドにつくかガイドブックがないと展示品を時間内に見切れないだろう。次はダイヤモンド庫にぜひ行かないと。

(写真)皇帝たちの帽子(王冠)とエカテリーナ2世のウェディングドレス(ウエスト46cm)
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教会
サンクトのイサク寺院の内部の絢爛さにはびっくり。正教の装飾は、イコン画で壁を埋め尽くすものでなかなかの迫力。旧ソ時代、教会は爆破されるなど迫害されていた。殺された僧も多かったらしい。
その他、ワシリー寺院、ウスペンスキー寺院、セルギエフ・ポサードのトロイツェ教会などを見学。信者が一心に祈り、歌う姿には心を打つものがある。正教寺院はたまねぎ形のドームがユニーク。

(写真)ウスペンスキー教会内部
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トレチャコフ美術館
ロシア絵画やイコンが沢山ある。歴史画などは説明を聞かないと十分鑑賞できない。日本語のガイドブック買っておけばよかったかな。白樺林と川とか自然を描いた風景画は、日本人にも親しみやすい。レーピン、クラムスコイなど日本ではあまり見る機会がないロシアの有名な画家の作品も多い。この美術館の人気者はクラムスコイ「見知らぬ女」。よく出張していてあまり家にいないらしい。残念ながらこの時もどこかにお出かけだった。来日したら会いに行きたい。

歴史博物館
赤の広場をはさみ、ワシリー寺院の対面にある、お菓子の家みたいな博物館。そんなに大きくはないが、原始時代から始まる歴史の文物を展示していて見ごたえある。常設だけ見ていたのだが階段上るうち気がついたら特別展まで見学してしまった。後で聞いたらシチューキン(有名なロシアのコレクター)のコレクション展だった。工芸品、陶器、絵画(フランドルのもの主体だった)などいろいろあり、盛況だった。

(写真)赤の広場  左:大統領宮殿 その手前:レーニン廟 右:歴史博物館
レーニン廟公開中は赤の広場は歩けない
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交通、街中、人々の感想
両市とも車があふれてあちこち交通渋滞である。一方通行の道路が入り組み、方向転換するのにかなり走ってからターンし、また来た道を戻っていったりする。モスクワは大都市で車線も多いけど大渋滞。市内への出入りに大変な時間がかかる。運転は強引で、我勝ちに無理やり入り込む。交通事故も多く、追突など何度も見かけた。車は外車が人気のよう。国産(約5千ドル)の4倍からするらしい。ぴかぴかのかなりな高級車も走っている一方、窓を板でふさいだり、車体の一部を違う色のパネルを組み込んで補修していたり、そもそも動くのが信じられないといった趣の車もある。途中で故障して路肩で(時には道路の真ん中で)立ち往生しているのもよく見た。

日本車はそこそこ見かける。ハイウェーで見た感じで多かったのはカローラとプリメーラ。三菱、ホンダ、マツダのも走っている。四駆はたまにあるが、ワゴンタイプの車は見なかった。自転車は郊外でないと乗ってはいけないらしい。トロリーバスや電車など公共機関の乗り物は年代物が走っている。タクシーはあまり気軽に乗れるものではなさそう。ホテルで予約して乗るなど注意が要るとのこと。

建物は石、レンガ作りのがっちりした同じような高さのものが多い。街中心部に戸建てはない。公園や広場がところどころにあり、人々が集まってのんびりしている。郊外は緑が多い。山はなく、平地がひたすら続き、白樺や松の林を見かける。菩提樹、すずかけ、ナナカマドも多い。ちなみに国の木や花はないそうだ。ハイウェー脇でおばあちゃんたちが農地で育てた菊とダリアのあいのこみたいな花束を売っていた。

ロシア人は小さい人も大きい人もいる。大きい人は並外れて大きい。国内に多くの民族がいるだろうが、両市で見るのはほとんど白人系。表情は固め。というより無表情。飛行機でも営業スマイルみたいのはない。しかし、観光時のごく短い間で受けた印象でしかないが、あけっぴろげではなくともそれなりに親切で悪い感じはしなかった。

観劇
オペラやバレエは夏はシーズン外だが、おそらく観光客向けということでエルミタージュ劇場で「ジゼル」や「白鳥の湖」を毎日やっている。これは帰国してからわかったが、「ロシアバレエの夕べ」みたいに銘打っていてあちこちの劇場のダンサーを集めて上演しているもの。舞台も狭いらしく、人数減らして踊るようだ。それでも冬宮の皇帝の劇場であったので、内装は美しいそう。ネットで見ると60ユーロだが、現地のオプションでは130ドルで案内された。マージンがあるから直接窓口で買わない限り、高いのはある程度仕方ない。

モスクワのボリショイ劇場でも似たようなことをやっている。ただボリショイのほうは専属のダンサーとのこと。で、「白鳥の湖」を観た。90ドルだったが、実際は900ルーブル(2.7倍だ)。この値段でバルコニー席、いやーこれは舞台がよく見えないよ。全幕じゃなかったので、話途中で終わっちゃうし。
公演当日になってホテルや現地のチケット売りに勧められてバレエ見ないほうがいい。私の後ろに座っていた観光客はホテルで買って150ドルとられたそうだ。何も見えないと言って怒っていた。内容をよく確認してできるだけ劇場窓口で買わないとすっきりしない思いをする。

その他
持っていって良かったもの: 
ドル(必須。円の両替は損とのこと。)、千円札(道端のガイドブック売りからけっこう買った。3つで千円グッズも買えるよ。)、ストッパ○○止め(歴史博物館で入場を待っているうち、お腹が痛くなった。危うく赤の広場の一角をけがしてしまうところだった。)、整腸薬(つい食べ過ぎて)。あとスーパーでくれるようなビニール袋。おみやげ入れると切れてしまいそうになる、セミの羽のような驚異的に薄いビニール袋をたまにくれるので。

持っていかなくても良かったもの: 
スカート(寒かったし)、都こんぶ。飴はけっこうなめたが、それ以外の日本菓子は食べなかった。

持っていったほうが良かったもの: 
ちゃんとした防寒着(風が吹くと冷える)、保湿のクリーム(乳液だけじゃ間に合わなかった。顔かさかさで復活に4、5日かかった)

あと、街中のスーパーとか地元民の行くところで買い物したら面白かったかな。

おわりに
宗教と帝政の遺産おそるべし。帝政時代、下々の暮らしは悲惨だったかもしれないが、とにもかくにもモスクワやサンクト観光は、宮殿など帝政期の遺産で成り立っている。しかるに革命の遺産は何かあったのだろうか。革命後、教会は弾圧され、知識人は粛清され、エルミタージュの絵画など何点もアメリカに売り飛ばされてしまった。しかし、共産イデオロギーで広大な国をまとめる時代は終わり、今のロシアは、ガイド曰くレーニンを知らない子供も多いらしい。ペレストロイカ直後は物価が100倍位になったそうだ。でも今は行列して買い物していない。年金が減って老人たちが一番大変らしい。物乞いの老人もわりと見かけたし。多少自由な世の中になっても、民族問題は解決されるどころか激化し、イスラム過激派のテロなど国内のあちこちで半端じゃない被害が起きている。なんだかロシア人民でいることは昔も今もいろいろと大変そうだ。しかし、まだまだ変化のありそうな面白そうでもっと知りたい国。そう感じた旅行でした。
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# by itsumohappy | 2005-10-10 17:38 | 旅行 | Trackback | Comments(2)