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2017年 07月 11日

シベリア抑留された「元日本兵」

20176月、戦後シベリアに抑留され、その後も日本に帰国せず、ソ連/ロシアにとどまった田中明男さん(89歳・右)が、サンクトペテルブルク近郊のポギ村で生存していることが報道された。
(写真は2017年6月5日毎日新聞)d0007923_16202672.jpg


北海道遠別村(現遠別町)出身とされる田中さんは、本人が語るところによれば、1944年、10代で陸軍に志願し、満州の関東軍で1年余りにわたって前線で戦った。大戦末期、日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻したソ連軍に捕まり、ハバロフスクの収容所で約10年間、森林伐採の労働を強いられたという。


50
年代から抑留された人々の日本への帰国が本格化したが、田中さんは、収容所幹部から、「帰国すれば裏切り者として迫害される」と言われ、ソ連に残った。その収容所では、約80人の日本人が残留を決めたという。なお、外務省によれば日本に帰還しなかった抑留者は、約1,000人とされる。


収容所からの解放後、60
年代にソ連国籍を取得。ウラジオストクで船員となったのち、レニングラード州に移住し、集団農場の牛の飼育係や電気工として働き、優秀な労働者として何度も表彰された。


田中さんは、80
年代に、レニングラードの日本総領事館に帰国の相談をした結果、登別温泉で旅館経営をしていた父が死去したこと、妹が所在不明であることを告げられた。日本で受け入れ先がないことに不安を覚えたのか、帰国を断念した理由はよくわからない。


私生活について多くを語らなかったという田中さんは、現在、年金暮らしで一人住まい。近所の人が身の回りの世話をしている。日本語はほとんど忘れてしまった。日本に移住するつもりはないが、桜の咲く頃、もう一度日本を見たいと希望している。


2017
年6月5日・6日毎日新聞、20日日本経済新聞より】


<追記>

この報道の後、田中さんの正式な軍歴が確認できないこと、所有する「労働手帳」の記載(サハリンでの居住歴)と自身の記憶が一致しないことなど、抑留に至る経緯が判然としないことが伝えられた。年齢的にも兵役に就けたのかという疑問も呈されたが、本人の記憶が混乱していることもあり正確なところは不明である。このため、一時帰国に向けた日本政府による公的な援助は得られず、「抑留研究会」ほか民間の寄付により来日することとなった。

90歳になった田中さんは、9月21日、成田に到着し、翌日、故郷の北海道遠別町を訪問した。27日までの滞在の間に、いとこら親族と交流し、多少の記憶を回復したという。この来日により田中さんの本人としての確認がなされた。「抑留研究会」は、田中さんが対ソ戦に参加したとすれば、「国民義勇隊」の一員としてであり、また、戦後、帰国のチャンスを失ったのは、何らかの理由でソ連当局に拘束されてサハリンに居住指定となり、情報が届かなかった可能性を指摘している。


2017年8月9日毎日新聞、9月16日朝日新聞、22日北海道新聞ほか より】



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by itsumohappy | 2017-07-11 20:42 | その他 | Trackback | Comments(0)