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2016年 02月 21日

高杉一郎 『極光のかげに』

d0007923_14521097.jpg高杉一郎(1908-2008)は、ジャーナリスト・翻訳家。戦後は、静岡大学教授なども務めた。「シベリアぼけを清算するため」に、4年間の抑留の体験を記した『極光のかげに』(1950)は、日本で最初の「スターリン批判」と言われた。しかしながら、「ソヴィエトの人々の人間性やこの国についてのひとつの真実を伝えたい」という言葉のとおり、終始、客観的な視点で書かれている。 

高杉氏は、出征前は改造社で雑誌『文藝』を編集しており、三木清、中野重治、宮本百合子、中野好夫、竹内好らと交流があった。(改造社は、神奈川県警による複数の言論弾圧事件(いわゆる横浜事件)で有名)1944年、会社が解散させられた直後に氏は召集され、ハルビンで敗戦を迎えた。45年10月、夏服のままで乗せられた「帰国列車」の行き先はイルクーツク州だった。

収容所生活は、シベリアタイガの田舎町、ブラーツクから始まった。ブラーツクとそこから300キロ先のバム鉄道(第2シベリア鉄道)の起点、タイシェトとの間の鉄路建設に、約4万人の日本人捕虜が投入されており、氏は、書記兼通訳として収容所の労務管理に当たった。ここでの2年間は、収容所長をはじめとする周囲の心温かいロシア人のおかげで、比較的幸運に過ごした。
英、仏、独、エスペラント語のほかロシア語も多少理解したため、政治部員(軍隊内の政治指導・思想取締まりを任務とする)から目をつけられたときは、奥地に追いやられないよう所長が庇ったというエピソードが記されている。
しかし、結局、所属する部隊ごとタイシェトの懲罰大隊へ送られ、まくら木製材、原木引き上げの重労働に就いた。

親切なロシア人に、「19世紀ロシア文学に流れるロシア正教に根ざしたヒューマニズムの伝統」を見る一方で、彼らが表情暗くソヴィエト・ロシアの否定面を語ることに混乱する場面がある。密林の中に、ロシア人の囚人を含め、囚人があまりにも多い――やがて、コミュニズムはファシズムと同一物であると氏は悟る。
当時、シベリアには24か国420万人の俘虜がおり、日本人はドイツ人(約240万人)に次いで約60万人とされる。

帰還が間近になった頃、収容所内で始まった奇妙な政治運動にも触れている。帰還に心煩わせるものは、「ダモイ民主主義者」や反ソ分子としてつるし上げられ、「スターリン大元帥に対する感謝署名運動」なども起き、革命歌が合唱された。

49年に帰国後まもなく出版されたこの本は、ベストセラーになったが、「真実をゆがめる」或いは「ソ連に甘すぎる」と左右両方から当時批判されたそうだ。

シベリア生活の様相よりも、戦前の知識階級の奥の深さが印象的である。「先ずなによりも人間であればいい」というメッセージが心に残る。
ペレストロイカをきっかけに91年、高杉氏は、ブラーツクの収容所長だったジョーミン元少佐と再会を果たした。


【参考:2005年2月26日読売新聞、1999年5月23日朝日新聞、1991年8月19日朝日新聞】
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by itsumohappy | 2016-02-21 00:03 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)