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2010年 08月 31日

シャガール-ロシア・アヴァンギャルドとの出会い~交錯する夢と前衛~

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ポンピドー国立芸術文化センター(パリ)所蔵のシャガール(1887ー1985)とゴンチャローワ、ラリオーノフ、カンディンスキーらの作品展の感想です(東京藝術大学大学美術館:開催中~10.11;福岡市美術館:10.23~2011.1.10)。

シャガールの芸術と20世紀はじめに始まったロシア・アヴァンギャルドとの関わりに焦点をあてた企画で、シャガールが影響を受けた「ネオ・プリミティヴィスム」(ロシア・アヴァンギャルド運動初期の動きのひとつとされる)の絵画が合わせて展示されている。

右: 『ロシアとロバとその他のものに』(1911)



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ナターリア・ゴンチャローワ『収穫物を運ぶ女たち』(1911)
ネオ・プリミティヴィスムは鮮やかな色彩と簡潔な描写が特徴。


1887年、帝政ロシア・ヴィテブスク(現ベラルーシ)のユダヤ人町に生まれたシャガールは、1908年から2年間、ペテルブルクで、バレエ・リュスの舞台芸術を手がけていたレオン・バクストの美術教室に通ったのち、パリで引き続き絵を学んだ。ロシア革命後、ヴィテブスクに戻り、革命政府の支援をえて1919年、美術学校を開くが、教授として招いたマレーヴィチと対立し、学校を辞職。翌年、モスクワで舞台美術の仕事を始めた。その後、パリに移住し、37年にフランス国籍を取得するが、ナチスのパリ占領を機に41年米国に亡命した。

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『彼女を巡って』(1945) ベラ夫人の思い出を描く。シャガールは赤より青が美しい。

ドイツ国内にあったシャガール作品は37年、退廃芸術としてナチスにより撤去され、独ソ戦で故郷のヴィテブスクは焼き払われた。渡米してまもなくの44年にはベラ夫人が死去。そのようななかで、シャガールの画風は、キュビズムやフォービズムの影響を受けた抽象的なものから幻想的な表現を主体としたものに変化していった。画面の端には農村生活のモチーフが配され、記憶の民らしく常に思い出の中に生きていたかのようだ。

画家は、戦争や混乱の時代を亡命者として生き抜き、つらいことも多かった現実を直視する表現よりも、脱力したような人物が漂う、現実感のないふわふわの夢の世界を描いた。作品だけを見ていると、愛や夢ばかりでもうひとつパンチがないと感じてしまうが、やはりいろいろな要因が背景にある。故郷に残っている親族を思えば、亡命画家としては反ソ的なものも描けなかった。
 
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『日曜日』(1952-54) 女性は再婚したヴァランディーナ夫人。

舞台美術の代表作としては、メトロポリタン・オペラ「魔笛」の衣装デザイン、舞台スケッチが展示されている。
また、会場ではビデオ『シャガール:ロシアとロバとその他のものに』(52分)が上映されており、画家本人の絵画に対する思いなど映像を通してより理解を深めることができる。このなかに出てくるユダヤ人村の様子は映画『屋根の上のヴァイオリン弾き』の光景そのものだった。

展示会の性格上、会場に置いてあるペーパーには作品リストに加えて、サイトに出ている年譜くらいはあったほうがよいと思った。どの展示会でも言えるが、立派な図録だけでなく、コンパクトで安価な小冊子程度のものも作成してほしい。
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by itsumohappy | 2010-08-31 23:30 | 展示会 | Trackback | Comments(0)