ロシアが気になる

amihappy.exblog.jp
ブログトップ

<   2009年 03月 ( 2 )   > この月の画像一覧


2009年 03月 31日

黒海艦隊基地貸与の継続問題

ウクライナ南部クリミア自治共和国にある特別市セバストポリ(キエフの直轄)には、ソ連からロシアが継承した黒海艦隊が駐留している。黒海艦隊は、冷戦期、地中海に展開する米海軍第6艦隊に対抗することが主要任務とされていた。ソ連崩壊後の1995年、黒海艦隊の艦船は、ロシア81%、ウクライナ19%の割合で分割された。97年には、セバストポリの市と港湾地区を、20年間ウクライナからロシアへ貸与する協定が結ばれた。
d0007923_150249.jpg
2008年5月、ウクライナ政府は、2017年に切れる貸与協定を延長しない方針を表明。その後、ユーシェンコ大統領は、艦隊撤退に向けた法案準備を指示したと報じられた。NATO・EU加盟を目指す大統領は、08年8月のロシアによるグルジア侵攻はウクライナにとっても脅威であるとし、ロシア黒海艦隊の艦船や艦載機が領海・領空通過の際には事前通報をロシア側に求める措置の導入にも言及した。

一方、ロシアのメドベージェフ大統領は、ウクライナがロシア黒海艦隊のセバストポリ基地撤退に言及するのは時期尚早とし、さらにウクライナのNATO加盟は、ロシアとの安全保障を弱体化させるとけん制した。
(ロシア海軍は、仮にセバストポリが使用不可能となった場合は、黒海艦隊をロシア領のノボロシースク港に移動させることになるとしている。)
d0007923_0441537.jpg
  黒海艦隊の旗艦、ミサイル巡洋艦「モスクワ」

08年12月、NATOは、ロシアへの配慮からウクライナ、グルジアの将来のNATO加盟の決定を見送った。その代替措置として米国は、同月、ウクライナと安全保障に関する合意文書に調印した。しかしながら、ウクライナ国民の大半(08年の世論調査では約8割)が、NATO加盟に反対であるという。

ロシアは、グルジアでの軍事衝突をきっかけに、ロシア南部の安全保障体制を強化する方針を示している。
黒海艦隊の強化策として、海軍関係者は09年3月、現在1隻しか稼動していない潜水艦を8~10隻程度に増やす必要があると表明した。

d0007923_164347.jpg
セバストポリは、ギリシャ語で「高い都市」の意味。BC5世紀にギリシャの植民市が建設された地域である。エカテリーナ2世統治下の1783年、第一次露土戦争に勝利したロシアは、クリミアを獲得し、同年、黒海艦隊が創設された。
1954年、クリミアは、フルシチョフ第一書記の決定により、当時旧ソ連の一部だったウクライナに割譲された。ロシア・ウクライナ両民族の友好を印象付けるためとされる。


(ロシア海軍のサイト、2009年3月20日・24日RIAノーボスチ、08年8月15日朝日、08年9月11日読売、08年6月4日・7日北海道、24日毎日、97年6月23日読売、92年1月30日毎日新聞、『ロシアを知る事典』(平凡社)より)
[PR]

by itsumohappy | 2009-03-31 23:32 | ロシア | Trackback | Comments(4)
2009年 03月 06日

映画 『バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び』

d0007923_22251873.jpg2007年公開作品。制作・監督のデイナ・ゴールドファインとダニエル・ゲラーは著名なドキュメンタリー映画作家だそうだ。

この映画は、2000年、ニューオーリンズで開催された「バレエ・リュス」(ロシア・バレエ団)の同窓会に集合したかつてのダンサーたちが語る思い出の数々を、当時の映像も交えて紹介しながら、バレエ・リュスの歴史を振り返る構成となっている。

「バレエ・リュス」は、興行師セルゲイ・ディアギレフがマリインスキー劇場などの若手ダンサーを集めて結成したバレエ団で、特定の劇場に所属せず、パリを中心にモンテカルロ、ロンドンなどロシア外で公演していた。09年は、リュスのパリデビューから100周年にあたる。

セルゲイ・ディアギレフの肖像(レオン・バクスト画
/国立ロシア美術館所蔵)
d0007923_22271252.jpg
このバレエ団は、舞台装置や音楽、脚本に、ピカソ、マティス、ミロ、ルオー、バクスト、ローランサン、シャネル、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ラヴェル、ドビュッシー、コクトー等々の芸術家たちが関わったことでも有名である。

29年のディアギレフ死去に伴い、バレエ団は解散したが、31年、ド・バジル大佐らにより「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」として再建された。バレエ・リュスでダンサー、振付をしていたジョージ・バランシンが振付師としてこれに参加したが、その後、レオニード・マシーンに交代した。34年には米国公演を敢行し成功をおさめたが、バジル大佐とマシーンの争いにより、団はモンテカルロと「オリジナル・バレエ・リュス」に分裂した。

映画は、ディアギレフ死後、後継バレエ団経営者たちの内紛に翻弄されつつも、バレエ・リュスの遺産を伝え続けたダンサーらのバレエに対する深い思いに焦点を置いている。

分裂した団はそれぞれに米国やオーストラリア、南米などを巡業した。ダンサーの出身国が一時17ヶ国にわたったという「モンテカルロ」が周った米国で、団に初めての黒人や少数民族ダンサーが加わったり、米国人振付師アグネス・デ・ミル(映画監督セシル・B・デミルの姪)による新感覚のバレエ『ロデオ』を上演したりといったエピソードなどにも映画では触れられている。

d0007923_22273519.jpg「バレエ団はもうからないもの」というダンサーのコメントにあるように、資金難で組織が弱体化し、「オリジナル」は48年、「モンテカルロ」は62年に活動を停止した。

「報酬なんてほんのわずか。でも『これが踊れるなら』『あのデザイナーと仕事ができるなら』と、そういう思いが財産だった」と映画撮影当時80歳を過ぎていたアリシア・マルコワ(右:14歳でディアギレフに見出されたバレエ・リュスの「ベイビー・バレリーナ」のひとり。故人)が生き生きと語る言葉が印象に残った。



バレエ・リュス草創期のダンサー
d0007923_22435159.jpg
  ヴァーツラフ・ニジンスキー(左) 相手役をつとめたリディア・ロポコヴァ(右)は、のち経済学者のケインズ夫人となった 

d0007923_2235922.jpg
  レオニード・マシーン(右:映画『赤い靴』(1948年)より)
[PR]

by itsumohappy | 2009-03-06 22:57 | 映画 | Trackback | Comments(4)