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2008年 09月 25日

中村逸郎『虚栄の帝国ロシア-闇に消える「黒い」外国人たち』

著者は、筑波大学大学院教授(国際政治経済学)。本書は、カフカスからの出稼ぎ労働者をめぐる問題とその背景を分析したものである。著者の現地調査をもとに、2002~07年初頭のモスクワの状況が記されている。07年10月刊(岩波書店)。
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d0007923_22552874.jpg2005年9月、モスクワに旅行した際、イズマイロボからセルギエフ・ポサートに向かうハイウェーのすぐ脇で、褐色の肌の人々が大勢集まっているのを車窓から見た。ロシア人のガイドによれば、彼らはカフカスから出稼ぎで来ている人々で、そこは、手配師から仕事を得られる場所のひとつ(といっても道路脇だ)である、とのことだった。そして、ロシアには登録されていない人々が多く、モスクワで150万人いると話したが、数字があまりに大きかったので通訳ミス?とその時は思った。何にしても、彼らの身なりや雰囲気から、危険できつい労働をするのだろうと感じた覚えがある。

ロシア人は、カフカスや中央アジア諸国(カザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン等)出身者を「黒い」(черный)人々と呼ぶそうだ。本書によると、07年現在、「黒い」労働者はモスクワに300万人いるという。ロシア当局は、出稼ぎ目的でロシアへ入国する人々を、不法就労者を含めて毎年少なくとも1,500万人、多い年で2,000万人と見積もっている。ロシアを除く旧ソ構成国の出稼ぎ希望者の75%がロシアへ向かい、うち9割以上が不法就労と見られている。

ソ連邦の消滅後、ロシア周辺国における経済混乱が「移民ブーム」を呼んだ。彼らは、建設作業、道路清掃、フリーマーケットでの小売など、ロシア人がやりたがらない労働に従事している。厳寒のモスクワで15時間雪かきしても月給は3万円。それでも自国での収入の数倍になるという。故国への毎月の平均送金額は1万円。出稼ぎ労働者の収入格差はモスクワ市内の勤労者と比較して10~20倍らしい。彼らはロシア人の日常生活を静かに下支えしている。その労働実態をロシアのどの公的機関も把握していない。

無法地帯で働く彼らからの、ロシア人による収奪の構造は幾重にも深い。
本書の冒頭、車掌・入国管理官・警察官らに賄賂を要求され、周辺国を通過しモスクワに到着するまでに一文無しになるタジク人の話が紹介されている。モスクワにきた彼らは、20種類の申請書類をそろえて合法的な就労許可証を得るまで(約半年を要する)に、一時滞在期間の90日が過ぎてしまうため不法就労しざるをえない。雇用主は、ロシア人を雇用していることを書類上装い、当局の摘発を逃れる。名義を貸しているロシア人は謝礼を得る。労働者らは建築現場で寝起きし、危険な作業で事故に遭っても雇用主は通報しない。処理に困った遺体を壁に埋めるケースもある。今、ロシア全土の警察署で姿を消す外国人が急増しているという噂があるそうだ。さらに、外国人労働者らは、賄賂目当ての警察官から難癖つけられるだけでなく、ネオナチなど人種差別主義者の標的にもされている。まさに虐げられし人々である。一方、収奪する側にとっては、彼らが不法就労であることが好都合である。

ロシア人自身が、自分たちが怠け者であり、他人の金で生活するのに慣れていることを自覚し、ロシア人よりもよく働くタジク人の労働を評価している、という点が印象的だった。

著者は、低賃金の不法労働者が、好景気にわくロシア社会の底辺を今後も支え続ける保障はなく、将来、彼らがロシア社会を突き崩す存在にもなりかねないことをロシア人は認識すべき、と指摘している。

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ロシアの調査機関SOVAによれば、07年、ロシアで排外主義者の暴力に遭った人々は653人(うち死者73人)で、そのほとんどが旧ソ連圏出身の出稼ぎ労働者である。外国人殺傷事件が摘発される割合は約20分の1に過ぎず、微罪で片づけられる場合が多い。(参考:2007年6月27日 産経新聞)
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by itsumohappy | 2008-09-25 23:24 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
2008年 09月 07日

N・ドゥンバゼ 『僕とおばあさんとイリコとイラリオン』


d0007923_23374311.jpg著者ノダル・ドゥンバゼ(1928-1984)は、現代グルジアの代表的な作家の一人だそうで、グルジア作家同盟書記長(1972-84)を務め、1980年にレーニン賞を受賞した。本作は、1960年発表後すぐにロシア語へ翻訳され評判となった。
日本ではじめてグルジア語から直接翻訳された小説である。訳者は、東京外国語大学の研究員児島康宏氏。

内容は、僕こと主人公ズラブとズラブをめぐる人々(同居のおばあさん、親戚のイリコとイラリオンの両おじさん)の日常を描いたもの。黒海に面したグリア地方が舞台で、時代は1940年代半ばから50年代である。主人公は、学校では鳴かず飛ばず、いい年したおじさんのイリコとイラリオンのいたずら(というには度が過ぎている)合戦に常に巻き込まれる日々を送る。人々の言動にはユーモアが溢れ、素朴でのんきである。

コルホーズの総会シーンがあまりにばかばかしくて笑わせるので、これは、もしかしたらのんきを装った体制批判小説なのか?と思いきやそうではなく、ただ淡々と主人公の成長に沿って、その楽しい、或いはほろ苦い想い出が綴られている。

訳者の解説によれば、本書は、著者の少年・青年時代の体験に基づくとのこと。著者は、9歳の時両親(無実であるのに反社会活動の罪で逮捕された。のち、父親は銃殺されていたことが判明)と別れ、田舎の祖母宅に身を寄せた。戦時中でもあり苦しい労働の日々を送った。

「私は自由が欲しかった。そのために笑いを選んだんだ」と著者はかつて語ったそうだ。
小説には父母への言及が一切なく、不自然に思ったが、当時のソ連の読者には説明がなくとも「大粛清による孤児」という状況がすぐに理解できたらしい。
この本は、著者の理想の楽しい暮らしを思い描いたお話だったのだ。

d0007923_23391884.jpg グルジアの文字はくるんとしていて可愛らしい。
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by itsumohappy | 2008-09-07 23:46 | 文学・本 | Trackback | Comments(2)