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2007年 12月 29日

最近の話題から

最近の報道から日ロに関する記事を紹介します。

●ロシア、対日経済関係の強化に意欲
12月21日、プーチン大統領は、生産開始したサンクトペテルブルクのトヨタ工場を視察し、今後とも日本と協力してシベリア・極東地域の開発を進めていく考えを示した。

5年連続で6%を超える経済成長率を背景に、日本企業のロシア進出が相次いでおり、自動車メーカーだけでもトヨタ、日産、スズキに続き三菱もロシア進出を決定した。企業進出に伴い、従来からのロシアビジネスにおける課題である、幅広い輸送需要への対応など物流の充実が益々求められている。

部品・完成品を運ぶのに今後注目されるのはシベリア鉄道による輸送。ウラジオストクからシベリア鉄道を使えば、ロシア西部へスエズ運河経由の船舶ルート(所要30~40日)より約4割日数が短縮されると言う。現在、コストや振動等の問題からトヨタも船便を選択しているが、今後は鉄道の活用を視野に入れている。

この輸送の問題のほかエネルギー、情報通信、環境等の分野で日ロの協力を進めるため、日ロ政府は、今年6月合意した「極東・東シベリア地域での日露間協力に関するイニシアチブ」の具体化に向け、民間企業関係者も交えた協議機関の設置に合意した。

ロシア側は、経済協力の強化は、停滞している北方領土交渉の打開に向けた環境整備につながるものであると繰り返し表明しており、プーチン大統領は、21日のトヨタ工場訪問の際、トヨタの進出が平和条約締結問題の解決に寄与すると述べた。
【2007年12月22日産経、11月16日北海道、10月23日読売、7月20日日経新聞より】

●プーチン大統領、柔道ビデオを制作

プーチン大統領と森総理(2000年)
d0007923_052179.jpg2000年9月の訪日時に、講道館から6段の段位を受けたプーチン大統領が、このたび山下泰裕氏と共同で柔道レッスンのDVDを作った。早ければ来年初めにも販売される。
大統領はこれまでにも数冊の柔道の教則本を共同執筆している。大統領は、山下氏が来年の北京オリンピックで中国チームをコーチする予定と聞いて大いに落胆、ぜひロシアチームをコーチしてほしいと語ったそうだ。
【2007年12月24日AP、Reutersより】

●北海道―サハリン間海底通信ケーブルが62年ぶりに復活
北海道石狩市からサハリン・ネベリスクまで約500kmを結ぶ大容量光ケーブルをNTTコミュニケーションズとトランステレコム(モスクワ)が設置する。海底ケーブル敷設工事は年内に終了する。ネベリスクから欧州回線への接続は08年に開通予定。現在太平洋やインド回りで行われている欧州・ロシアへの通信の最短経路となることが期待されている。

NTTの海底ケーブル敷設船「すばる」
d0007923_0532438.jpg樺太への海底ケーブルは1905年(明治38年)に稚内市から電信用に2本引かれたのが最初である。終戦時には、稚内や猿払からのケーブルが6本あった。1945年8月20日、真岡の電話交換手9名が、ソ連軍の真岡攻撃を知らせた後、「皆さんこれが最後です。さようなら」の言葉を内地に伝えて自殺したという歴史がある。
当時のケーブルは、破損が多くて再利用がかなわず、引揚げられないまま海底で眠っている。
【2007年12月18日北海道新聞、2001年12月22日読売新聞、NTT-WEマリン社のページより】

●マンモス“リューバ”来日へ
今年の5月、西シベリア北部のヤマロ・ネネツ自治管区で発見された生後約半年のメスのマンモスが、冷凍状態のままモスクワから早ければ年内にも来日予定。マンモスは、重さ約50㎏、体長約120cmという大型犬くらいのサイズで、約3万6000-3万7000年前のもの。しっぽがちぎれている以外はほぼ無傷という最高の保存状態にあった。

発見者の妻の名をとってリューバと名づけられた
(写真Daniel Fisher,University of Michigan)
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ハンターである発見者は、雪の中から出ていたマンモスをはじめ死んだトナカイだと思ったそうだ。
来日後、東京慈恵医大でCTスキャンを使った内臓等の調査が行われる。

【2007年12月19日産経新聞、7月11日Reutersより】


●ロシア政府、日ロ間漁業協定を見直す可能性を警告
12月13日、北方領土・国後島の北側で羅臼漁協の漁船4隻が「越境操業」の疑いでロシア国境警備艇に拿捕された。病気で倒れた船長の船が「日ロ中間ライン」を越え、追いかけた3隻ともに捕まったという。この時期、日ロ間の「北方四島周辺水域における日本漁船の操業(安全操業)枠組み協定」に基づくホッケ漁が北方領土周辺で行われているが、4隻は安全操業の許可船ではなかった。

日本政府は、船体と乗務員の解放を求め、また、領土問題に関する基本的立場から「拿捕」は受け入れられないといつものように訴えた。しかしながらロシア側からみれば、国境侵犯という認識であり、「安全協定違反は増大し、悪質な故意の性格を強めており、日本が実効性ある取締りを講じなければ、協定を見直す権利を有する」と、駐モスクワ公使をロシア外務省に呼んで警告した。

病気の船長は早期に開放されたが、拘束された残り10人のうち、12月28日現在、国後島にまだ4人が解放されずに留めおかれている。
【2007年12月14日日経、21日北海道新聞より】

●日本企業輸出の鋼材、国後島で使われる
日本の貿易商社「三興プログレス」がトルード・サハリン社(サハリン)に輸出した護岸用鋼材1,300トンが、「クリル発展計画」の一環として国後島で行われている港湾改修事業に使われ、日本政府は鋼材の使用中止を求めた。トルード社社長は、「国後島には日本の食品も車もある。なぜ鋼材はだめなのか」と不満を表明したが、残りの工事では中韓から調達することとなった。

関税法上は日本企業と北方四島との貿易は自由で、四島での活動を規制する法律はない。しかしながら、日本外務省は、ロシアの管轄権を認め、不法占拠を助長することにつながるとして北方領土との共同経済活動を禁じる指導を行っている。
国後や択捉島では今後も大規模なインフラ整備が予定されている。ロシア企業と交易する日本企業が、輸出品の北方四島での不使用を確約させることは現実的には困難と専門家は指摘している。

北方領土に隣接する根室市では、経済振興のため、主権問題に影響を与えないような生活物資等に限って四島との交易を行うことを要望しているが、認められていない。
【2007年12月9日毎日、8日・11日・12日北海道新聞より】

●JA全農、国産米をロシアに初輸出
全国農業協同組合連合会が、11月、新潟産「コシヒカリ」と秋田産「あきたこまち」の計0.6トンをモスクワに初輸出。日本食がブームのロシアでは富裕層が増大しており、今後販売が期待できると全農はみている。
政府が、2013年に1兆円の国産農産物を輸出する構想を掲げていることで、全農も農作物の海外輸出に協力している。
【2007年11月4日産経新聞より】
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by itsumohappy | 2007-12-29 01:18 | その他 | Trackback | Comments(0)
2007年 12月 19日

ソルジェニーツィン 『収容所群島 1918-1956文学的考察』

d0007923_1563817.jpgアレクサンドル・ソルジェニーツィン(1918~)の長編。原題“Архипелаг ГУЛАГ”(アルヒペラーグ・グラーグ)。同氏の体験及び氏に寄せられた227人の収容所体験者の回想、手紙をもとに構成したもので、トルストイの『戦争と平和』を上回るボリュームである。内容のあまりの重さにずっと読み続けるのは苦しく、また気もへんになってくるので、休み休み読んでいたら1年位かかってしまった。

人民がどのように逮捕され、ソ連全土に散らばる収容所に送られて強制労働についたか、何百とも思えるエピソードを重ね、歴史的な考察を交えながら「理想国家」の悲惨な実態を暴いている。といっても、比較的刑が軽いほうだったソ氏(8年;10年や20年の刑期が当たり前だった)も触れているように、この著作で収容所の全貌が語られているわけではない。酷寒の地で最も過酷な労働に従事して死んだ人々の証言は得られていないからである。

収容所の歴史は、スターリン時代から始まったのではなく、巡洋艦オーロラの砲声から始まった―即ち、ロシア革命が収容所群島を生み出した、とソ氏は語り、ロシアを「あらゆる可能性をしめ殺した国」と総括している。

1巻目冒頭、「なんのためかわからない逮捕」の話から始まる。ソ氏の場合は、友人との文通の中で、スターリンを「ヒゲ」と呼んだから(直接名前に言及していないのにも関わらず)、のようだ。逮捕にはノルマが課されていたため、容疑などなくとも密告その他の手段で捕らえられた人々が多かったという。

以下は、ソ氏の紹介しているエピソードのひとつ。
―モスクワ地区の党代表者会議の終わりにスターリン宛のメッセージが採択され、嵐のような大喝采が起きた。5分経っても10分経っても拍手は止まらない。疲れて最初に拍手を止めた工場長はその晩逮捕された―教訓:「決して最初に拍手を止めてはいけない」

強制労働による犠牲者数はよくわからない。数百万~2000万の数字が見受けられる。収容所の過酷な生活描写は、読んでいてかなりつらい。強制労働が実質、国の経済活動の重要な一部をになっていた社会体制が約70年もよく続いたものである。

『収容所群島』は秘かに書き進められ、完成稿は自宅以外の場所に保管された。タイプを手伝った女性は、KGBの取調べを受け、地中に埋めていた草稿のことを自白した後自殺した。
ソ氏の表現にはくせがあり、難解なところも多い。もう少しまとめられる箇所もあるように感じたが、それに関して、作家は、書く自由を失うことを予想して出版を急ぎ、一度も『収容所群島』の原稿をそろった形で確認できなかったからと弁明している。

『収容所群島』は長大すぎるので、強制収容所の話としてはまず『イワン・デニーソヴィチの一日』が読みやすく適当だと思う。

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【ソルジェニーツィン】
1945: 砲兵中隊長時代、私信が検閲にひっかかり逮捕される。8年間を収容所で過ごしたのちカザフスタンに流刑となる。数学教師をしながら小説を書く
1953: スターリン死去】
1962: フルシチョフの許可の下、収容所生活を描いた小説『イワン・デニーソヴィチの一日』 を発表し、脚光を浴びる。その後数点の小説を発表するが、『煉獄のなかで』等の原稿を当局に没収される
1964: フルシチョフ失脚】
1967: ソ連作家同盟大会関係者250人に検閲廃止の訴える公開状を発送
1969: ソ連作家同盟支部から除名される。ノーベル文学賞に決定したが、当局による再入国ビザの発給拒否をおそれ、翌年の授賞式は欠席
1973: 『収容所群島』がパリで刊行され大反響を呼ぶ。ソ連国内で「裏切り者」「悪質な反ソ主義者」と批判され、翌年、国家反逆罪容疑で逮捕、西ドイツへ追放される。後、アメ リカへ移住、無国籍のまま暮らす
1985: ゴルバチョフ、書記長に就任】
1989: 『収容所群島』ソ連国内で解禁。ソ氏は翌年市民権を回復。犯罪容疑も撤回される
1991: ソ連邦解体】
1994: 永住帰国

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ロシア文学の翻訳者、故木村浩氏は、ソ氏から直接翻訳を依頼された当時「研究生命が危うくなるかもしれないが、紹介しなければならぬ作品」と考えて訳し、その後約8年ソ連から入国を拒否された。それでも氏がロシアと決別しなかったのは、「優れたインテリの存在を知っていたから」だそうだ。

(1989年4月12日読売、7月4日毎日、90年5月1日読売、91年9月19日日経、12月27日朝日、92年10月30日読売新聞他より)
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by itsumohappy | 2007-12-19 02:18 | 文学・本 | Trackback | Comments(4)
2007年 12月 07日

キエフ・バレエ 「ライモンダ」

キエフ・バレエの公演「ライモンダ」(12月4日:オーチャードホール(渋谷))の感想です。

d0007923_22273743.jpgキエフ・バレエは、「タラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立オペラ・バレエキエフ・アカデミー劇場」が本拠地。バレエ団は20世紀初めに出来た。初来日は1972年とのこと。
「ライモンダ」は、1898年プティパ振付の作品で、同年マリインスキー劇場で初演された。

この公演に行こうと思ったのは、あまり観る機会がなさそうな演目であるのと、ルジマトフが客演予定だったからであるが、ルジマトフは膝の手術のため公演をキャンセルしてしまった。払い戻そうかと思ったが、代演のイーゴリ・コールプもわるくないと言われ、2千円返金してもらって観にいくことにした。


【キャスト】
ライモンダ:エレーナ・フィリピエワ
ジャン・ド・ブリエンヌ:セルギイ・シドルスキー
アブデラフマン:イーゴリ・コールプ
白い貴婦人:田北志のぶ


上演2時間弱でそれほど長くはないが、見所は多かった。  
主人公は、フランス貴族の娘ライモンダ。婚約者であるハンガリーの伯爵ジャンが十字軍で遠征している間に、ライモンダはサラセン人のアブデラフマンに言い寄られる。アブデラフマンと帰還したジャンは決闘し、ジャンが勝利してライモンダと結婚、という単純な物語。

ライモンダ役のフィリピエワは、どちらかというと小柄で手足が特に長いわけでもない。華奢ではなくがっちり安定している。雰囲気はやや硬質で冷たい印象。力強くめりはりのきいた演技だった。特に後半のスピーディーな回転等の技は目をひいた。
シドルスキーは、美しく優雅でいかにも王子様らしく演じていた。ただ王子様キャラクターは、バレエでは当たり前すぎて特徴を出しにくく、敵方があくが強いとくわれてしまう。その敵方、アブデラフマン役のコルプは、熱演をはるかに通りこして怪演の域に達しており、彼のシーンになると異質な世界が展開されていた。私は夏に、来日ガラ公演でコルプを見、その後、コルプ演じる「薔薇の精」をTVで観ていたので、多分「ライモンダ」でも気持ちわるい・・というか、強烈だろうと予想はしていたけれど。
柔らかい体が、ぐねっ・ぐにゅっ・ねとって感じでライモンダに迫る迫る。普通ならひいてしまいそうだが、ライモンダは幻惑されて、ジャンが、帰ってきても決闘でアブデラフマンに勝っても上の空状態。そこで「白い貴婦人」(守護霊みたいの)が登場し、無事2人は結ばれる。田北さんは、身体がしなやかで腕のラインが美しかった。

後半からは、その他大勢の男女もまじえて華やかなお祝いダンス。ハンガリー風なのだろう、片腕を頭の後ろにやってきゅっと体をそらせる決めポーズを皆してやっているのが面白かった。王子の友人たち?の男性陣のきれいにそろった跳躍もよかった。

ところが、男女ペアが入り乱れて踊り始めようというとき、いきなり女性ダンサーの1人が転倒!ぶつかったわけでもなく何でもない場面だったのだが、踏み切りですべったのか何なのか。何事もなく群れに戻って踊り続けていましたが。床に汗なども散っていることだし、ちょっとした拍子で転んでしまうのでしょうねぇ。なお、翌日5日、フィリピエワは腰痛で降板し、田北さんが急遽ライモンダ役となったらしい。

今回の公演スケジュールを見ると、11月初旬から12月下旬まで北は釧路から南は福岡まで全国を縦断中。何人体制でやっているか知らないが、特に主役級はだんだん疲れもたまってくるだろう。ルジマトフの出演キャンセルから何かけちがついたのか・・・。無事日本ツアーを終了できるとよいですねぇ。
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by itsumohappy | 2007-12-07 22:37 | その他 | Trackback | Comments(0)
2007年 12月 06日

「統一ロシア」、ロシア下院選で圧勝

12月2日に行われたロシア下院選挙で与党「統一ロシア」が圧勝した。
以下、今回の選挙に関する報道のまとめです。
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この度の与党の大勝は、10月1日にプーチン大統領が、「統一ロシア」党大会で同党の比例代表者名簿1位に登載されることを承諾したときから予測されていた。10月時点の政党支持率は、「統一ロシア」67%、共産党17%、自由民主党6%、「公正なロシア」4%。

代表者名簿には、非党員であっても党大会で承認されれば載ることができる。上位当選者が議員を辞退した場合は、政党は繰り上げ当選者を決める。議員は閣僚など公職を兼任できず、公職に就けば議員は辞職する。いったん議員を辞めて公職に就いた人が公職を退いた場合、欠員がある場合のみ1回に限って議員に復職できる。
選挙法の改正により得票率7%に満たない政党には議席が与えられない。

今回の選挙には11政党が参加。「統一ロシア」は、2000年にプーチン大統領就任後、強力な支持基盤を作るため主要な2つの与党勢力が合併してできた政党である。自由民主党はジリノフスキー率いる極右政党、「公正なロシア」はプーチン大統領支持の新党。

【選挙結果(得票率7%以上の政党)】
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 (3日ロシア中央選管暫定発表:開票率98%、投票率約60%)
*農業党(2.4%)、ヤブロコ(1.6%)、右派勢力同盟(1.0%)など反政府系は惨敗。

【ロシア連邦議会】
上院(連邦院。定数178:連邦構成主体の行政府及び立法機関の代表各1名)と下院(国家院。定数450、任期4年:これまで半数は小選挙区から選出していたが、今回の選挙より完全比例代表制へ移行した。)の二院制。

【選挙戦での「統一ロシア」の主張】
10月の党大会で採択された綱領「プーチン計画」に沿う。「計画」は、今後10年の国家戦略で、産業育成等を通じ「ロシアの勝利、よりよき生活の継続」を目指す内容。実は、大統領のこれまでの年次教書を集めたようなものらしい。つまり下院選は、実質大統領の信任投票(或いは礼賛選挙)であった。

【野党勢力に対する締め付け】
10月下旬から11月下旬にかけて;
・「右派勢力同盟」の選挙パンフを保管していた党倉庫や同党の立候補者宅が放火される
・同党から大統領選に出馬予定のネムツォフ元第1副首相、「ナーシ」(プーチン大統領支持の青年組織)に遊説を妨害される
・「ヤブロコ」の立候補者、銃撃され死亡
・「もうひとつのロシア」のカスパロフ氏(プーチン政権を批判している元チェス王者)と支持者約30名、デモ強行の理由で拘束される
・反政府集会に参加した「右派勢力同盟」、「ヤブロコ」の支持者ら約200名が拘束される
といった事件が起きた。

【単独で3分の2の勢力を達成】
「統一ロシア」単独で、下院の権限である大統領弾劾手続きや憲法改正の提議が可能となった。共産党を除いた与党勢力を合わせると9割近く(393議席)を占める。

【選挙の公正さに疑問】
野党勢力の封じ込め、不在者投票を悪用した二重投票、複数の投票所への選挙人登録などから欧米政府は「民主主義に逆行」と非難。また、全土で独自に監視を行った共産党は、選挙結果は不当と最高裁に訴える方針である。
ロシア政府は、全欧安保協力機構(OSCE)派遣の選挙監視団のビザ発給を制限。その理由は、米国がOSCEに派遣を断念するよう働きかけたからというよくわからないものだが、「外国からの干渉は許さない」(大統領の発言)というのが本音のようだ。その結果、OSCE監視員は前回(2003年)の465名から約40名へと大幅に下回った。
外国からの監視団は全体で、前回選挙の3分の1である約330人に抑えられた。その中には親ロシアの加盟国が多い上海協力機構、CIS(かつてのソ連構成国)からも監視団も含まれる。日本もロシア政府の要請に基づき3名を派遣。今回の選挙に関する日本政府のコメントは特に見当たらず。

【プーチン大統領が就く今後のポスト予想】
統一ロシア党首/下院議長/国家安全保障会議書記/首相 など諸説あり。石油・天然ガスの統合国営企業を創設してその社長に就任説もある。また、選挙当選を受けて大統領を辞任し、年内に次期大統領に立候補する裏技?もあるが、任期満了まで大統領職を務める意向と伝えられる。
新大統領が1期で退任した後の大統領選で返り咲きを目指すこともできる。任期満了後の政界から完全引退はおそらくなく、何らかの形で影響力を保ち続けるという論調が多い。

【今後の政治日程】
12月17日:「統一ロシア」党大会。プーチン大統領、後継候補指名の予定
2008年1月26日:大統領選候補者の確定
3月2日:大統領選
5月7日:プーチン大統領任期満了

【有力と言われる後継者候補】
ズプコフ首相/イワノフ第1副首相/メドベージェフ第1副首相/ナルイシキン副首相/ヤクーニン・ロシア鉄道社長 などなど。
「候補者は5名いる」とプーチン大統領は語ったそうだが、これまで具体名に言及していない。
 (☆追記:12月10日、大統領はメドベージェフ第1副首相を支持すると表明した。)

支持率約8割とも言われるプーチン大統領は、ソ連崩壊後の1990年代に混乱・疲弊しきったロシアを救ったと国民からは受けとめられている。ただ、現在の好況は、原油高の中、エネルギー資源の国家管理を強化した結果に過ぎないと言われる。

プーチン政権は、権力維持のためこれまでに知事の直接選挙の廃止、メディア統制の強化、反政府行動の押さえ込み等、強硬な手段をとってきた。「旧ソ連共産党書記長、ツァーリ、ファラオを足してなお上回る権力を併せ持つ」。とは共産党のジュガーノフ議長の大統領評である。
国民の支持は高くともG8の他のメンバー国からは、コントロールされた選挙や「管理された民主主義」に対する懸念の声があがっていると各紙は伝えている。

(11月21日産経、12月1日毎日、4日朝日、毎日、読売、日経、産経、北海道、5日読売、産経、東京新聞他、外務省のサイトより)
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by itsumohappy | 2007-12-06 00:59 | ロシア | Trackback | Comments(4)