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2007年 05月 27日

国後島・択捉島上陸記 -2.国後島上陸

国後島は、おおざっぱに言って沖縄県よりもひとまわり大きい島。現在、歯舞、色丹とともにサハリン州南クリル地区に(いちおう)属す。ロシア人住民は約6,600人、うち6,000人が行政府のある古釜布にいる。戦前は約7,300人の日本人が住んでいた。

d0007923_0233639.jpg青字の部分が今回訪れたところ。

好天に恵まれ、気温は十度前後だったろうが春の日差しで暖かく感じた。
上陸時の印象といえば… まず、見たことがない景色だなぁと。昔の小学校の校舎みたいな木造の建物(平屋か2階程度。外壁は青や緑に塗ってある)は風雪にさらされ、舗装されていない道路は、車が走ると土煙をもうもうとあげ、あまり歩いている人もなく、一見打ち捨てられた感じにみえた。地面のあちこちににょきにょき出ているふきのとうの光景は根室で見たのと同じ。
団員仲間に尋ねると、日本の田舎の港町に似ている、とか昭和30年代位まではこんなふうだった、とか言っていた。
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古釜布港付近の町並み。手前は菜園。

車で「ムネオハウス」こと「日本人とロシア人の友好の家」まで送ってもらい、しばし休憩。島民の車は四駆やワゴンなど。トヨタ、日産などの日本の中古車が大活躍。
友好の家は、日本の人道支援で建設された「緊急避難所兼宿泊施設」で、交流で訪問した日本人の宿泊施設にもなる。玄関の右側が宿泊棟。
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d0007923_11334062.jpg友好の家。玄関でパンと塩で出迎えてくれた。歓迎を表すロシアの習慣です。
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d0007923_113114100.jpg建物は、プレハブのような簡素なもの。頑丈な建物を作るような支援はできないためだろう。2階の足音や声が響いてくる。それでもこの島を訪れた日本人にとってこの施設は正直ありがたい。日本の電気製品が使えるし、シャワールームは清潔だし、トイレの心配もない。(島のトイレ事情は厳しい。私は遭遇しないようにしたが、世紀末的状況もあるとかないとか…) ただ、この程度の建物に4億円!かかったなんてちょっと信じられない。
8人部屋に泊まった。2段ベッドは上下使うとけっこう揺れる。それでも海上ではなく地上に寝るっていいものだ。
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建物脇の目立たない場所にあったパネル。「南クリル」の行政地図のような。“курильский”(クリリスキー)って強調している気がする。うーむ。

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d0007923_1627369.jpg友好の家付近では、ロシア政府による「クリル発展計画」の一環である地熱発電の工事をしていた。現在、島の電力の7割は、日本の人道支援で作ったディーゼル発電によるものらしい。

なお、友好の家の1室に、今年の1月に違法操業の容疑でロシア側に拘束され、国後に連行された羅臼の漁船「第38瑞祥丸」船長がどうやらいたようである。船長らしい人を見かけた人もいたそうだ(我々の滞在中、ずっとこの建物にいたかは不明)。当局らしき目つきのよくないロシア人が不自然にいたのは気がついたが・・・。報道によれば5月24日現在、まだ裁判は決着しておらず、気の毒な船長はさらに帰還が遅れるようである。(5月24日北海道新聞)
   (追記:↑と書いたが、5月28日に日本に戻った。おそらく自分の船はあきらめたのだろう。)
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ルィプカ幼稚園を訪問。2歳から7歳児約60名が通う。
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園児がはにかみつつも、お遊戯とアリさんの歌で歓迎してくれた。皆、カラフルな服装だ。年少の子達はお人形のよう。ここ数年子供の数が増え、設備が手狭なのが問題なのだそうだ。
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食事中に突如現れた非ロシア人集団にぱちくり。ごめんねー。建物の中の部屋は明るくきれい。
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この子たちは、戦後島にやって来たロシア人の3代目か、もしかしたら4代目もいるかもしれない。見ているうち何だか複雑な気持ちになってきた。上陸したときは死んだように見えた島だが、こうやってロシア人が代を重ね、生活を築きあげている。島で生まれた人たちはここが故郷。彼らに、この島は日本固有の領土で、日本に返還後、日本人と住みたくなければそのうち出ていくんだ、って仮にでも言えるのかと思うと・・・。

郷土博物館入口
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次に郷土博物館を見学。希少な動物が生息するクリルの島々の自然を標本などで紹介している。205種類の蝶、100の火山と、ボランティアの中学生?が懇切丁寧に解説してくれた。1.5メートルのカニが生息するそうだ。日本人が遺したものも展示されている。
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d0007923_16331942.jpgここの博物館に置いてあった怪しいパンフレット。

これが、「巣タリン」「とルマン氏」とか和訳がひどくてほとんど冗談みたいな代物なのだが、要は、クリルはロシアの不可分の領土ということをヤルタ協定、一般命令第1号、国連憲章第107条を根拠に説明したもののようだ。
これを見る日本人は、来訪する交流団位だろうから、まさに我々のためにさりげなく置いておいてくれた?

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古釜布のカフェ、「ロシンカ」(上)と「ストロイーチェリ」。店にしろレストランにしろ表から中の様子はわからない。

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日本人墓地に向かう途中の光景。こんな道路なので、ランドクルーザーが人気。
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墓地付近。水芭蕉が咲いていた。

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古釜布の日本人墓地。
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あちこちの墓碑を集めてロシア人墓地の隣に集めたという。あたりはしんと静かで時が止まったようだった。ロシア人ボランティアが整備しているそうで、ホタテの殻で縁を囲っていた。隣にはロシア人の墓地。墓石には写真がついている。墓地では日露共住だ。

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蝋燭岩。このあたりの景勝地&デートスポット。

あたりにはありとあらゆるごみが散らばっていた。たまに下着(!)も落ちているそうだ。ここに来るまでの道路沿いの空き地にも廃車や廃材がごろごろ置かれていた。ビニールがあちこちの木や草にひっかかってたくさんはためいているさまは、ちょっと異様だった。
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古釜布の町の中心付近。教会や商店が並ぶ。横断歩道も信号もない。
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カフェで昼食。黒パンは必ず出る。新鮮な野菜や果物はサハリンから来るのだろうか。
午後、この日のメインプログラムであるロシア人住民との「対話集会」がクリル行政府講堂で行われた。
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テーマは「島の将来」と「経済活動」。島側から、プーチン政権が決定した、9年間で総額約800億円投資する「クリル発展計画」における国後でのプロジェクトの説明があった。

北海道東方沖地震後の復興プログラムの継続事業、国後からハバロフスク・ウラジオストク両市への航空便開設のための飛行場工事、地熱発電の配管工事、古釜布の港湾設備充実等々。生活レベル向上のための事業が進行中というのだが、これに対して島民から、どこまで達成するのか疑問、行政の言うように発展しないだろう、というような声も出た。

ロシア側は司会者などを除いて10名ほど出席。なかなか集会に出てくれる人を集めるのも大変らしい。日本側は、「領土返還」を前提にやって来ているし、出席して楽しいものではないだろうから。
対話を、日本側の原則(四島帰属確認後に平和条約を締結)をロシア人島民が共有している前提で進めていないので、話をかみ合わせるのが難しい。と言うかかみ合わない。

個々の島民には様々な意見があるかもしれない。ただ、ここで日本人が喜ぶような過激?な意見を仮に言いたくても言えないだろう。狭い国後社会、村八分になって居づらくなるとも限らない。実際、何かのきっかけで周りの住民とうまくいかなくなった人は他の島(色丹とか)に移住することもあるそうだから。

政府の領土交渉が進まない間にも、ロシア側の開発計画がそれなりに進むことは間違いないと思う。元島民の方々は、返還が遠くになるばかりだと嘆いた。
あと、ロシア人住民から、年金が少なく公共料金を払うとほとんど残らない、生活が厳しいという声があった。好景気にわくロシアのオイルマネーはいったいどこに流れているのだろう。

d0007923_1645234.jpg夕食は、Береэюкさん宅でご馳走になった。ご主人は、島の新聞На рубеже(「国境にて」)紙の編集者・フォトグラファー、奥さんは学校の先生をされている。お2人とももの静かなインテリである。壁に本やDVD、写真がたくさん並べてあるダイニングで歓談。といっても言葉がほぼ100%通じない状況で「会話」するのは大変なのである。それでも英語が少し通じたので、助かった。『巨匠とマルガリータ』を読んだ、と言ったら喜んでくれた。
  
写真には出ていないが、サーラ(сало/豚の脂の塩漬けみたいの)というのをはじめて食べた。これを食べてウォッカを飲むのだ!とご主人はがんがん40度のお酒をあおるのでありました。。

d0007923_16453894.jpg飼い犬Гудя。食卓を見上げる潤んだ目がたまらなかった。

Береэюк家のお子さんはモスクワで勉学中。島をいったん出た住民でまた島に戻ってくるのは半々だ、と奥さん。
サハリンから空輸されたというケーキを頂きながら、色丹島のビデオ鑑賞。
そうこうしているうちにムネオハウスへ帰還の時間となり、酔っ払い運転をものともしないご主人に送っていただいた。
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Береэюкさんがお土産に下さった羅臼山の写真

(5月10日)
(続く・・・)


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【参考】

北方領土の面積(北海道の資料)
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by itsumohappy | 2007-05-27 17:31 | 歴史・領土問題 | Trackback(2) | Comments(4)
2007年 05月 24日

国後島・択捉島上陸記 -1.いざ北方領土へ

人生初のホームステイ(非日本人家庭での滞在)を「択捉島」でするとは思わなかった。

このたび、北方領土返還運動の関係で、「北方四島交流事業(ビザなし交流)」の今年度の第1回、国後島・択捉島訪問(5月9日~14日)団に参加する機会に恵まれた。訪問といっても各島1泊2日で、つかのまの印象ですが、レポートします。

「北方領土に行く」と話したときの周りの反応は、おおむね「すごいねー」というようなものだったが、他には、
「フェリーで行くの?」 (480トンの、もと水産学校の実習船だった船です)
「日本人の家に泊まるんでしょ?」 (日本人住んでいません)
「ツンドラ地帯?」「白熊いる?」 (あの~北極圏じゃないんだから…)
はては
「銃撃されないようにねー」 (--;;)
…といったことを言われた。

北方領土って聞いて位置とか島名とかすぐ出ます?私は学校で教わった記憶もなく、経緯等ある程度知ったのはここ数年、というあまり正しくない国民だが、今はきちんと習うものなのだろうか? いちおう図示すると・・・
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 (北方領土問題対策協会の地図から作成) 

こうです↑。納沙布岬の先にある歯舞・色丹・国後・択捉の島々が北方領土、ウルップ以北が千島列島、白地の部分が国際法上帰属未定地、というのが日本政府の主張である。ウルップ以北の島で一般ロシア人住民がいるのはパラムシルだけ。

知床や野付で、海の向こうの「爺爺(ちゃちゃ)岳」(国後島)を間近に見たことがある方も多いと思う。択捉以南はわが国の領土、ということで、北方領土の面積は北海道への地方交付税の算定基礎になっている。

しかしながら、第二次世界大戦後、これら4島はロシアの実効支配下にあるわけで、海上の「中間ライン」を越えればロシア国境警備隊のお世話になってしまう。(歴史的経緯は当ブログ記事を参照下さい)

北方四島への訪問事業は、今年で16年目。領土問題解決に向けた環境づくりということで開始された。歯舞以外の島々の住民との相互訪問を行う(歯舞は国境警備隊しかいない)。友好を深め、次世代の理解(北方領土は日本の領土という認識)を得るのが目的である。

日本政府としては、四島を外国と認めるわけにいかないので、訪問に際し、パスポートやビザは使わない。代わりに「身分証明書」及び「挿入紙」というものを持っていく。どちらもA4位のペーパーで、住所、氏名、職業等最低限の項目に写真を添付したもの。訪問団の係の人がまとめて持っているので団員は目にしない。

訪問前気がかりだったのは気候。どれ位寒いのか見当がつかない。事前に、根室と同じくらいかやや寒い程度と聞いたが、ぴんとこないものだ。根室は5月中旬頃、日本で最後に桜が開花するような寒冷地。都内の真冬のつもりで、いくらでも重ね着できるようにした。

d0007923_2381588.jpgお世話になるロシア人家庭へのおみやげも何にしてよいか迷った。家族構成は出発の時まで不明だったので、とりあえず家族3人分を想定した。ロシア人といえばダーチャでしょ、ってことでサカタのタネで枝豆やかぼちゃ等の野菜と菊の種、セール中だったグラジオラスの球根を調達。ただ「北方領土」で育つのか心配で、お店の人に気温など言うと「育つ!」と力強いお言葉。子供用にはサンリオステーションで菓子袋。消耗品ばかりじゃ残るものがないので、観光客向け土産店で派手めな和柄の札入れを買った。
このように袋の中身はたいしたことないが、2軒分なのでけっこうかさばってしまった。

…と、前置きが大変長くなってしまったが――
5月9日、根室の北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)で団員69名の紹介と事前研修のあと、根室港から「ロサ・ルゴサ号」で16時ごろ出発した。
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出港の前。旗を振りあってしばしのお別れ。
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団員は20~70代。元島民、返還運動関係者、国・自治体職員、通訳、医師、記者などである。ロシア側訪問の際の受入をしている団員の場合、今回で2、3度目の北方領土訪問という方々も多かった。
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こうして見ると根室もちょっと寂しい港。やがて日が落ちた。
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行きの航路(帰りも同じ)。まず古釜布(ふるかまっぷ/ユジノクリリスク)に向かう。10.5ノット(時速20キロ位)で4時間半程度かかる。

通過点(北緯43度28分、東経145度46分)を越えると、そこから先はサマータイム時のサハリン時間となる。悔しいけれど2時間進む。船内の時計は日本時間なので、時々混乱した。
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船室と食堂。
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船は清潔だが、天井は低く狭い。部屋のドアを開けると通路がふさがってしまう。段差が多いので、高齢の方にはきついと思う。先方ロシア人が来る時も使われることがあるのでロシア語の注意書きもあり。d0007923_0165277.jpg

船のエンジン熱を利用したお風呂がある。海水を飲料水に変える装置があるので、飲み水には困らない。ロシアの電圧は日本と異なるので、船内でカメラ等の充電を行う。

古釜布までの航行はスムーズでほとんど揺れを感じなかった。出発当日夜11時頃には古釜布沖に着いたようである。(ぐっすり寝ていて朝になるまで気づかず。)
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古釜布沖。船から見た古釜布の町並み。くすんだような感じ。後ろの山は爺爺(ちゃちゃ)岳。

d0007923_0202197.jpgロシアの係官がはしけでやってくるまで待機。晴れていてほっとした。停泊中、船員さんがしかけた竿に大きなかれいがかかった。

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羅臼山(メンデレーエフ山)は火山なのでところどころガスが立ち上っている。

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はしけ(日本が寄贈した「希望丸」)に乗ってロシア人係官が到着。古釜布港は浚渫がされておらず、我々が乗ってきた480トンの船すら直接岸につけられない。
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船内での入域(入国ではない!)手続き(悔しいけど税関審査)終了後、船から板を渡し、このはしけに乗り移る。天気が穏やかだったので、比較的楽に移ることができた。この時は。
ロサ号がとてもきれいな船に見えた。
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はしけの端にいると危険です。
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座礁した船が沖にそのまま放置されている。
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古釜布の町が近づいてきた。
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待ち受けるロシア側のお迎えの方々。無事上陸。
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港で、ロシア人の家庭などから出してもらった車十数台に適当に分乗し、ムネオハウスこと「友好の家」に向かった。

(5月9~10日)
(続く・・・)

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【参考】

●北方領土への訪問事業等に関するサイト
北海道 
根室支庁 
北方四島交流北海道推進委員会 
内閣府 
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by itsumohappy | 2007-05-24 01:31 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(3)
2007年 05月 06日

国立ロシア美術館展

「国立ロシア美術館展」(東京都美術館(上野)・7月8日まで)の感想です。

d0007923_042171.jpg東京都美術館での企画展はおおかた六本木に移動したようだが、これは従来の場所で開催中。こどもの日の上野はとんでもなくこんでいて、駅もすぐには出られない位だったが、幸い美術展は拍子抜けするほど空いていた・・・。かつて経験がないくらいじっくり鑑賞できてよかったことはよかったのですが。人ごみに絵が埋もれているような展示会もありますからねぇ。

空いていたのは、多分、ロシア美術館自体まだあまり知られていないからだろう。「エルミタージュ」のほうはもはや定着したブランドだが。ロシアの画家がテーマだと少々集客が難しいのかもしれない。私もレーピン、クラムスコイくらいしか知らない。旅行の際、トレチャコフで見た作品の制作者によるものと思われる風景画があったが、なかなか画家の名前が覚えにくいもので・・・。d0007923_0445552.jpg

展示は、時代を追っていろいろなジャンルからバランスよく構成されていたと思う。キャプションもただタイトルと画家名・制作年をつけるのではなく、画題に関する簡単な説明を添えてあった。
作品は全般に、日本人に馴染みやすい作風ではないだろうか。緻密で写実的な絵画が多く、見ていて安心感がある。

人物画からは、モデルの心、精神性が伝わってくる。エカテリーナ2世の、堂々と自信みなぎる、大国の女帝らしさ。息子(とされる)パーヴェル1世のはかなくも見える思慮のなさ。

d0007923_2163340.jpg左はシーシキン「針葉樹林、晴れの日」(写真:図録から)という絵画。よい風景画からは、風や温度、湿度感や水の音、鳥の声、地面のにおいを感じる。目の前の風景の中に、実際踏み込んでいけるかのような気持ちになる。

自然を描いたもののほか、他の画家による帝都や街の風景画もいくつか展示されており、絵の中の当時の人々の風俗や生活ぶりも興味深かった。

展示会は、作品数が多く、満足できた。しかし、やはり現地で見たいものです。
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by itsumohappy | 2007-05-06 00:55 | 展示会 | Trackback(1) | Comments(9)
2007年 05月 03日

映画 「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」

d0007923_17593355.jpgA・ソクーロフ監督の新作ドキュメンタリー映画(2006年)で、先だって亡くなったロストロポーヴィチ氏とボリショイのオペラ歌手だったヴィシネフスカヤ夫人の物語。2人の超豪華な金婚式の模様から始まる。デジタル撮影の画面が鮮やかで、はじめTVを大画面で観ているような錯覚がした。

映画は2部構成。夫妻の生い立ちと出会い、芸術家として大成するまでの歩み、16年間の亡命生活と故国への帰還を淡々と紹介し、次に、ポーランドの作曲家が献呈したチェロ協奏曲をウィーン・フィルと初演する巨匠と、後進の指導に情熱を注ぐ夫人の様子を描く。

ペテルブルクにある美術品に囲まれた邸宅で、ソクーロフ監督のインタビューに答える2人の話は興味深い。監督の語り口は静かだが、カメラは2人の表情をがっちり捉えて離さない。ロストロポーヴィチ氏のユーモア溢れるお茶目さは、故米原万里氏の著作などで紹介されていたとおり。ヴィシネフスカヤ夫人の表情はやや険があり、幼時からの苦労がしのばれるようだ。

夫妻が作家ソルジェニーツィン氏をダーチャに匿い擁護した(地下出版の手助けなどをした)ことは、当然映画で説明されているが、観に来ていた10代・20代位の人たちはソルジェニーツィン氏を知らないだろうなぁ。

ロシアのオペラ(私はよくわからない)や音楽がお好きな方は、より楽しめると映画だと思う。東京・渋谷のイメージフォーラムで公開中。少なくとも5月25日までは上映するとのこと。地下の映画館は、椅子はふかふかですが、スクリーンの位置が高いのであまり前に座らないよう注意!です。

なお、ヴィシネフスカヤ夫人はソクーロフ監督のチェチェン問題に関する次作に出演。現地グローズヌイでのロケもこなされたそうです。
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by itsumohappy | 2007-05-03 18:15 | 映画 | Trackback | Comments(8)