ロシアが気になる

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2007年 04月 29日

ロシアの「主権民主主義」

今月23日逝去したエリツィン元大統領に呼ばれたかのように27日、チェリストのロストロポーヴィチ氏が亡くなった。盟友同士の2人は、ともにロシアの民主化と自由を支持し、それらのために闘ったと評されている。

「言論の自由」について、エリツィン時代は、メディアに対する規制がなく、政権批判も許されていた。
エリツィン氏を悼み、プーチン大統領は、エリツィン氏の力で「自由で民主的なロシアが生まれた」と演説した。・・・しかし、本当にそうなのでしょうか・・・!!??

4月14日と15日、モスクワとサンクトペテルブルクにおいて、政治グループ「もう一つのロシア」が無許可で「不同意の行進」デモを行い、両市で300人以上が拘束された。
参加者は両市ともに2,3千人程度。これを上回る数の警官隊が動員され(モスクワで9千人)、「プーチン無きロシアを」「自由を」「公正な選挙を」と叫ぶ人々を、次々にこん棒で殴って護送したと報道されている。外国メディアの記者も拘束され、毎日新聞の記者は殴られ負傷した。

デモを主導し、一時拘束されたカスパロフ氏は、チェスの元世界王者(IBMのコンピュータには負けたが)。氏は、かねてからプーチン体制を「ファシズム」と言ってはばからず、06年6月、サンクトペテルブルク・サミット開催前に、「もう一つのロシア」と題する国際会議を欧米の公人も呼んで(日本からも民主党が参加)開くなど、「管理された民主主義」国ロシアの現状を訴え続けている。

このたびデモを行った「もう一つのロシア」はカシヤノフ前首相ら右派の他、極左も含む幅広い勢力が集まった政治グループ。それぞれ政党ではないので、選挙に参加できない。現在、政党の認定条件は、「ロシアの約90の自治単位のうち、その半数以上で500人以上の党員を確保する」というように、かつてより厳しくなった。その結果、野党が次々と解散に追い込まれ、30以上あった政党が半減すると伝えられている。
「もう一つのロシア」はデモをするくらいがせいぜいの超弱小団体。政権にとって気にするほどの存在には見えない。

デモ鎮圧に対して米国やEUが懸念を表明したことに対し、プーチン政権は、ロシアは「主権民主主義」国であると主張。「主権民主主義」(sovereign democracy/суверенная демократия)という言葉は、もともと民主主義の立ち遅れを批判する西側へ対抗するために、プーチン政権でイデオロギー担当だったスルコフ氏が造ったものだそうだ。
ロシア固有の(管理された)民主主義を指し、また「経済的主権なくして政治的主権なし」をも意味するらしい。

プーチン政権は野党(対抗勢力)への締付けを強化している。次期下院選では、議席を得るには7%以上の得票が必要で、小選挙区を廃止し比例代表制のみとした(無所属では立候補できない)。地方知事、首長の公選制も廃止(04年12月)されており、知事らは、大統領の直接指名後、地方議会の承認という形になった。

このように、主権民主主義は、本来の民主主義とはかなり異質。それでもプーチン大統領に対する国民の支持は高い。(支持率が70%とか80%)
この度のデモのニュースは、主要TV(全て政府系)では黙殺状態だったという。
国民は、「強いロシア」であれば、KGBスタイルでも受け入れられるものなんですかね。よくわかりません。

カスパロフ氏は、欧米での知名度を盾に?6月にも反政府デモを予定しているらしい。そのうち殺されないとよいのですが。

(04年12月4日毎日、06年6月29日朝日、07年4月15・19日読売、17日日経、北海道、18・20日朝日新聞他より)
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by itsumohappy | 2007-04-29 11:23 | ロシア | Trackback(1) | Comments(2)
2007年 04月 18日

最近の話題から

最近の報道から日露に関する記事を紹介します。

●モスクワ―東京就航40周年
1967年4月18日、モスクワから東京への初めての旅客直行便が羽田空港に着陸した。この便は、アエロフロートとJALの暫定的な共同運航の形で開始されたもので、JALは、シベリア横断無着陸運行の権利を最初に獲得した航空会社だった。またアエロフロートにとっては他の航空会社と共同運航を行うのははじめての経験であった。

シベリア上空を飛ぶことで東京からパリまで16時間要したのが4時間短縮された。(今では当然のことだが、以前は欧州行きは北極まわりで飛んでいた。私もはじめて乗った外国便はアンカレッジ経由だった。)

   TU114。爆撃機を元に作られた旅客機。
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使用機体は当時世界最大のプロペラ旅客機TU114。羽田にあるタラップでは高さが足りず、専用タラップがモスクワから送られた。当初、TU114の大きな重い機体が都心上空を旋回し、羽田に着陸するのは困難と言われたが、無事運航にこぎつけた。シェレメチェボ空港を立った初の東京行きフライトで到着したソ連民間航空省大臣率いる訪問団は、日本側の大歓迎を受けた。
アエロフロート側は定期運航の成功に向け日本の信頼を得るために、運航を時刻表どおりに行うことを厳守したという。

【アエロフロート機内誌「オーロラ」2007年春号より】


●日本海横断国際フェリー航路まもなく開設
2006年末、ロシア極東方面向けに新潟県白根産のナシが初めてコンテナ便で新潟港から輸出された。d0007923_23452588.jpg極東ロシアでは中国産ナシの数倍もする高価なナシだが、富裕層を中心に浸透し始めている。産地のJA(全農)にはモスクワの高級スーパーからもナシ販売の打診があるらしい。ナシの輸出に際して、当初横浜港経由の輸送ルートが検討されたが、コスト等の問題から韓国釜山経由となり、2週間かかってナホトカ近くのボストーチヌイ港に届いた。
新潟港から直接極東ロシアの港に輸出できれば2日で着くのに・・・と産地関係者は残念がったが、極東フェリー航路開設の願いは間もなく叶いそうだ。

2007年3月20日、新潟県の運送会社など5者が発起人となり、「北東アジアフェリー航路投資株式会社」が設立された。これは、日本・ロシア・中国・韓国の4ヶ国合弁による「北東アジアフェリー航路株式会社」の設立に向けて、日本の出資準備を目的とするもの。出資総額は計300万ドルを予定しており、その4割超を日本側が負担する。本社は新潟市に置かれる予定。

今年6月を目途に、旅客600人、コンテナ132個分を運ぶ「新東春号 New Dongchun」が新潟港とロシア・トロイツァ(旧ザルビノ)港、韓国・束草(ソクチョ)港を結ぶ三角航路を週1便運航する。所要時間は、新潟-トロイツァ/束草-新潟ともに24時間程度とのこと。ロシア極東経由で、中国東北部との貿易が発展することも期待されている。
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【2007年2月28日朝日新聞、3月1日日本海事新聞ほかより】


●国営ロシア鉄道、新幹線技術の導入を検討
国営ロシア鉄道は、2030年までに10兆ルーブルを鉄道近代化に投資する計画をまとめた。それには、2015年までにサンクトペテルブルク-モスクワ間を高速鉄道で整備し、30年までにニジニーノブゴロドまで延伸することや、エカテリンブルグ(ウラル地方)-チェリャビンスク(西シベリア)間の高速鉄道の敷設などが含まれている。06年、サンクトペテルブルク-モスクワ-ニジニーノブゴロド間の高速鉄道車両は、ドイツのジーメンス社が受注した。

3月に来日した国営ロシア鉄道のヤクーニン社長は、JR東日本の関連施設を視察し、ロシアでの高速鉄道建設に向け日本の新幹線の技術を導入する考えを明らかにした。さらに、シベリア鉄道を通じ、日本からロシア、欧州方面への貨物輸送拡大に向けた交渉に意欲を示したと伝えられている。まずは今春から、シベリア鉄道と北朝鮮北東部の鉄道を連結する試験事業を開始する予定。国境付近のハサンと北朝鮮の羅津を結ぶ区間が対象となる。
ヤクーニン社長は、来日中、物流会社等民間企業とも会談を行い、コンテナ輸送会社への出資や輸送用車両製造会社の設立を提案した。

同社長は、プーチン大統領の有力後継候補であるイワノフ、メドベージェフ両氏に続く有力な候補の一人とされている。

【2007年3月28日北海道新聞、3月30日日本経済新聞、4月13日フジサンケイビジネスより】
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by itsumohappy | 2007-04-18 00:20 | その他 | Trackback | Comments(0)
2007年 04月 09日

ドストエフスキー 『貧しき人々』 『地下室の手記』 『永遠の夫』

長編は疲れるので短編を、と思って図書館で借りたのがこれ。集英社の『世界文学全集』43巻(1979年)で、『貧しき人々』は江川卓氏、あとの2作は水野忠夫氏の訳である。文学全集がはやらない今日、出版年が古いのでもう絶版になっているかもしれない。

●『貧しき人々』
貧乏役人(それも年とっている)と向かいに住む不幸な少女の交流を、書簡体を主体に描いた小説。2人は、互いにいたわり、励ましあい、愛を語らうが悲しい結末を迎える、という単純な話だが、「貧しき人々」の生活・心理が惨め極まっていて、読んでいてすごくつらい。本当の貧しさを経験したものの描写である。貧しさのあまり「自分自身への尊敬の気持ちをなくし、・・・何もかも崩れ去って堕落の底に落ちこむ」状況が、実に半端じゃない。ストーリーそのものよりも、貧乏はここまで人を卑屈にしてしまうのか・・・という貧乏描写にかなり気をとられてしまった。最後のシーンでは、主人公の絶叫が聞こえてくるような錯覚に陥った。

この小説でドストさん(当時23歳)は一躍有名になった。原稿を試しに持ち帰った編集者と友人の作家が、夜を徹して読んでしまい、感激のあまり夜明け頃にドストさん宅に押しかけて祝福した・・と解説にある。ドストさん自身、「生涯で最も感激した瞬間」だったそうだ。

●『地下室の手記』
ドストさん42歳の時の作。「わたしは病める人間だ・・・」から始まる。この小説も「貧乏」と無関係ではないが、主題は「人間の本質」になるのだろうか。人の醜さをシニカルな目でこれでもかとえぐり出してくれるので、辟易した気分になりかけると、ドストさんはそういうこちらの心理も見抜いていて更に突いてくるのである。

この小説は前半と後半に分かれるのだが、はじめのほうでは何が何だかよくわからなくてあっさり投げだそうかと思った。しかしながら、読み進めていくうち、センナヤ広場?あたりのじめじめした地下室から時空を超えてビョーキの人間がブツブツ語る言葉に、無視しようにも何故かそうできなくなってしまった。「現代のきちんとした人間は誰しも、臆病者で奴隷であるし、またそうでなければならないものなのだ」なんて言いますから・・・。

読み終えた後、私の惰性ぶりがドストさんに冷笑された気分になり、ああ、参った・・・としみじみ思いました。

●『永遠の夫』
『地下室の手記』がインパクト強すぎて、すぐ後に読んだこの小説はあまり印象に残っていない。ストーリー自体は分かりやすいが、「永遠の夫」役の人物が卑屈でぐじぐじしているので、いらついてしまう。喜悲劇調に語られていて読みやすいとも言えるが、どうも爽やかでない。もっともこの小説だけではないけれど。

各作品、短くともやはりドストエフスキー。それなりに疲れました。
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by itsumohappy | 2007-04-09 00:20 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)