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2007年 03月 28日

ウクライナの卵細工「ピサンカ」

d0007923_0491829.jpg「ピサンカ」とは、ウクライナ伝統の卵細工(イースターエッグ)。卵に小さな穴を開けて中身を出し、ろうを表面に塗って着色料をつけた後、ろうそくであぶって模様を出す。
4、5000年の歴史があるらしい。(2007年3月27日読売新聞)
ピサンカの展示会の案内を見てさっそく今日昼休みに見学した。(銀座ギャラリー:4月1日まで)

作者のヘリホリ・ディチョックさんは両親がウクライナ人。子供の頃から伝統の卵細工を作っていたそうだ。作品に使う色は、赤、黄、黒、青など原色が主体で、金銀などは使わない。星や花など自然のモチーフを幾何学的なデザインにしている。民族調で明るく暖かみのあるイメージだ。ダチョウ、ニワトリ、ウズラの卵作品が出展されていた。大きくても小さくても相当な手間がかかる感じ。

以下、ギャラリーにおられたディチョックさんご夫妻にお話を伺ったところ――

縦20cm位のダチョウの卵の場合、完成までに2ヶ月くらい。肩もこるし、目、手も痛い。模様付けの途中で失敗したら最初からやり直しです。ウズラは殻が薄く、穴を開けた時点でだめになるものもある。殻の模様は漂白して消します。伝統的な文様は単純で(写真の上のほうの卵参照)、ウクライナの中でも地域によって多少異なり、山の多い西部は黒など暗めの色、ステップ(草原)のある中央部は緑色を多く使います。作品には、伝統の文様をベースに、より複雑な模様を描いています。殻を強化するために、表面に何か塗ったり中に詰めものなどはしないので、普通に壊れます。

―とのこと。細密画のような文様は、大変な集中力が要りそうだ。
(今年の復活祭は正教、カトリックともに4月8日。)

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d0007923_0514258.jpgロシアの皇帝は、イースターエッグを金銀宝石で作らせた。クレムリンの武器庫に、金細工師ファベルジェが、王室のために作った華麗な作品が展示されている。
今、江戸博の特別展で一部紹介されているもよう。

下は最も有名と言われるファベルジェのイースターエッグ「戴冠式」(フォーブスコレクション)。ファベルジェのエッグにはサプライズというか仕掛けがあり、この作品のモチーフであるニコライ2世の戴冠式用馬車の中にはダイヤが隠されているそうだ。
ファベルジェの子孫も作品を作っている。
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by itsumohappy | 2007-03-28 01:05 | その他 | Trackback | Comments(2)
2007年 03月 22日

東西教会の和解は遠く

3月13日、プーチン大統領はバチカンを訪問し、法王ベネディクト16世と初会談した。ロシア正教会とカトリック教会との関係修復への一歩とされたが、大統領は法王をロシアに招待することは見送った。カトリック側の関係改善への働きかけに対し、ロシア正教会は、「バチカンとの対話には関心がある」としつつも「関係改善には具体的な措置が必要」と表明したという。

カトリック教会のロシアでの布教活動が、ロシア正教会を刺激していることが不仲の一番の原因らしいが、すると「具体的な措置」とはカトリックはロシアで布教するなということだろうか?

これまで、両者の関係を悪化させた理由としては
●ロシア革命時やスターリン政権下、カトリック教会は弾圧され、司教たちは銃殺など迫害を受け、カトリック信者は正教に改宗させられた。
●冷戦崩壊(1989年)後、バチカンはロシア領内で本格的な布教活動に乗り出した。
●ソ連時代非合法だったウクライナの「帰一教会」(正教会のミサを行うがローマ法王の権威を認める)の活動が当局に認められた。(1989年)
●ロシア正教発祥の地、キエフを法王ヨハネ・パウロ2世が訪問した(2001年)。また、法王は、ギリシャ正教やブルガリア正教との対話を進めた。


などが伝えられている。正教側にとっては、「1民族(国家)1教会」原則が侵されるのは我慢ならんということらしいのだが、ロシア正教も海外伝道はしているわけで、もうひとつわかりにくい話である。
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        トロイツェ・セルギエフ大修道院の三位一体教会。
       ロシア正教の聖地(総本山)のひとつ


東西教会に関し、過去の歴史をややさかのぼって世界史の本などで見てみれば、

395年  キリスト教を国教としたローマ皇帝テオドシウスの死によりローマ帝国は東西に分裂
726年  東ローマ皇帝レオ3世、「聖像禁止令」発布。聖像の是非を巡りローマ教皇と大論争となる (843年、東方教会は同禁止令を解除)
988年頃 キエフ公国ウラジミル大公、ギリシャ正教を国教とする
1054年  「聖像禁止令」を境にキリスト教の正統を争った、ローマ・カトリックと東ローマの正教の両者、互いに破門状を投げ合って教会は完全に分裂
1453年 東ローマ帝国滅亡。ロシアが東方正教会の主な後継者となる
(かなり飛んで)
1965年 東西両教会、互いの指導者への破門を解く
1989年 ゴルバチョフ大統領、法王ヨハネ・パウロ2世と会談。バチカン市国との関係を改善する
・・・という流れである。ものすごく大まかですが。

両教会のトップ会談は、1997年に一度予定されたが、直前にロシア正教会が拒否して流れた。分裂から1000年近く経つのに、今回のプーチン大統領訪問でも「歴史的和解」への道筋はつけられなかったようだ。

d0007923_2235522.jpg2004年、バチカンからロシア正教会へ返還されたイコン「カザンの聖母」。16世紀、タタルスタンで、聖母に導かれた少女がこのイコンを発見したと伝えられる。ロシア革命後行方不明となっていたが、米国でのオークションでカトリック団体が購入し、ローマ法王へ寄贈。法王は書斎にかけていたという。







(1989年11月30日朝日新聞、93年10月3日毎日新聞、2004年4月24日朝日新聞、07年3月16日北海道新聞他より)
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by itsumohappy | 2007-03-22 00:48 | ロシア | Trackback | Comments(0)
2007年 03月 08日

国際婦人デーと新潟産チューリップ

3月8日は国際婦人デー。ロシアの祝日のひとつ。会社でも小学校でも男性は女性に花などを贈るそうだ。ロシアの調査会社が国内153都市1600人を対象に行った調査によると、ロシア男性が予定する女性へのプレゼントのトップは花(47%)。その他には、カード&女性向けギフト(33%)、菓子(31%)、香水・装飾品類(25%)など。装飾品といっても宝石を含め高価なものを選択した人は少ない(5%)。たくさんの女性にお祝いしなければならないからだろう。
約半数(49%)が、自宅でごちそうを食べて祝う予定で、外食、ナイトクラブへ行くことを選んだのは4%という結果だ。(2007年3月7日ウラジオストク・ニュース

ロシアでは、1年間の切花の総売上の50%がこの国際婦人デーでの売上だという。ソ連時代はもっぱらミモザが贈られていたが、今は赤いバラなどが好まれるらしい。
季節的に生花が品薄であるこの時期、新潟のチューリップが国際婦人デーをターゲットに極東ロシアへ06年から本格的に輸出されている。

人気を呼んだ「ファンシーフリル」と「バレリーナ」(右下)d0007923_23143125.jpg
新潟の「FFSフラワーファームしろね」社長は、取引先のオランダ農家からロシアにおける国際婦人デーでの花の需要を聞き、05年、試みに17種類約5千本をハバロフスクの店に置いたところ半日で完売。

モスクワ経由でオランダから陸路で運ばれるチューリップと比べて鮮度がよく、オランダ産が2、3日でだめになる一方、新潟産は9~15日もち、現地業者が大絶賛した。価格は日本の3~4倍でも現地では高品質なものを求める消費者が増え、贈る花の美しさを競う傾向にあるそうだ。国際婦人デーに限らず、ロシアでは花の需要が多く、日本側にとっては、バブル崩壊後、花きの売上が落ち込んでいたところに新たな販路が見いだされた。
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「しろね」は、今期、ハバロフスクとウラジオストクに06年12月~3月の間、チューリップ10万本を空輸する見込み。ハバロフスクまで130分、ウラジオストクは90分なので翌日には店頭に並び、東京に出荷するのと変わらない。
今年は、JA新潟みらいでもチューリップの輸出を始めた。

今後は花に限らず果物類などの農産物にも需要が出てくる見込み。新潟港発の定期フェリー航路も今年開かれる予定なので、ロシア対岸の県には新たなビジネスチャンスとなりますね。

(2005年8月26日朝日新聞、07年2月27日新潟日報、3月4日日本農業新聞 他より)

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【国際婦人デー】
1904年3月8日、米国の女性労働者が参政権獲得運動を行ったことをきっかけに、1910年、国際社会党会議で国際婦人デーが定められた。
ロシアではソ連時代から女性の祝日として定着している。男性のためには「祖国防衛者の日」(2月23日:旧「ソビエト陸海軍の日」)が02年から祝日に定められた。
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by itsumohappy | 2007-03-08 23:33 | その他 | Trackback | Comments(2)
2007年 03月 06日

最近の話題から

最近の新聞などから、日露に関係する記事を紹介します。

●サハリンプロジェクトの環境調査
ロシア政府は、06年秋から延期していた、サハリン1事業に対する環境調査を3月28日から始めると発表した。サハリン1は、米エクソンモービル(30%出資)、サハリン石油ガス開発(30%:日本政府、伊藤忠商事、丸紅などが共同出資)、ロシア国営石油大手ロスネフチ(20%)、インド企業(20%)が権益を持ち、総事業費は約120億ドル。

06年12月、ロシアは、環境対策の不備を理由に圧力をかけ、サハリン2プロジェクトの権益を得たが、今回もロシア企業ガスプロムを参加させるための措置との見方がある。

サハリン2にガスプロムが参入した後、プーチン大統領は、環境問題は、「基本的に解決したと考えて良いと聞いている」(06年12月21日)と述べた。 しかしながら、サハリン2の環境問題を訴えているロシアのNGO「サハリン環境ウオッチ」によれば事態は何も変わっていないそうだ。

d0007923_2281176.jpg環境NGOのFoE Japanのページにもサハリン2の問題点が列挙されている。例えば、800kmのパイプラインを埋設するのに1000本以上の河川を横断すること、22の活断層があり、地震による破損の懸念があること等など。今も、地滑りの危険がある山岳地帯で建設が続いているらしい。何だか怖いプロジェクトだ。(写真:FoE)

三井物産、三菱商事が出資しているサハリンエナジーにおいて、両社が、環境対策に関する具体的取り組みにどう関わっているのかHPなどを見てもよくわからなかった。

【2007年1月23日朝日、2月7日毎日、3月2日読売、日本経済新聞他より】
参考


●フラトコフ首相来日――北方領土・色丹島への地震観測所設置等を合意
ロシアのフラトコフ首相が2月27日来日した。訪日団は、連邦院副議長、閣僚、知事、企業関係者等で、総勢約200名。日露首脳会談で、エネルギー協力推進、対ロ投資拡大、ウラン濃縮をロシアに委託するための原子力協定の交渉、防災対策に関する合意がなされた。防災協力の一環として、色丹島に「総合地球物理観測所」を設置し、地殻活動の研究、津波警戒システム改善などが推進される予定である。

訪問団は、日本側企業・銀行と石油・天然ガス等エネルギー産業の連携強化、ロシア企業との合弁による自動車生産、光ファイバーの敷設、モスクワのシェレメチェボ第3空港の建設・稼働プロジェクトへの融資等を協議した。

フラトコフ首相は、日露投資フォーラム(2月28日)で「ロシアがリスクではなく、ロシア市場に出ていかないことこそリスク」と訴え、日本からの投資拡大を呼びかけた。これに対して日本側は、その条件として、煩雑で不透明な行政手続きの改善、一貫性のある法制度の運用を要望(安西・東京ガス取締役:日本経団連日本ロシア経済委員会委員長)したと報道された。

一方、領土問題に関しては、フラトコフ首相が経済担当ということもあって、日露双方が受け入れ可能な解決策を目指し、交渉の推進を確認することにとどまった。外務省によれば、今回は、経済関係の強化を通じた「領土問題解決への環境づくり」だそう。

d0007923_2215215.jpg首相の来日に合わせ、ロシアの対日交流団体「ロシア21世紀委員会」が、日本の「日ロ協会」に寄贈した鳩山一郎元首相(「日ソ共同宣言」に調印した)の銅像の除幕式が元首相の邸宅である鳩山会館で行われた。ロシア側から日本の著名人の銅像が寄贈されることは珍しいらしい。
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銅像は、ロシア美術アカデミー・ツェレテリ総裁が制作。鳩山会館の前庭にモスクワの方角に向かって置かれた。右は、除幕式で玉串を奉げるフラトコフ首相。式には、安倍首相や麻生外相、海部、中曽根元首相も出席した。(写真:ツェレテリ総裁のサイト

【2007年2月22日朝日、3月1日読売、朝日、電気新聞より】


●1991年に海部首相が北方四島からのロシア人移住支援を提案
ロシアの雑誌「政治クラス」1・2月号に、日ソ首脳会談(1991年)時の速記録の一部が掲載された。それによると、同会談で当時の海部首相は、「(北方)四島からのソ連住民の移住の可能性に関連し、例えばサハリン南部に日ソ友好の都市を建設するための資金提供」を提案したという。これに対してゴルバチョフ大統領は、「われわれは原則をドルのために売り渡すようなことはしない」とし、また「日ソ共同宣言」については、60年の日米安保条約改定で法的効力を失ったため、同宣言に基づく歯舞・色丹の二島引き渡しも「チャンスは歴史が新幹線『ひかり』に乗せて運び去ってしまった」と話したそうだ。

1991年4月、ゴルバチョフ大統領はソ連元首として初来日し、18年ぶりの日ソ首脳会談を海部首相と行った。会談は、3日間で約12時間、時に深夜まで及んだ。この結果、調印された「日ソ共同声明」で、日ソ間に「領土問題」が存在し、その画定の対象が歯舞、色丹、国後、択捉島であることが初めて公に確認された(それまでソ連は、日本との間に「いかなる領土問題も存在しない」としていた)が、「日ソ共同宣言」への言及はなかった。
ちなみに、同宣言では領土問題の存在には触れられていない。56年当時、「日ソ共同宣言」締結の目的は、主に、戦争状態の終結・国交回復で可能となるシベリア抑留者の帰還と国連への加盟(ソ連の拒否権行使により加盟できなかった)にあった。

この度ゴルバチョフ氏が速記録を提供したのは、日ソ首脳会談に関するロシアでの最近の学説が不満だったからとのことだ。

【2007年3月2日共同、外務省のサイトより】
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by itsumohappy | 2007-03-06 22:57 | その他 | Trackback | Comments(0)