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2007年 02月 26日

北方領土海域での安全操業

先月21日に、羅臼漁協所属のすけとうだら刺し網漁船「第38瑞祥丸」が、北方領土の国後島沖でロシア国境警備艇にだ捕された事件から1ヶ月が過ぎた。船長を除く5人の乗組員は、2月3日に解放されたが、船長は、2月26日現在、日本の人道支援で国後島に建設されたプレハブ「日本人とロシア人の友好の家」に依然拘束中である。
(この「友好の家」、いわゆる「ムネオハウス」は、昨夏、日本人1名がロシア側の銃撃で亡くなった「第31吉進丸」だ捕事件の際も同船長他2名が滞在した所だが、本来、北方領土訪問事業で島を訪れる日本人の宿泊所などに使われる日ロ交流のための施設。)

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すけとうだらと刺し網漁法
(網目に引っかかった魚をからめ取る)


瑞祥丸船長は、日ロ間の取り決めである「北方四島周辺水域における日本漁船の操業枠組み協定」で許可されていない国後島沖3海里以内で操業し、だ捕された。報道によれば、船長は区域外操業を認めており、2月19日、密漁の罪で起訴された。3月5日予定の初公判で罰金刑が言い渡される見通しとのことである。

北方領土は日本の領土と言っても、それを実効支配しているロシア側から見れば、この安全操業枠組み協定に基づかない同海域での操業は取り締まりの対象となる。
同協定は、日本漁船が、北方四島(歯舞、色丹、国後、択捉)周辺12海里内での操業を銃撃・だ捕されることなく行うためのもので、98年に発効した。

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この協定では、海域の管轄権は規定されず、北方領土問題解決までの暫定的な措置とされている。毎年10月頃、モスクワで日ロ政府が、協定の効力の1年間の継続を確認し、その後北海道水産会がロシア側の漁業当局と具体的な条件交渉を行う。2007年の操業条件は、昨年と同じで以下のとおり。操業の許可証が到着してから出漁する。

●漁獲量
 すけとうだら    955トン
 ほっけ       777トン
 たこ         216トン
 まだら等混獲分  232トン
 
●漁期
 すけとうだら刺し網漁業  1/1~3/15 
 ほっけ刺し網漁業      9/16~12/31
 たこ空釣り漁業       1/1~1/31、10/16~12/31
 
●隻数    48隻

●協力金等
 資源保護協力金 2,130万円 
 ロシア水産研究機関への機材供与相当分 2,110万円 


このように、「我が国の領海」内でも好きなように魚をとれないし、決まった魚をとるにもお金が要る。「協力金」の85%は「海外漁業協力財団」が補助し、残り15%を出漁漁船が負担する。たこ漁漁船の場合だと1隻あたり約43万円となる。協力金の負担が苦しい漁業者が廃業すると、さらに各船の負担金が重くなるという問題がある。

根室海峡でのすけとうだら漁獲量は、ピーク時の11.1万トン(1989年度)から、現在はその約1割以下に落ち込んでいるそうだ。水産資源枯渇の一因として、ロシアのトロール船による乱獲が指摘されている。
水揚げ高が落ちている中で、目の前の海で自由に操業できない漁業者はわりきれない思いをしていることだろう。「安全操業」は、領土問題を棚上げしており、信頼関係に基づいて行われる性格のものであるから、越境操業などルール違反が及ぼす影響は大きい。

一方、ロシアでは、98年の安全操業協定の発効後の同年に定められた新法により、国境地域の外国船操業に関する国際合意に議会の批准が義務づけられたため、同国内では、北方四島海域での安全操業協定は見直しが必要とする意見があるそうだ。

領土問題の解決に展望が見えない中、根室をはじめとする地元の経済は疲弊する一方らしい。
(2006年10月25日、28日北海道新聞、2007年2月20日北海道新聞、水産庁HPより)
参考記事 
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【すけとうだら】
北海道周辺と三陸沿岸が主な漁場。北海道沿岸の盛期は1月~2月。産卵のために沿岸にやってくる。夏から秋は、餌をとるため分散している。冷凍すり身に加工され、かまぼこ、ちくわの原料となる。卵巣がたらこ、めんたいこ。白子を練ったものがたちかま。鍋に入れるとおいしい。フィレオフィッシュの魚もすけとうだら。
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by itsumohappy | 2007-02-26 23:50 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(2)
2007年 02月 18日

プリセツカヤ 『闘う白鳥 マイヤ・プリセツカヤ自伝』

d0007923_16593529.jpg昨年、コンサートなどのチラシを見ていたら、「80歳を迎えても世界各国で活動を続ける、世界のトップに君臨する大プリマ」の東京公演(06年2月)の案内があり、20世紀最高のバレリーナ、プリセツカヤ(1925~)を知った。公演も踊っている映像も見たことがないが、名前とプロフィールが印象に残り、本書を読んだ。

これは、“Я, Майя Плисецкая...”(私、マイヤ・プリセツカヤ)の日本語訳(1996年)。(右下はロシア語版)
一部削除・整理しているとは言え、かなりボリュームがある。半端ではない苦難の人生を綴れば、これ位の量は軽くいってしまうのだろう。本の冒頭から、スターリンの大粛清時代のめちゃくちゃな様相が描かれている。

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プリセツカヤ一家は芸術家の家系。マイヤさん12歳の時、父親が逮捕された。銃殺されたのがわかったのはグラスノスチの時代になってから。北極石炭公団で働いていた父親の部下でもある友人が、以前トロツキーの秘書をしていたということがどうも「人民の敵」となった理由らしい。続けて母親も逮捕され、収容所に送られた。マイヤさんにはしばらくの間真相は知らされず(「母親」からの電報は叔母が送っていた)、叔母宅からバレエ学校に通い、やがてボリショイにデビュー。才能を開花させプリマへの階段を上がっていった。

親の逮捕やアメリカに移住した伯父の存在等が災いして、マイヤさんには長く外国での公演が許されず、KGBにも24時間監視された。「危険人物」視されていたのは、体制におもねることなく、従って特権も受けず、周囲の中傷・嫉妬をものともせずに、自らの才能のみを武器にバレエ芸術を追求した著者の姿勢のためとも思われる。また、当局が亡命を危惧したこともあったろう。しかし、ボリショイを愛したマイヤさんは亡命しなかった。本にも出てくるが、亡命したからといって平穏に暮らせるわけでもなかったらしい。61年に亡命したヌレエフには事故と見せかけて足を骨折させる計画があったという。

「アンナ・カレーニナ」
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著者によると、バレリーナは40歳には引退し、年金受給者になるそうだ。活躍できる期間が短い。古典を踊りつくしたマイヤさんは、長く踊るためにも新境地の開拓に努めた。「カルメン組曲」、「ボレロ」などプティ、ベジャールら外国の演出家達の協力を得て、当局から邪魔をされながらも作り上げ、「アンナ・カレーニナ」、「かもめ」、「小犬を連れた貴婦人」などロシアの作品にも取り組んだ。

マイヤさんは、社会主義国での生活を以下のように総括している。

人間には、悪人と善人がいるだけ。恥知らずな連中は平穏無事に暮らし、良心的な人間は苦労するばかり。思いやり・誠意・親切は強欲、裏切り、残忍に対抗できない。ただし地上の至る所に、神に忘れられた辺境に生まれ、自らの十字架を負う「善人」がおり、彼らのおかげでこの世にもまだ安らぎがある
平和な時には見えない、人の世の真理。認めたくないが、過酷な体験から出た言葉は重い。

バレエやソ連の歴史に関心のある人には興味深い本だと思う。各国要人の接待のたび「白鳥の湖」を死ぬほど見させられたフルシチョフほか、当時の共産党書記たちのエピソードも数多く登場する。
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by itsumohappy | 2007-02-18 17:44 | その他 | Trackback | Comments(0)
2007年 02月 04日

ロシア人とウオッカ

オランダからロサンゼルス行きの飛行機に乗っていた約90人のロシア人団体客が、機中でウオッカなどを取り出して飲み騒ぎ、酔って客席をうろつくなどした。乗務員の注意を聞かなかったため、経由地のワシントンで全員強制的に降ろされた。翌朝の便では皆まじめに搭乗し、その日の仕事にはなんとか間に合った― ロシアの名門オーケストラ、サンクトフィルの団員の米国公演時のエピソードである。

ロシア人は飛行機が怖くて(その理由として、慣れないことと安全上の心配(!)があるそうだ。)機内でも宴会してしまうらしい。私が旅行したときも、モスクワ行きの国内線で、連れの隣に座った巨体のロシア人が、おもむろにワインを取り出して連れを含め周囲のロシア人?客にふるまい、陽気にしゃべりまくって750ml位のがあっというまになくなっていた。

ウオッカ(водка)は水(вода)の派生語とも聞いたことがある。ロシア人はウオッカなしでは生きられないイメージ。寒い国だと、飲んでなきゃやってられない面もあるのだろうが。
故米原万里氏の本を読んでいると、当時のエリツィン大統領の豪快きわまる酔っ払いぶりが描かれていて印象に残る。

飲酒過多は、ロシアの深刻な社会問題のひとつ。交通事故、暴力事件、病気・自殺の大きな要因であり、平均寿命を下げている(男性の場合58~59歳)。ソ連崩壊は、アル中の増加だけでなく、粗悪なウオッカの濫造ももたらした。
  
アルコール飲料大手クリスタル社の
ベストセラーウオッカ「プーチンカ」

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ロシア政府の闇ウオッカ取締りにより、高価な正規品を買えなくなった人々は、化粧品や香水などをもとに自家製ウオッカを作るようになり、中毒事故が急増。06年11月、プスコフ州で、工業用アルコールを飲んで15人が死亡、400人が入院する事件が起き、同州は非常事態を宣言した。

政府は、中毒死対策として、07年から安価な「国民ウオッカ」(0.5リットル/60ルーブル)を国営のロススピルトプロム社が製造販売することを決めた。しかし、中毒死は減ってもアル中問題は却って深刻になるとの声もある。ロシアでは、アルコールの規制は微妙な問題らしく(ウオッカを規制したゴルバチョフ大統領は、国民の支持を失った)、なかなか有効な対策が打ち出されないとのことだ。

先日(1月31日)のサハリンのメディアによると、06年12月、北方領土の国後島のロシア軍駐屯地で、規則違反の飲酒を注意された兵士が上官の将校に暴行を加え、騒ぎが拡大して約140名の兵士が兵舎に立てこもる事件が起きたらしい。
この騒ぎで、兵舎に酒を持ち込んだ民間人が撃たれて負傷。兵士達は治安当局の説得に応じて抵抗を止めたということだが、国防省はこの報道をフィクションであり事実無根と表明した。真相は不明だが、本当なら(こんなニュースをわざわざでっちあげるだろうか?)酔った演奏家のニュースと違ってちょっと笑えない事件である。
(2002年2月21日朝日、06年12月5日読売、07年1月20日日経、2月2日北海道新聞より)
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by itsumohappy | 2007-02-04 16:53 | ロシア | Trackback | Comments(4)