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2006年 11月 21日

ドン・コサック合唱団来日

d0007923_2374471.jpg1936年創立の民族舞踊・合唱団が、今年のロシア文化フェスティバルの一環で来日した。12月にかけて全国をまわる。19日中野サンプラザでの公演を見た。
コーラス30名、ダンサー20名、楽団15名の編成。朗々と響く物悲しいメロディーがなんともロシアらしい。コサック・ダンスというと、腰を低くして足を交互につっぱるあの独特のダンス。洗練されない感じが持ち味か? いろんな体型の人たちがいたが、男性はおなかぽっこりの人も多く、服装といいスターリンのバリエーションのようだった。

ダンスと合唱の合間にバラライカとバヤン(アコーディオンみたいの)のデュエットがあり、これが津軽三味線を彷彿させるような情感に溢れていてよかった。いろいろな民族衣装もカラフルで見ていて楽しい。

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ドンは、「首領」ではなく「ドン河」のこと。「コサック(カザーク)」は、トルコ系民族の言葉で「自由な人」という意味。15世紀後半ごろから逃亡農奴や都市民、没落貴族らが南ロシアからカフカス(コーカサス)にかけて移動し作った集団である。ドン河やその支流にコサック軍団が組織され、漁業や狩猟、時には周辺地域での略奪などを行っていた。
ロシア政府から一定の自治権を与えられ、辺境地域の守備やトルコやポーランドとの戦争に動員された。ドン・コサックの英雄?は、ステンカ・ラージン。1670年大規模な反乱を起こしたが、翌年ロシア政府軍にとらえられ、赤の広場で処刑された。
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by itsumohappy | 2006-11-21 23:11 | ロシア | Trackback | Comments(5)
2006年 11月 12日

J・リード 『世界をゆるがした十日間』

d0007923_033369.jpgアメリカのジャーナリスト、ジョン・リード(1887-1920)の著した10月革命のルポルタージュ(1919年発表)。大作。 リードは、1917~18年ロシアに滞在し、臨時政府の崩壊と革命政権の誕生を取材した。

1917年10月、潜行中のレーニンはひそかに帰国し、ボリシェヴィキ党中央委員会で武装蜂起の方針を決定した。24日武装蜂起、翌日臨時政府は倒れてソヴィエト政権が樹立した(10月革命)。

この本からは著者の、世界初の社会主義革命にふれた興奮がよく伝わってくる。背景説明としては、当時の政党、委員会、組合等多種多様な団体(その数膨大で、読んでいても何が何だかよくわからない)を逐一紹介し、決起文や声明文など関連の資料もたくさんのせている。

しかし、この本の読みどころは、背景の解説よりも、占拠された冬宮、ペテロパブロフスク要塞、クレムリンや党本部の置かれたスモーリヌイなどに乗り込んで見た現場の様相だと思う。
リードは、自身でも「感情は中立ではなかった」(労働者の側に心情を置いている)と書いている。新しい世界の出現を前に冷静に現状分析している状況ではなかったのだろう。
当時30歳のリードは、裕福な家の出身でハーバードに学んだインテリであるが、だからこそ?社会主義に関心を寄せ、ロシアに来る前はメキシコの革命を取材していた。

帰国後、リードは、19年にアメリカ共産党を結成。モスクワを再訪し、共産党政権の経済政策の失敗による民衆の困窮を見て精神的打撃を受けた。
チフスに罹りモスクワで病死。32歳。唯一クレムリンの壁に眠るアメリカ人である。

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【スモーリヌイ修道院(左)とそれに併設する寄宿学校】
修道院はエリザベータ女帝、寄宿学校は、エカテリーナ2世の勅命で共に18世紀に建てられた。修道院はロシアで最初の女学院。
臨時政府は全ロシア労働者兵卒ソヴィエト中央執行委員会にスモーリヌイの建物を貸していた。10月革命時、スモーリヌイは革命本部となり、レーニングラード・ソヴィエト中央委員会、中央執行委員会が置かれた。モスクワに首都が移るまでレーニンは革命前後をスモーリヌイの一室に住み執務していた。寄宿学校は現在ペテルブルク市庁舎。
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   スモーリヌイのホールで演説するレーニン

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d0007923_23553269.jpg【映画 「レッズ」(1981年アメリカ)】
革命を取材したリードとパートナーのルイーズ・ブライアントのストーリー。3時間を超える長編。現在と過去を交錯させる展開となっており、リード自身のストーリーとリードを直接知る人々の回想が行ったりきたりする。以前見て途中でかなり寝てしまった記憶がある。ウォレン・ベイティがこのような映画を創ったことがすごく意外に感じた。
二人の関係の描写は全然覚えていないが、革命の部分は生き生きとしていて、インターのメロディーが美しく聞こえる。アカデミー賞監督賞ほか受賞。今年、制作25周年を記念してアメリカで再公開されたらしい。写真は25周年記念バージョンのDVD。今のところ日本では未発売。
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by itsumohappy | 2006-11-12 00:40 | 文学・本 | Trackback | Comments(2)
2006年 11月 05日

収入の話

10月末、ロシア政府閣僚19人の資産が政府機関紙「ロシア新聞」で公開された。項目には、年収、土地、アパート、ダーチャ、ガレージなどがあるが、人によっては年収しか出ていない。何故かプーチン大統領の分は非公開。 (以下、参考までに現在1ルーブル=約4円)
閣僚の中で年収のトップはトルトネフ天然資源相で、2億1140万ルーブル(約9億円)。そのほとんどが、自身が設立した食品貿易会社の株の配当だと語ったそうだ。
この大臣の収入は極端で、2位(運輸相)と3位(IT相)は、それぞれ1200万ルーブル、1100万ルーブル。その他の閣僚の収入は120万~220万ルーブルの範囲。もちろん各人全ての資産が公開されているわけではないのは日本の閣僚の場合と同じ。

原油高による好景気で、ロシアで富裕層が増えているという報道は最近目立つ。市場の特性は「新し物・高級品好き」とのこと。2002年からモスクワで販売されているレクサスの場合、今年上半期販売数は、昨年同期比の2.1倍(4281台)となった。オーナーには、2,30代の実業家が目立ち、LS430(ロシアで約1000万円)とかRX350(7~800万円)なども即金払いが大半を占めるらしい。自分はレクサスのセダンタイプに乗り、妻や恋人にSUVを贈るケースも多いというが、ロシアでもごく一部の層だろう。

2005年にモスクワに行ったとき、現地ロシア人ガイドが、ロシア国民の平均月収は3~4万円、モスクワの場合は7~8万円と言っていた。共働き世帯でようやくカローラ(約160万円~)に手が出るという感じらしい。
ロシアのような広大な地でしかも多民族国家だと3,4万という平均月収の生活レベルが地域ごとにどの程度のものなのかさっぱりわからない。日本のような小さな国でも平均県民所得で最高の東京都で約400万円、最低の沖縄はその半分。だからと言って沖縄の人が不幸な暮らしをしているかというと必ずしもそうでもないだろうし。
ロシアの専門家によるとロシアで最も貧しい層は人口の約7%、1日25ルーブルで生活しているレベル。西欧社会にはここまで貧しい人々はいないが、東欧、中国にはいるという。低いほうも極端だ。

もう少し普通に近いレベルの話として、最近報道にとりあげられた首都での出来事を2つ紹介。
市中をパトロールするモスクワの警官は月収5000ルーブル。モスクワでまともな暮らしをするにはこの2倍が必要。警官を辞めたい人は多いが、他に適当な仕事が見つからない。
警官には、1日10件の摘発ノルマが課せられている。生活が苦しいので、身分証やパスポートチェックの際、不携行なら罰金を多めにとってその場で解決ということが起こる。

エルミタージュ美術館職員の平均月収は、1.5万ルーブル。(うち国が負担しているのはたった2000ルーブルで、残りは入場料や館の活動による上乗せ分。)地方の美術館だと公的最低生活費(2653ルーブル)以下となる。国内の美術館、博物館では毎年高価な文化財の盗難事件が50~100件起き、最近は職員が犯行に関わっているケースが多い。つましい給料が、職員のモラル低下を招いている。エルミタージュでも今年9月、約5億円分の宝飾品が横流しされる事件が起きた。収蔵品管理システムが不十分で、事件は犯人の一人である保管係の急死で発覚した。
07年度のロシア連邦予算は6.6兆円の歳入超過見込みだが、文化面には予算はあまり行ってないようだ。
(2005年6月14日朝日新聞、2006年7月22日週間ダイヤモンド、9月7日朝日新聞、10月30日Moscow Timesより)
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by itsumohappy | 2006-11-05 21:27 | ロシア | Trackback | Comments(0)