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2006年 09月 30日

ショスタコーヴィチ生誕100周年

2006年9月25日はショスタコーヴィチ(1906-1975)生誕100周年にあたる。モーツァルト生誕250周年ほど話題になっていないようだが、記念のコンサートなどがあちこちで行われている。9月23日、N響定期公演(アシュケナージ指揮「ヴァイオリン協奏曲第一番イ短調」と「交響曲第10番ホ短調」)に行った。

d0007923_21108.jpgショスタコーヴィチは、なんか暗そう難しそうというイメージばかりが先行する。肖像写真は、どれもビン底眼鏡&眉間に縦じわで、苦悩を絵に描いたよう。実際、プロフィールなどには体制に痛めつけられた苦難の人生が書かれている。

コンサートで、先に演奏されたヴァイオリン協奏曲で疲れた?せいか「交響曲第10番」は途中で寝てしまってあまり印象に残らなかったので、「ヴァイオリン協奏曲第一番」(演奏:ボリス・ベルキン)について。

解説には、この曲は、DSCH形(「レ・ミ♭・ド・シ」の音型。「ドミトリー・ショスタコーヴィチ」のドイツ語表記より)を最初に使用したものとか難しいことがいろいろ書いてあるが、(音楽評論ってようわからん)シンプルに感想を述べれば、これは「恐怖感」そのものではないかと。

作曲家は、19歳で実質デビュー、その後ショパンコンクールでも入賞した。しかし、36年頃から始まったスターリンによる大粛清(大テロル)のなかで、オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(不倫と殺人の話らしい)が批判された。翌37年革命20周年記念で発表した「交響曲5番」により復権。(生き延びた。)大戦中も国家賞を何度も受ける活躍をするが、48年、スターリンの側近ジダーノフによる文化統制で、プロコフィエフ、ハチャトゥリャンとともに「形式主義的」と批判された。「ヴァイオリン協奏曲第一番」はこの頃作られたとのこと。

4楽章から成るこの曲、
 第1楽章:逮捕、そして処刑の悪夢にうなされる芸術家のうめき声
 2:不安の増幅と焦燥感。ああ、思うように(体制に受けるように)書けない。
  今度こそ殺されるかも感。
 3:現状を冷静に受け止め、心を落ち着かせようと懸命の努力。
 4:気分を盛り立て創作に立ち戻ろうとする強い意思。
…というイメージを私は抱いた。

ジダーノフ批判後は、レニングラード音楽院を解雇され、作品は上演されなくなった。スターリン礼賛的とされる楽曲などを作り再び汚名を挽回。
48年に書き終えた「ヴァイオリン協奏曲第一番」が初演されたのはスターリンの死(53年)後の55年だった。
その後もショスタコーヴィチは、党からの圧力と無縁ではなかったが、亡命することなくソヴィエト社会を生き抜いた。専門家によると、『ショスタコーヴィチの証言』(ボルコフ著・80年)で、ショスタコーヴィチが共産党を嫌悪し、反体制的メッセージを作品に込めていたことが明らかになってからは、「体制に迎合した芸術家」というかつての評価は「反体制に殉じた芸術家」に変わったそうである。

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11月、ショスタコーヴィチ生誕地からショスタコーヴィチの盟友ムラヴィンスキーがかつて率いたサンクトペテルブルク・フィルハーモニーが来日する。ショスタコーヴィチをメインに、チャイコフスキー作品も演奏予定。
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by itsumohappy | 2006-09-30 21:08 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
2006年 09月 21日

「サハリン2」事業の中止決定

9月18日、ロシア天然資源省は、日本の対ロ投資ビッグプロジェクト、サハリンの石油・天然ガス開発事業「サハリン2」(フェーズ2)の開発承認を、工事の環境保全対策が不十分という理由で取り消す決定をし、同プロジェクトは停止に追い込まれた。

「サハリン2」の事業会社「サハリン・エナジー」はロイヤルダッチシェル(55%出資)、三井物産(25%)、三菱商事(20%)が出資しており、07年末から原油の、08年から天然ガスの出荷予定で工事も8割近くまで進んでいた。日本の2社の総投資額は9,000億円。報道によれば、事業そのものの白紙化が目的ではなく、100%外資である同事業へのロシア企業(ガスプロム)の参入を狙ったものとしている。
また、エリツィン政権時代に結ばれた生産物分与契約(事業費コストは利益分で回収できる方式になっている)が、工事費の増大によりロシアにさらに不利となるため、エネルギーの国家管理政策を進めるプーチン政権が権益拡大のための圧力をかけたという見方もある。

「サハリン2」の生産する天然ガスの半分以上を、東京ガスや東電、九電等が日本郵船、商船三井等の船で輸入する予定。しかし事業の事実上の中断で、輸入する各会社の調達計画が狂ってしまった。

「サハリン2」プロジェクトは、石油・天然ガスの輸入先を中東や東南アジア以外にも広げ、エネルギーを安定的に確保するという政府の「エネルギー安全保障」政策を担うものと位置づけられている。
2010年にインドネシアとの天然ガス輸入契約が更新されないおそれがあるため、リスク覚悟でサハリンからの輸入を検討しざるをえないとのことだ。

駐日ロシア大使は、プロジェクトは完遂するとし、承認取り消しはあくまで環境対策の不備が理由であり、ロシア政府が何かたくらんでいるわけではないと語った。
出資3会社には、事業がご破算になるよりは、ということで、ロシア側へ権益を一定分譲る動きが出ている。

それにしてもロシアという国はやることが強硬というか乱暴というか。これでは企業は恐くて対ロビジネスに乗り出せないだろう。今後東シベリアでも予定されている油田開発・パイプライン敷設計画に対して、ロシア政府は同計画への政府保証を拒否しているが、その理由は後々このような圧力をかけやすくするため?

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(地図参考:海上保安庁資料)
d0007923_145882.jpg天然ガスをパイプラインで南部に運び、プラントで-162度で冷却、液化する(液化天然ガス=LNG)。体積は600分の1に縮小される。タンカーで日本に運び、気体に戻して各地に送られる。プリゴノドノエは不凍港で、通年生産・出荷が可能。「サハリン2」はロシア初のLNG事業。LNG技術取得のためロシア政府は事業の撤回はしないと見られている。

「サハリン1」にはロシア企業のほかエクソンモービル、伊藤忠商事などが参加。10月から原油出荷予定。しかしこちらのプロジェクトについてもロシア政府は、利益減少につながる事業費増加は容認しないと表明しており、今後「2」と同様の圧力をかけることが予想されている。

プロジェクトの環境対策自体は確かに重要ではある。海つづきで北海道はすぐそこ。油の流出事故で海洋汚染があると影響は大きい。今年の春先、知床に油にまみれた大量の死んだ海鳥が流れ着き、サハリンプロジェクトが関係しているのではないかという説があった。原因は今のところ不明のままである。


(2006年9月22日朝日新聞、21日読売新聞、20日毎日、読売、日経、東京新聞、19日産経新聞、東京ガス、三井物産HPより)
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by itsumohappy | 2006-09-21 22:55 | ロシア | Trackback(1) | Comments(0)
2006年 09月 19日

ドストエフスキー『死の家の記録』

ドストエフスキー。中高時代の課題読書に必ずといっていいほどある「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」は読んだことは読んだが、今よりもさらに理解力の足りない昔のことで、内容はほとんど忘れてしまった。長くて大変だったことは覚えている。世の人が絶賛する文豪の有名作品でも、傑作だ!感動した!という感想が持てないと、やっぱり自分にはこんな高尚な文学は難しいから今後はやめとこ。。と思う。私にとって、そんな作品の代表がドストさん文学。

d0007923_0303239.jpgしかしドストさん文学はやはり読まなければならないもののような気がするので、今後少しずつ読もうかなと思う。長編だと挫折しそうなので、まずは文庫1冊からということで『死の家の記録』(1860年発表)。ぺトラシェフスキー事件で検挙され、死刑の寸前に恩赦によりシベリア流刑となったドストさんの実体験に基づく小説である。というか実体験そのものと読める。


結論から言えば、読みやすくて助かった。リアリティに富んでいてまさに「記録」。監獄の人間模様と生活が活写されていて、映像が目に浮かぶよう。(実際ソ連では映画化されたようだ)
入浴の場面(足枷をしながらどうやってズボンを脱ぐかというところが面白い)、たまの娯楽で許される演劇の場面(『俘虜記』(大岡昇平)を思い出した)、労役の描写などなど。作業の合間に犬や山羊をかわいがったりする場面もなんだかユーモラス。ドストさんにしては意外な面白さがある。

一番印象に残るのは、人間観察の妙。監獄社会でも普通の社会と同様さまざまな類型の人間がいて、生まれながらにして人としての性の良さを持つものもいればその反対もいる。現在、私の周りにもいるようなタイプが本に出てきて、昔も今もロシアでも日本でも変わらない、人間そのものの姿を感じた。

訳者工藤精一郎氏(新潮文庫)の解説によると、この本に出てくる登場人物の造形が、後のドストエフスキーの大作に反映されているとのこと。例えば、監獄仲間で、チェチェンあたりの山賊兄弟の弟のアレイという、言ってみればうい奴が出てくるのだが、それがアリョーシャ(「カラマーゾフの兄弟」)やムイシュキン公爵(「白痴」)という形になるというように。

ロシアの伝統(と私が勝手に思っているのだが)、収容所文学の初期の傑作だと思う。それにしても昔からロシア人は体制に痛めつけられている民族だなぁ。
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by itsumohappy | 2006-09-19 00:39 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)