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2006年 03月 26日

ユーゴザーパド劇場 「巨匠とマルガリータ」

d0007923_2358665.jpgユーゴザーパド劇場は、演出家のワレリー・ベリャコーヴィッチ氏が77年に作ったモスクワ市南西(ユーゴザーパド)の労働者街にある120席位の劇場。モスクワ中心部から地下鉄で30分位かかるらしいが、連日盛況の人気劇場だそうだ。この劇団の3度目の来日公演が、ロシア文化フェスティバルの一環として天王洲アートスフィアで行われた。(マクベス/巨匠とマルガリータ 3月21日~26日)
22日、劇団の代表作のひとつ「巨匠とマルガリータ」の公演を観た。

長大な原作なので舞台も3時間強の大作である。あの話を一体どう舞台化したのか興味があった。アイデア勝負というか期待どおりの斬新な演出だったと思う。悪魔の舞踏会のシーンは、トタンをがんがんいわせて半裸の人が踊り狂い、なるほどそれらしくうまいものだった。

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舞台装置は、最初から最後までトタンが8枚ぶら下がっているだけ。世界のあちら側とこちら側を区切る結界的役割で、要所要所で役者はトタンをめくるように飛び出たり引っ込んだりする。動きが激しいときなどトタンの端で怪我しないだろうかと心配してしまった。

d0007923_22552236.jpgベリャコーヴィッチ(左)自身が悪魔の親玉。優しい目をした知的で可愛げなおじさんなので、哲学的でも親しみやすい悪魔だった。手下の悪魔達やヨシュア、ピラトをはじめエルサレムの人々、詩人、そして巨匠とどれもだいたいイメージどおりだったが、若干違和感あったのは肝心のマルガリータ。ロシア人がイメージするマルガリータってあんな感じなのだろうか。野太い声というかどすのきいたような低音で、本当に魔女のようだった。昔の映画「サンセット大通り」のG・スワンソンを思い出した。巨匠がもともと弱いキャラクターなので、マルガリータの一種あくの強さが際立っていた。
(写真はアートスフィアの公演HPより)

ベリャコーヴィッチは、「強力な悪の誘惑に負けず、誠実な人間でいるには悪の本質を知る必要がある。そのことを劇から感じてほしい」と語っている。(3月13日 朝日新聞)
原作者ブルガーコフは「悪が存在しなければ善はどうなる?」と問うた。悪を知れ、というメッセージは、今の日本社会では実に示唆に富んだものだと思う。


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ロシアではプロの俳優は演劇大学で養成されるシステムらしく、ベリャコーヴィッチ自身もロシアで最難関の国立演劇大学で学んだ。卒業後、地元で劇団を旗揚げした。ここの劇団員のバックグラウンドはいろいろで、伝統的なロシアの劇団とは異質である。ペレストロイカ時代、エジンバラ演劇祭で上演した「ハムレット」をきっかけに世界に知られるようになった。

ユーゴザーパドでは、「演劇はカーニバル」というベリャコーヴィッチのもと30位のレパートリーを上演している。スケジュールを見ると毎日出し物が違う。「ハムレット」、「ロミオとジュリエット」などシェークスピアの作品、「検察官」、「どん底」などロシア古典ものほかいろんなタイプの作品を同じ月にやっている。

アートスフィアはユーゴザーパドの公演を最後に閉館し、改装後ホリプロの劇場になるそうだ。
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by itsumohappy | 2006-03-26 22:50 | 演劇 | Trackback | Comments(2)
2006年 03月 19日

2月革命と臨時政府の成立

ロシア革命は世界史上の大・大・大事件であるから大筋を追うだけでも困難だ。人や党の名前が入り乱れてわけがわからない。しかし、ペテルブルクのエルミタージュ美術館などを見てきて、革命の歴史に対する関心が少しは大きくなったように思う。
では超簡単に、血の日曜日事件の続きを。

【第一次革命(血の日曜日事件)後】
1905年の革命後、皇帝の「十月詔書」に基づき国会(ドゥーマ)が翌年開かれ、憲法(国家基本法)も制定されたが、皇帝に最高権力が属するという規定であり、専制体制は実質維持されていた。農村改革を巡って政党は政府と対立し、また急進化した資本家や富農層と無産階級との対立が生じていた。

そのような状況下、14年、ドイツがロシアに宣戦布告、ロシア軍は同年のタンネンベルクの闘いで大敗し翌年ポーランド戦線から退却した。
第一次世界大戦により物資は欠乏、各地で労働者のストライキが相次いでいたが、国政面ではラスプーチンの介入による混乱で皇帝の権威は失墜していた。

【2月革命】
1917年3月10日(ロシア暦2月25日)、ペトログラード(14年、第一次世界大戦中にペテルブルクより改名)の労働者は、8日に始まった婦人労働者の「パンよこせ」デモに呼応してゼネストに入った。軍隊が発砲し死者も出たが、近衛連隊の一部が反乱し、労働者とともに政治犯を解放、その後国会に集結して12日、「ペトログラード労働者・兵士代表ソヴィエト」を創設した。

一方、同日、国会はロジャンコ議長を委員長とする「国会臨時委員会」を成立させ、国家権力を掌握、各省庁を接収し、皇帝の専制は倒された。(2月革命)

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大正6年3月17日の東京朝日新聞。ロンドンやベルリン電から得たロシア革命の日本での第1報である。「(ミハエル大公)摂政任命」「現皇帝多分退位」などの文句から、状況がまだ正確に伝わっていない様子がわかる。右端の「欧州大戦乱」は第一次世界大戦のこと。 連日のように戦況が報道されていた。


【2重権力状態】
国会臨時委員会は、ソヴィエトの承認のもとに3月15日、リヴォフ公を首相とする臨時政府を発足させた。中心になったのはブルジョワの立憲民主党(カデット)。ペトログラード・ソヴィエトからは副議長のケレンスキーが入閣した。

   エルミタージュ宮殿内 孔雀石の間
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     ニコライ1世の妻、アレクサンドラが造らせたもの。
    ウラル産の孔雀石(マラカイト)が 2.2トン使われた。ニコライ2世の退位後は、
    臨時政府の会合場となった。


ニコライ2世は退位したが、弟のミハイル公は帝位を拒否し、約300年続いたロマノフ朝は断絶した。臨時政府が戦争の続行を訴える一方で、ソヴィエトは「パンと平和」を求め双方が対立する状態となった。
これ以降、ソヴィエト政権設立に至るまでまだまだ革命のストーリーは続く。

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(上・下)3月18日の東京朝日新聞。革命が「諸工場労働者の同盟罷工(ストライキ)」に端を発し、その原因は「麺麭(パン)の欠乏」云々と概要がかなり詳しく出ている。莫斯科はモスクワのこと。
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目撃者の談や関係者のエピソードも当時の新聞に出ているので、いくつかを現代かなづかいにし読点を入れて引用する。
 
(在露大使付武官 小田切少将談 3月19日)
交通運転機関が敵国程には備わっていないから・・・物資の配当が平等にできない事情がある露国では総て物価が大騰貴して、日本で一足ニ三十銭の靴足袋がニ円五六十銭もする・・・食物店の前では毎日午前四時から夜明けの九時迄・・・パンの一片をあがなわんとして詰め掛けて居る。戦争の災害がここ迄及んで来るかと思うと同情の念に堪えない。しかも此食物配給減の結果、国民の体力を減殺してデブデブと肥満していた連中も次第々々痩せっこけてみすぼらしくなって居た。・・・北海の交通は、ドイツの潜航艇戦(Uボートのこと)に依りてイギリスとの間は交通全く途絶し・・・露都に足を留めて居る日本人もある。

(三井物産社員 上柳氏談 3月20日)
ペトログラードに滞在中の一箇月は、実に殺風景を極めたものです。・・・子ブスキー街(ネフスキー大通り)を歩いて第一に驚かれたのは、如何なる大商店でも並べた品物はしばしば店晒し物ばかりで、これを土産にと欲しくなる品物は遂に見当たりませんでした。・・・パン屋の前には・・・朝は暗い頃から粉雪のちらちら降る零下三十何度という極寒の街路に立ちつくして、三四町の行例(一町は約100m)を作って居た・・・夫が戦場に出た為妻は、夫の代わりに労働して居るのに四時間くらいは毎朝パンを買う為に費やさなければならぬというのです。・・・何か一騒動起こらずば止むまいとは一般の観測だったのです。ところが、果然二月二十七日の朝夜が明けるとペトログラードの街々は一町毎に貼り付けられた大同盟罷工(ゼネスト)の辻ビラに忽ち殺気立って仕舞いました。

(本野外相夫人談 3月18日)
皇后陛下には・・・開戦以来ツァールスコエ・セロ離宮に病院を設け、親しく負傷将士の御看護にいそしみ給い・・・第一王女に渡らせらるるオルガ・ニコラエヴナ内親王殿下には・・・救護事業に携わり、服装等も常の看護婦と異ならないので、或時他の看護婦と一緒に包帯巻を遊ばして居られるのを見て居た兵隊さんが、「貴嬢は非常に包帯巻が上手だが、貴嬢の様な上手な看護婦が戦地に行ってくれるとよいのですが」とほめますと内親王は、「私も戦地へ参りたいと思ってるのですが、父(皇帝のこと)が許しませんものですから」とお答えになった、其の兵隊さんはもとより内親王とは存じませんから「貴嬢のお父さんは馬鹿ですね」と申しましたので、大笑いをなされたと云うことを聞きました・・・この度国内に起こりました政変は・・・ただただ悲しいことと思って居ります。
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by itsumohappy | 2006-03-19 11:42 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(2)
2006年 03月 12日

プリスターフキン『コーカサスの金色の雲』

1980年に書かれたロシア人作家による物語である。1944年、独ソ戦中に起きたスターリンによるチェチェン人等の強制移住問題(反ソ的という理由でチェチェン・イングーシ人をほぼ一夜にしてカザフスタンに追放し、またその他のコーカサス地域の少数民族もキルギスやシベリアに移住させた)が背景となっている。
あとがきによれば、回し読みされていた草稿が当局に漏れ、作者に圧力がかかったそうだ。ゴルバチョフの時代になって雑誌に不完全ながら掲載され、その後映画化もされたらしい。

内容は、第二次世界大戦中モスクワの孤児院からコーカサス(カフカス)に移住させられた作者の経験に基づく。
食べ物がたくさんあると聞かされてやってきた土地には、誰かのものであった家々と畑があり、そこによそからやってきた人々が代わりに生活していた。追い出されて山々に逃げ込んだ元の住民は、かつて自分たちのものであった村を襲い、掃討にやってきたソ連軍とも闘いを繰り広げ、新住民は逃げ惑う― といったストーリー。双子(らしい)の兄弟のサバイバルを中心に展開される。

前半、小ギャングみたいな孤児たちの活躍?ぶりを描く軽妙な語り口から、わりと気楽に読んでいたのだが、あるところから思わず居住まいを正してしまい、先を読むのが恐ろしくなった。
追い出されたチェチェン人の、侵略者に対する憎しみと、子供も大人もそれぞれに戦争の深い傷跡を抱えた新住民の哀れさに、ロシアの過酷な歴史と民族問題が垣間見える。

         コーカサス地方
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小説の題名はレールモントフの詩から。
コーカサスは、プーシキン、トルストイも作品や詩に描いたところ。カスピ海と黒海の間に5000メートル級の山々が連なりヨーロッパとアジアを分ける。アルプスのような美しい自然と温泉が有名。コーカサス山脈は、大コーカサス、南の小コーカサスとあり、山脈の南側がグルジア、アゼルバイジャン、アルメニア、北側がロシア連邦。
 
         コーカサスの最高峰エルブルス山(5642m、カバルダ・バルカル共和国)
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この地域は、16世紀のイワン雷帝による侵略から19世紀はじめのコーカサス戦争等の歴史の中でロシアに制圧され続けてきたが、チェチェン人は独立をあきらめずに今に至っている。モスクワの劇場や北オセチアの学校での占拠事件は抵抗のひとつのあらわれであったが、チェチェンの問題は深すぎて正直よくわからない。
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by itsumohappy | 2006-03-12 22:58 | 文学・本 | Trackback(1) | Comments(2)
2006年 03月 05日

マースレニッツァとブリヌイ

マースレニッツァ(Масленица)はバター週間という意味で、復活祭前の40日間の大斎(カトリックで言う四旬節。キリストの40日間の断食より由来。この期間は肉、魚、卵、乳製品などを食べないことになっているそう。)に入る前に行われる。春を迎えるお祭りで、冬の象徴であるわら人形を燃やし、太陽のシンボルであるブリヌイ(блины:блинの複数)を食べ、歌い踊るのがロシアの伝統。
2月27日から3月5日まで、モスクワの聖ワシリー聖堂広場で「大マースレニッツァ」のお祭りが行われた。(2006年2月28日イタル・タス通信)

ブリヌイはクレープのようなもの。ただ、砂糖はほとんど入れない。重曹やドライイーストでふっくらさせる。ロシア語講座のテキストにも作り方が出ていたので、作ってみた。

【材料】  これで直径20数センチのものが10枚ちょっとできる。
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ふるった小麦粉 2カップ
牛乳        2カップ
ヨーグルト    2カップ
卵         2個
塩小さじ     2分の1
重曹       小さじ1
酢         同上
砂糖       大さじ2分の1 (なくてもよい。)

*牛乳、ヨーグルト、卵を混ぜ小麦粉を加える。
*重曹は酢で溶かしたあと砂糖、塩とともに上の材料に加えて10分ほど置いてから焼く。
家にあるフライパンを総動員するとできあがりも早い。

d0007923_2204215.jpgПервый блин комом. (最初のブリン(ブリヌイの単数)は塊になる:最初は失敗がつきもの)というロシアのことわざ通り、1枚目の惨状・・・ひっくり返したら割れてぼろぼろ。何枚も焼くのがかったるいと思ってタネを入れすぎたのが一因。


d0007923_2213036.jpg2枚目(左)。少しましになる。 3枚目(右)。もう立派なものよ。





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できあがり。ブリヌイの周りに右からサワークリーム、カットフルーツ、生クリーム、ブルーベリージャム、くるみとレーズン、はちみつ。
これらを上に適当にのせてくるくる丸めて食べる。3枚も食べるとお腹いっぱいになる。ロシアでは、キャビアやイクラも巻くらしい。生地はヨーグルトを使っているのでさっぱりした風味があってよい。現地の写真を見ると、皿にどっさりとタワーのようになっているが、かなりの枚数を焼かないとそうならない。重ねていくと下のほうがしめっぽくなる。

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今日3月5日のモスクワ(ライブカメラより)。聖ワシリー聖堂、赤の広場付近。ほんとに春が来るのか?という寒々した光景。気温は、-2℃~-10℃。
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by itsumohappy | 2006-03-05 22:36 | ロシア | Trackback | Comments(4)