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2006年 01月 31日

ソルジェニーツィン 『イワン・デニーソヴィチの一日』

d0007923_233679.gifソルジェニーツィン氏(1918年生)は冷戦時代、反体制派の作家として有名だった。(今でも有名だが)昔、新聞で「ソ氏」とあればそれで充分通じ、サハロフ博士と並び闘う知識人の代表というイメージがあった。74年に国外追放され94年にロシアに帰還したとのことだが、最近話題になることはなく、かといって死亡ニュースは聞かないから多分存命だろうとしか分からなかった。だが、先日著作『煉獄のなかで』がロシアで初TVドラマ化され(ソ氏は脚本を担当)放映が始まったというニュースがあった。(1月28日北海道新聞ほか)

代表作『煉獄のなかで』『収容所群島』などは長大で、扱っている内容からいって気分的にちょっと手が出ないが、収容所ものでも処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』なら長すぎずとっつきやすい。
この小説は、62年に発表された。スターリンの死後、56年の党大会でスターリン批判が行われ、61年にはスターリンの遺骸がレーニン廟から撤去されたこともあり、この著作はフルシチョフの政治的決断で世に出たのである。

ソルジェニーツィン氏は、45年、私信などでスターリンを批判したということで逮捕され、裁判なしで8年の刑を受け、服役後、シベリアに追放された。その体験が作品の下敷きとなっている。 
『イワン・デニーソヴィチの一日』の時代設定は51年頃。主人公は、独ソ戦で捕虜になったことで「国家に対する罪」により10年の刑を受け、マイナス30度を超えるなかで強制労働させられる。特に印象に残るのは食べ物関係の話である。あまりに惨めで読んでいてつらい。日本人のシベリア抑留者の体験談と同じである。飢え、寒さ、過酷な作業。監視人が行列をカウントできず、何度も点呼するというエピソードまで共通している。
この小説で感銘を受けるのは、主人公が人の尊厳を保ち続け、作業でも実直な職人気質を失わず、とにかく生き抜こうとする強い意志の描写である。

収容所は帝政時代から存在したが、革命後の20年代からスターリン時代まで粛清や強制労働の犠牲となった国民は、1500万人は下らないという。スターリンは、「危険人物」を粛清するため、正規の裁判とは別の特別裁判のシステムを導入した。対象となったのは、貴族、軍人、党官僚、党員、知識人、僧、農民、労働者、外国滞在歴のある者、ユダヤ人等特定民族など。要するに誰でもだ。小説にもあるが、49年以来10年刑は一律25年刑になった。もうめちゃくちゃである。人々は、人民の敵としてよくわからないような理由で逮捕され、国家建設のための奴隷労働力として工場、ダム、道路づくりなどに酷使された。

自国民でこの扱いである。まして大戦期、(そして大戦後も)日独伊の捕虜を投入することなど何の不思議もなかったろう。そもそも34年~39年頃の大粛清後の時点で、ソ連将校の9割が皆殺しというから一体どんな軍隊だったのか考えるだに恐ろしい。
スターリン批判後多くの収容所は廃止され、今に至るまで犠牲者の名誉回復が続けられている。

現在、ロシアでは民間の人権団体による粛清犠牲者の発掘作業などが行われている。政府がどのような対策をとっているのかはわからないが、この度のソ氏のニュースを見ても、歴史見直しの動きはどんどん高まっているとは言えそうだ。
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by itsumohappy | 2006-01-31 23:49 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
2006年 01月 25日

太平洋パイプラインプロジェクト

2005年11月、プーチン大統領の来日の際行われた日露首脳会談では、肝心の北方領土に関する政治文書は作成されなかったが、経済・貿易面ではエネルギー分野での長期協力と称して太平洋パイプラインプロジェクトの早期実現が文書で合意された。設置は第1段階(東シベリアの油田地帯近くのタイシェト~スコヴォロディノ)と第2段階(スコヴォロディノ~ペレヴォズナヤ)に分けて工事する。とは言え、着工時期は決まっていない。そもそも油田もこれから開発するのであるから実際の産出量も明確ではない。
ロシアとの石油・天然ガス開発は既に1970年代よりサハリンで進められ、サハリン1、サハリン2プロジェクトなどに伊藤忠や三菱商事が参加している。

★サハリンプロジェクトと太平洋パイプラインプロジェクト
 (ジェトロセンサー2004.7より作成)
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世界最大級の石油、天然ガス産出国ロシアは、欧州のみならず中国、日本など極東市場への進出を図っている。中国向けに大慶までのパイプラインも建設予定であり、中国とのエネルギー争奪戦となる。

日本は、原油の約9割を中東に依存していることから政府は、エネルギーの安定供給のためには輸入先の分散が望ましいとしている。プーチン大統領曰く東シベリアから日本へ移送されるのは石油のみならず、天然ガスも視野に入っているとのこと。

なんにしても壮大な計画であるが、150億~180億ドルと言われる建設資金の調達・負担や凍土の工事に見合う採算性などの問題は未知数だ。また、安定供給に関してもガス価格をめぐるウクライナとのいざこざで正月早々ロシアが欧州向けガスの供給をストップした事件などをみるとなんだか不安なものがある。

建設に伴う環境問題もある。バイカル湖付近からシベリアの大地をパイプラインが約4,200キロにわたって突っ切るわけだが、周辺地域の森林、動物など生態系への影響が懸念されている。太平洋への出口に至るまでの敷設予定地、極東ロシア沿海州の海洋自然保護区には、野生で30数頭という絶滅寸前のアムールヒョウが生息している。ターミナル予定地のペレヴォズナヤの浅い湾ではタンカー事故による油流出の危険も高いという。そのため、環境保護NGOやアメリカの動物園団体が小泉・プーチン両日露首脳にパイプラインのルート変更を訴えている。

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←ここで、アムールヒョウを守れ!Tシャツも売っています。
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by itsumohappy | 2006-01-25 00:14 | ロシア | Trackback(2) | Comments(2)
2006年 01月 22日

血の日曜日事件

1905年1月22日(ロシア暦9日)は血の日曜日事件が起きた日である。
神父ガポンを先頭に、ペテルブルクの冬宮を目指して皇帝への請願行進をしていた労働者と軍隊が、冬宮前広場(宮殿広場)を含め10箇所以上で衝突し、多数の人が死んだ。

宮殿広場
d0007923_1657853.jpg公式には死者約100人らしいが、実際は数百とも千以上とも言われ本当のところはよくわからない。皇帝の軍隊の発砲により、当時のロシア人民に伝統的にあったというツァーリ信仰は揺らぎ、その後のロシア革命への端緒となった。

行進のきっかけとなったのは、ガポンが組織した労働組合「ペテルブルク市ロシア人労働者の集い」の組合員の解雇事件である。解雇された4人の組合員は、当時ロシア最大の工場、プチロフ重機械工場の労働者であった。解雇撤回、労働条件の改善を訴えてストライキに入り、市内約380の工場が同調した。

ガポン
d0007923_1714677.jpgガポンは、労働者の無権利状態は我慢の限界を超えたと訴え、8時間労働の実施、日露戦争の中止、政治的自由等を要求する皇帝への嘆願書を書き、22日、イコン、ツァーリの肖像を掲げて労働者とその家族の請願行進を率いた。行進には市内労働者の半数を超える約10万人が参加した。
当時、ロシアの工場労働者は平均11時間働き、労働者の健康や安全への対策はないがしろにされていた。戦争の影響による物価高で生活は困窮していたという。



プチロフ工場は現在キーロフ工場(下)として操業している
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皇帝ニコライ2世は、発砲事件の時、冬宮ではなくペテルブルク郊外のツァールスコエ・セローの離宮にいた。日記に「軍の発砲で大勢の死傷者がでた。なんとつらく悲しいことか」と記した。
血の日曜日事件以後、ストライキは全国に拡大し、反政府運動が高まることとなった。

          冬宮 現エルミタージュ美術館
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by itsumohappy | 2006-01-22 17:20 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
2006年 01月 15日

カラシニコフの殿堂入り

昨年末、クレムリンの武器庫に自動小銃カラシニコフ(AK47)が収蔵された(1月4日共同)。何でも「ロシア文化を代表する偉大な創造」なのだそうだ。歴代ツァーリの宝物・武具を収めるクレムリンの博物館行きだからまさに殿堂入りである。

d0007923_1722388.jpgカラシニコフ氏は今86歳。昔の共産党書記長チェルネンコみたいな、いかにもロシアのおじいさん風。独ソ戦のさなか、ドイツに攻撃されて負傷したことがきっかけでAK47(自動小銃(オートマチック)カラシニコフ、1947年の意味)を開発した。第二次大戦は終わっていたが、AK47は操作性の良さから世界中に広まり、改良も重ねて現在に至るまで大活躍・・・というのか何というのか・・・。とにかく高性能というこの銃の特徴は、朝日新聞のレポート(2004年1月-4月)などに頑丈、手入れ簡単、操作簡単、少ない部品、安価、とある。

安価といっても銃の値段など全然見当つかないが、ネットで見たら300ドルもあれば買えそうだ。ちなみに工場で買えば100ドル台だ。

カラシニコフ氏は年金で質素に暮らしているらしい。欧米なら大発明の特許で大金持ちだろうが。テロや紛争地で「カラシニコフ」の名前が出てくるのはやはり心が痛むそうで、自身の名によいイメージを与えるべく2004年、カラシニコフというウォッカ(82度)を売り出した。

ところで、武器庫というと武骨なイメージだが、武器もきらびやかな宝物のひとつとして展示されている。収蔵品のうち展示されているのは全体の5分の1。カラシニコフが展示公開されるのは「歴史的遺物」になってかららしい。そうはいっても現代の武器はあまりに生々しくて、とてもため息ついてうっとり見られそうもない。

武器庫の宝物(右は馬の装身具)

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by itsumohappy | 2006-01-15 17:57 | ロシア | Trackback(1) | Comments(0)
2006年 01月 13日

シベリアとは

ああ寒い。あまりの寒さで白鳥が杉並の善福寺公園までやって来た。都内に来るのは珍しいらしい。日本海側は大雪でとんでもないことになっているし。それもこれもみなシベリア寒気団のせいだ。マイナス40度くらいの高気圧の塊が日本に流れてきて上空に居座っている。

シベリアのイメージは「寒」。もうこれしかない。あとは鉄道とシベリア出兵・抑留、ツンドラやタイガ、コサックくらいか。ところでシベリアは具体的にロシアのどの部分を指すのだろう。わかるようでわからない。大正時代、日本がシベリア出兵した所は、チタとかニコラエフスクなど。チタは、帝政期、デカブリストが流刑された地、ニコラエフスクではシベリア出兵時、「尼港事件」(1920年)が起きた。

ロシアの地理雑学 都市人口データサイト」その他によるとどうもウラル山脈以東から沿岸部までの大陸部分を広義にシベリアと言うようだ。するとロシアの半分位はシベリアだ。

ロシアは16世紀後半のイワン4世(雷帝)時代、シビル=ハン国(ウラル東にあったモンゴル系遊牧民の国)に侵攻し、その後同国は滅びた。ロシアは東進を続け、17世紀半ばにオホーツク海まで達して以降シベリア・極東地域はロシア領となった。「シベリア」はシビル=ハンが語源である。

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広大なロシアには現在、共和国やら自治州やらいろいろな行政区画があるが、連邦管区という区分によればこの地図(2000年:上記サイトより)の中心の青部分が「シベリア連邦管区」。その東の水色部分は「極東連邦管区」。

シベリアの地は、一年のほとんどが氷に覆われ、北へ行けば永久凍土。極東のオイミヤコンではマイナス70度超の世界記録がある。ひー。だが、都市部では冬はだいたいマイナス30度位は普通のようだ。飛んでいる鳥が凍って落ちるという話を聞いたが本当だろうか。
日本でもシベリア並みの所がある。先日、北海道の占冠などでマイナス30度超を記録した。

どうも暗いイメージのシベリアだが、天然資源はたくさんあるらしい。今、シベリアを横断するパイプラインで石油や天然ガスを日本に供給する計画がある。森を破壊して建設していくのが少々気になるが。
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by itsumohappy | 2006-01-13 01:02 | ロシア | Trackback(1) | Comments(3)
2006年 01月 11日

ロシア文化フェスティバル開幕コンサート~ ゲルギエフ&マリインスキー歌劇場管弦楽団

1月10日、上記フェスティバルオープニング記念のコンサートが東京オペラシティであった。何故かあまり宣伝で見かけないが、今年は日ソ共同宣言による日ロ国交回復50周年ということで、1年間ロシア文化のフェスティバルが開催され、各月、コンサートや演劇などが予定されている。
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10日の演目は
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番第1楽章(ピアノ:上原彩子)
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン:諏訪内晶子)
ラフマニノフ:交響曲第2番
であった。華やかなピアノでスタートして、バイオリンの技にひたった後にメイン、である。最後のラフマニノフは、音の多彩なうねりを体で感じるというか広大なロシアの大地(見たことないけど)のイメージだ。光や風といった空気、日本の繊細なそれとは別物の空気があった。

詰襟のような上着姿のゲルギエフ氏は、アバンギャルドなカリスマ神父さんのよう。時に飛び跳ねたりして動きの大きい指揮をしていた。
上原、諏訪内両氏はともにチャイコフスキーコンクール優勝者。演奏も短かった上原さんの表情はちょっと伺えなかったが、諏訪内さんはかなり厳しい、緊張したような面持ちだった。

演奏の前に、プーチン大統領のメッセージを携え来日したナルイシキン官房長官と森前総理が挨拶をした。2階正面席には高円宮妃殿下、ロシュコフ駐日大使ほかおつきの方々が並んでおり、開幕らしい雰囲気。ただ森氏の挨拶中、野次?みたいな大声が飛び一瞬不穏な感じに。しかし、その後何事もなく幸いだった。

プログラムによるとマリインスキー、旧キーロフ劇場は18世紀の創設。19世紀~20世紀のオペラ、バレエの名作の数々を生んだ。ただいま札幌から鹿児島まで日本公演を行っている最中である。その間オペラ「ニーベルングの指輪」4部作の全上演がある。チラシを見るとセットも値段もすごい。こういう高尚なものを楽しめる身分になりたいなぁ。

この日のコンサートホールは巨大すぎずちょうどいい広さ。ただ初台という場所が行きにくく、新宿からひと駅と言っても会場までたどりつくまでけっこうある。建物も入り組んでいてわかりにくい。7時開演というのもけっこうぎりぎりできつい。コンサート楽しむのも一苦労である。
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by itsumohappy | 2006-01-11 01:35 | 音楽 | Trackback | Comments(2)
2006年 01月 08日

レニングラード国立バレエ「白鳥の湖」

d0007923_22234199.jpg昨秋、モスクワ旅行の際観た「白鳥の湖」は、バルコニー席で舞台が半分見えないわ2幕で終わってしまうわで納得がいかなかったので、仕切り直しが必要と思っていたところ新聞などでレニングラード国立バレエの公演を知り、年末に半額優待(¥13,000→6,500)のチケット買って7日に行ってきた。一応S席だったから当たり前だが舞台はちゃんと見えてよかった。

バレエは見慣れていないし、踊りの知識もないので、専門的な見方はできないが、とにかくすご技に感心してしまう。手足の動きの美しさ、優雅さは究極の身体表現と言える。

物語の最後は、主人公2人の愛で魔法が解けてハッピーエンドになるものだとばかり思っていたが、この公演(「白鳥の湖」を有名にしたプティパ、イワノフ振付版を元にした演出)では最後、2人は湖の奥に消えてしまい(心中?だ)、白鳥部隊が嘆き悲しむようにゆらめいて終わった。ハッピーエンドの振付もあるようだが、原典は違うそうだ。d0007923_2228555.jpg
オデットを演じたペレンちゃんは可愛くメイク顔はペネロペ・クルスを細くしたような感じ。バレエ用語で何て言うのかわからないが、筋肉の震えみたいな足の小刻みな動き、連続の回転技がすごい。また、30数人の白鳥の群舞が、首の動きひとつから実にぴたーっとそろっていてきれい。白鳥がもっといっぱいいたらよかったのになー。
しかし、会場のだだっ広さに比べて舞台は案外小さく、それ位の数にしざるをえない。無機質な空間の中のごく一部に夢の世界が現われたという感じだった。

主役を演じた2人 
イリーナ・ペレン、ミハイル・シヴァコフd0007923_2228151.jpg

会場でもらった配役表の紙には、「レニングラード国立バレエ」と「白鳥の湖」の間に小さく「ムソルグスキー記念」と書いてあり、ん?と思ったら、ロシアでは「ムソルグスキー記念サンクトペテルブルク国立アカデミー・オペラ・バレエ劇場」のバレエ団、なのだ。なんと今回16回目の来日で、日本では昔から馴染んでいる名称で公演しているのだろう。

               バレエ団の本拠地、ミハイロフスキー劇場の内部
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この劇場は、1833年に、マリンスキー、アレクサンドリンスキーに続く3番目の帝劇として作られたミハイロフスキー劇場が前身。バレエ団の得意演目はクラシックだそう。来年の公演では「くるみ割り人形」でも見ようかな。
     
              チャイコフスキーが「白鳥の湖」の着想を得たと言われる
              モスクワのノヴォデヴィッチ修道院の庭
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by itsumohappy | 2006-01-08 22:56 | 演劇 | Trackback | Comments(0)
2006年 01月 03日

ロシアのお正月

d0007923_1321521.jpg新年になり、部屋に新しいカレンダーをかけた。6日休めばすごい連休!ロシアでなら・・・。

ロシアのお正月休みは1日~5日。大晦日には家庭やレストランでパーティーしたり、赤の広場とか人の集まる場所で朝まで飲んで踊ってお祝いするそう。12時に鳴るクレムリンからの鐘の音でシャンパンを飲み、鳴り終わるまでにグラスを飲み干すとお願い事が叶うとのこと。

1月1日を新年としたのは、ピョートル大帝。1700年からである。その前は9月1日が新年、もっと古い時代は3月1日だった。

ロシアでは新年にカードやプレゼントの交換をする。ロシア版サンタは、「マロースじいさん」。d0007923_1435027.jpg孫の「雪娘」とセットでプレゼントを配る。ちなみにお年玉の習慣はないらしい。

そして7日がクリスマス(降誕祭)。ロシア正教の暦(ユリウス暦)だと13日遅れなので7日になる。信仰が事実上禁止されていたソ連時代はおおっぴらにお祝いできず、祝日になったのは90年代に入ってから。信仰篤い人たちはクリスマス前の40日間、身を清めるために肉や卵など動物系のものを食べずに過ごす。
新年のほうは、グレゴリウス暦で祝うので、14日が旧正月。特にお祝いはせず、旧正月が過ぎた後クリスマスツリーを片付ける。

近年は、西側社会(という言い方もなんかしっくりこないが)同様に12月25日も楽しく祝っちゃうそうです。

・・・しかし、このカレンダーややこしいな。ロシア仕様ってわかっていたのだけど・・・。表紙が気に入ってトレチャコフ美術館の記念につい買ってしまったのだが、間違って会社休んじゃいそうだ。絵とロシアの雰囲気を楽しもうかな。ちなみに1月の絵はアンドレイ・ルブリョフ「聖三位一体」(テンペラ、1420年)。トレチャコフの名品のひとつ。

       表紙:トレチャコフ美術館の人気淑女 クラムスコイ「見知らぬ女」 
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by itsumohappy | 2006-01-03 01:41 | ロシア | Trackback(2) | Comments(4)