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カテゴリ:文学・本( 52 )


2005年 10月 16日

『北槎聞略』-大黒屋光太夫の苦難

エカテリーナ2世に謁見した日本人、大黒屋光太夫。
1782年に伊勢を出帆後、嵐に遭って8ヶ月漂流、アリューシャンまで行き着いた。その後ロシアの東端から大陸をペテルブルグまで移動し、1791年、帰国願をエカテリーナに直訴。翌年、対日通商を求める使節アダム・ラックスマンに伴われて根室に帰国した。 

(写真)エカテリーナ宮殿内 光太夫がエカテリーナ2世に拝謁した間
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帰国した光太夫が見たロシア事情を、幕命で学者桂川甫周が聞き書きし、『北槎聞略』として幕府に提出した。これの現代語訳(原文は漢文調で結構読むのが大変らしい)を図書館で借りて読んでみた。10年に及ぶ波乱万丈の物語であり、なかなか面白かった。

漂流の経緯、仲間の乗組員の運命、キリル・ラックスマンとの出会いといった帰国までの話に加え、ロシアの風土、気候、歴史、言葉、冠婚葬祭、動植物、生活一般等々が絵図とともに記されており、当時としてはかなりの情報だったと思う。これだけの内容を語るには、光太夫はメモなどをまめにとっていたのではないだろうか。ロシア人の生活の様相をつぶさに観察している。折々に聞き手の甫周が、自身の蘭語の文献などから得た情報を合わせて補足説明している。鎖国下でも海外事情をよく研究しているのがわかる。

光太夫はあちこちでロシア人の世話になり、食客みたいな感じだ。時には辞書作成の手伝いなどもしている。ツァールスコエ・セロー(エカテリーナ宮殿のあるペテルブルグ郊外)滞在中、宮中から皇太子の馬車で寄宿場所に戻って周囲の人をびっくりさせた話、ペテルブルグの娼家に連れて行かれ日本の話を聞きたがる娼婦達に囲まれて、帰国前には彼女らからお土産をもらった話、マスカレード(仮面舞踏会)の何が面白いのかわからないが、それがある度に着物を貸してくれと言われた話などエピソードも多い。

厳寒のシベリアを横断した光太夫は、驚異的な体力と気力の持ち主だったのであろう。帰国後、幕府からあてがわれた屋敷に暮らし、78歳で死去している。
光太夫の文物はペテルブルグのクンストカーメラ(人類学民俗学博物館)にあるそうだ。
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by itsumohappy | 2005-10-16 22:32 | 文学・本 | Trackback(1) | Comments(0)
2005年 10月 12日

プーシキン 『青銅の騎士』

9月にサンクトペテルブルグを初めて訪れた。ホテルが中心部から遠かったこともあって短い滞在で観光できたのはごく一部分だ。しかしながら強い印象を受けた。運河のせいか華麗な冬宮のせいかよくわからないのだが、忘れがたい街だ。
沼地のようなところに何万人も徴用してむりやり?街を作りあげたのはピョートル大帝。厳しい労働で街の誕生までに10万とも20万とも言われる多くの人が犠牲になったらしい。建都後も何度か大規模な洪水に見舞われた歴史がある。

デカブリスト広場(元老院広場)の端に、ネバ川に向かってピョートル大帝の像が建っている。エカテリーナ2世が大帝を称えて作らせたものだ。
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その昔ペテルゴフ(ペテルブルグ郊外)で悪さをしていた大蛇を大帝が懲らしめたという伝説があるそうだが、この大帝の像に踏みつけにされている蛇は北方戦争の敵方スウェーデンの寓意らしい。ロシアの大詩人プーシキンの作品にちなみ「青銅の騎士」像という。で、帰国後さっそく『青銅の騎士―ペテルブルグの物語』を読んでみた。解説を見るとペテルブルグのイメージを後世決定づけたと言われる小説(というか詩)だそうだ。

洪水によって人生の夢と希望を打ち砕かれ狂気となった男が、街の破滅をものともせず、悠然と高みにそびえる青銅の騎士に挑む。
物語詩というのか、「オデュッセイア」みたいに詩形式にストーリーが流れる。私にはあまり読みつけないジャンルである。叙情的という言葉はわかりにくい表現だが、こういう作品のことを言うのだろう。原文でなければ韻などを鑑賞することは不可能であるが、日本語訳からでも喜怒哀楽の感情のうねりが行間に窺える。デカブリストの乱を暗示させる部分は、皇帝ニコライ1世の検閲で当時削除された。
物語は短く、簡潔であるが、デカブリストのシンパであったプーシキンが熱い魂の持ち主であったことが感じられる。この時代、この街、そしてプーシキンでなければ成り立たない。そんな作品だと思う。いつの日かロシア語で読んでみたい。
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by itsumohappy | 2005-10-12 00:00 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)