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カテゴリ:文学・本( 51 )


2006年 06月 26日

ナボコフ 『ロリータ』

d0007923_0122061.jpg『ロリータ』は、亡命ロシア人作家ナボコフが1955年に英語で発表した小説。日本では59年に出版された。05年出版の新訳(新潮社)を読んだ。
「ロリータ」という言葉に対するイメージは人それぞれだろうが、本家本元のこの小説に登場するロリータは、“ニンフェット”として主人公ハンバート・ハンバートに崇められて?はいても現実にはすれっからしで頭からっぽの女の子として描かれている。ハンバートはこのニンフェットの虜となるが、土壇場に来てその永遠なる所有が果たせず、自滅の道をたどる。

今読んでもそれなりにインパクトがあるこの小説、半世紀前はさぞかしセンセーショナルだったろう。ハンバートの妄想など心理状態が読みどころだろうか。ただ主人公に感情移入ができないので、小説の世界に入っていけず、共感できない(従って感動できない)のが難である。あくまで私の場合だが。しかし、この小説が、単なる「少女を愛する変態中年男の話」であれば50年も生き残れない。
ハンバートとロリータは即ちヨーロッパの伝統文化とアメリカの低俗社会とも読めるのだが、そのヨーロッパの教養はペダンチックに走りすぎて喜劇がかっており、蠱惑的な少女に振り回されるハンバートは滑稽で哀しいキャラクターだ。物語の展開はあっさりしているようでいながら実は計算されている。実際は悲劇かもしれない。ナボコフの深い教養も垣間見えるユニークな小説。万人にお勧めするものではないが、一読の価値はあると思う。

「あとがき」に小説の日付のある食い違いが、ナボコフが巧みに意図したものか単なるミスかで小説ががらっと変わる、と説明がある。もちろん、ナボコフの仕掛けだと思った方が面白いのだが・・・。(詳しくは読後にご参照下さい。)

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ナボコフが18年間住んだペテルブルクの家。現在ナボコフ博物館となっている。

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d0007923_0154214.jpgウラジミール・ナボコフ(1899-1977)
ペテルブルクの富裕な貴族の家に生まれる。父親は政治家で弁護士だった。ロシア革命後亡命し、ベルリンやパリで暮らした。ケンブリッジ大学を卒業。40年に渡米、コーネル大学でロシア文学を講義。『ロリータ』出版後は文筆活動と趣味の蝶の採集に専念。スイスで死去。
『ロリータ』は2度映画化されている。
  キューブリック版「ロリータ」(右)d0007923_0175287.jpg

 
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by itsumohappy | 2006-06-26 00:11 | 文学・本 | Trackback | Comments(11)
2006年 06月 02日

ドストエフスキー『白夜』

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在ペテルブルクの領事館の案内によるとペテルブルクの白夜は5月25・26日頃から7月16・17日頃までで、日照時間最長は6月21・22日頃(18時間53分)とのこと。建都300年祭の時、NHKで報道した白夜の様子が記憶に新しい。この白夜の頃が1年で最も快適だが、体のリズムが崩れて体調不良になることもあるらしい。

ドストエフスキーの短編『白夜』(1848年)は、ペテルブルクの白夜の運河で出会った孤独な貧しい青年と不幸な少女の淡い夢のような話。白夜という幻想的な舞台はペテルブルクならでは。憂愁さに満ちていてロマンチック。ドストエフスキーの意外な?繊細さが伺える、寂しいけれど不思議な温かさのある作品である。(小沼文彦訳/角川書店)

私は見ていないがヴィスコンティが映画化している。ただし舞台はイタリアの港町(ロケではなく、チネチッタでのセット)になっているそうな。

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      小説に出てくるフォンタンカ運河
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by itsumohappy | 2006-06-02 23:29 | 文学・本 | Trackback | Comments(4)
2006年 04月 16日

チェーホフ 『シベリアの旅』 『サハリン島』

チェーホフは1890年、30歳の時、流刑囚調査のためモスクワからサハリンまで大旅行をし、道中の記録や調査結果を1895年にかけて順次発表した。その著作『シベリアの旅』、『サハリン島』は今で言うルポルタージュのさきがけである。
当時既に小説、戯曲などで著名だったチェーホフが、誰かに調査を頼まれたわけでもないのにモスクワから9千キロの道のりをサハリンまで、途中喀血までして行ったのは、流刑囚の実態を知り、その非人道性を社会に訴えたいという動機があったからである。作家は部屋で座って本を書いていればそれで済むわけではない、行動して伝えるべき社会的使命があると考え、実際命がけで敢行したのだから偉大だ。
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『シベリアの旅』
チェーホフのシベリア横断への旅は1890年4月、河川の氷が溶ける時期に始まった。汽車、汽船を乗り継ぎ、それらが使えないところは馬車の旅である。シベリア鉄道はまだない時代である。ぬかるんだ泥道や川越えをしているうち馬車はがたがたになり崩壊してしまう。そんな悪路の様子や各所での地元民との出会い、どこまでもどこまでも続くシベリアの森などが生き生きと描写されている。短いルポだがユーモラスなところもあって面白い。

『サハリン島』
d0007923_11573147.jpgサハリン島は、日露間で結ばれた「樺太千島交換条約」(1875年)以前は、先住民をはじめロシア人、日本人混住の地だった。この条約でロシア領となってからは、最果ての流刑地として本土から陸路またはオデッサからスエズ運河を抜けてインド洋を回る海路で囚人が送られた。

1890年7月、チェーホフは当時最大級の監獄があったアレクサンドロフスクからサハリンに上陸し、島を南下しつつ約3ヶ月滞在した。事前に当局から調査のための公式の許可証は得られず、サハリンで実際に活動ができるかどうかもわからない状況だったが、監視を受けつつも資料収集は許可され、必要な援助が与えられた。

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チェーホフは、住所、名前、出生地、家庭状況などの項目のある住民調査カード作成し、徒刑囚と移民約1万人分を集めた。1891年初頭、サハリンには約1万6千人が住んでいたというからかなりカバーしていた。
『サハリン島』は、各所の村と囚人の状況を報告した大作である。データの分析部分は事務的で面白みには欠けるが、囚人の嫁さんの見つけ方などあいまのエピソードがなかなか印象的である。

アイヌ人など先住民族との出会いについても多くふれている。ギリヤーク人が、すぐ下に道路があるのにわざわざ山肌斜面の悪路をあくせくと行き、道路の使い方を知らない様子など。
宗谷海峡を望むコルサコフでは、ロシア語を話す日本人の領事館員と交流している。

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チェーホフは、サハリン調査の後、日本まで足をのばしたかったらしい。アジア地域のコレラ流行で断念したそうだ。1890年(明治23年)と言えば、日本では第1回帝国議会が開かれた年。立憲政治が開始され、外交では条約改正交渉が行われている頃である。もしチェーホフが日本に来ていたらどんな旅行記を書いただろう。

サハリンから帰りはウラジオストックより海路でオデッサに着き、1890年12月にモスクワに帰った。『サハリン島』は章ごとに発表され、独自性と社会的意義を持つ作品として賞賛された。
日本行きがかなわなかったチェーホフは晩年、ヤルタの別荘に桜やアヤメ、竹など植えた。最後の作品は『桜の園』。おそらく日露戦争の行方も注視していただろう。その戦争のさなかの1904年7月、結核で死去した。
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by itsumohappy | 2006-04-16 12:01 | 文学・本 | Trackback(1) | Comments(2)
2006年 03月 12日

プリスターフキン『コーカサスの金色の雲』

1980年に書かれたロシア人作家による物語である。1944年、独ソ戦中に起きたスターリンによるチェチェン人等の強制移住問題(反ソ的という理由でチェチェン・イングーシ人をほぼ一夜にしてカザフスタンに追放し、またその他のコーカサス地域の少数民族もキルギスやシベリアに移住させた)が背景となっている。
あとがきによれば、回し読みされていた草稿が当局に漏れ、作者に圧力がかかったそうだ。ゴルバチョフの時代になって雑誌に不完全ながら掲載され、その後映画化もされたらしい。

内容は、第二次世界大戦中モスクワの孤児院からコーカサス(カフカス)に移住させられた作者の経験に基づく。
食べ物がたくさんあると聞かされてやってきた土地には、誰かのものであった家々と畑があり、そこによそからやってきた人々が代わりに生活していた。追い出されて山々に逃げ込んだ元の住民は、かつて自分たちのものであった村を襲い、掃討にやってきたソ連軍とも闘いを繰り広げ、新住民は逃げ惑う― といったストーリー。双子(らしい)の兄弟のサバイバルを中心に展開される。

前半、小ギャングみたいな孤児たちの活躍?ぶりを描く軽妙な語り口から、わりと気楽に読んでいたのだが、あるところから思わず居住まいを正してしまい、先を読むのが恐ろしくなった。
追い出されたチェチェン人の、侵略者に対する憎しみと、子供も大人もそれぞれに戦争の深い傷跡を抱えた新住民の哀れさに、ロシアの過酷な歴史と民族問題が垣間見える。

         コーカサス地方
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小説の題名はレールモントフの詩から。
コーカサスは、プーシキン、トルストイも作品や詩に描いたところ。カスピ海と黒海の間に5000メートル級の山々が連なりヨーロッパとアジアを分ける。アルプスのような美しい自然と温泉が有名。コーカサス山脈は、大コーカサス、南の小コーカサスとあり、山脈の南側がグルジア、アゼルバイジャン、アルメニア、北側がロシア連邦。
 
         コーカサスの最高峰エルブルス山(5642m、カバルダ・バルカル共和国)
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この地域は、16世紀のイワン雷帝による侵略から19世紀はじめのコーカサス戦争等の歴史の中でロシアに制圧され続けてきたが、チェチェン人は独立をあきらめずに今に至っている。モスクワの劇場や北オセチアの学校での占拠事件は抵抗のひとつのあらわれであったが、チェチェンの問題は深すぎて正直よくわからない。
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by itsumohappy | 2006-03-12 22:58 | 文学・本 | Trackback(1) | Comments(2)
2006年 02月 14日

ブルガーコフ 『巨匠とマルガリータ』

2005年末、小説『巨匠とマルガリータ』がロシアで初めてTVドラマ化され、初回視聴率がロシア全土で約50%の新記録達成というニュースがあった。(2006年1月5日東京新聞ほか) 文学好きの国民性を反映しているというのだが、それにしても全10回のシリーズでロシア人の約3分の1が見たというからすごい。興味をひかれたので、原作を借りてきて読んでみた。
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      ロシア国営TV 「巨匠とマルガリータ」 (巨匠:アレクサンドル・ガリビン、
      マルガリータ:アンナ・コヴァルチュク  巨匠はちょっとおやじすぎるような・・。)

なんというか、今までこんな小説は読んだことがない。「感動」などという言葉では軽すぎる。読んでいて、ああ、終わらないでほしいと思う本が他にどれだけあっただろう。
正直、はじめ本のボリュームを見て、ドストエフスキー式の長大で小難しい話だったらとても最後まで読みきれないな、と思った。(杞憂だったが)
首の切断。悪魔一味の黒魔術ショー。人々の失踪。亡者の舞踏会。平行して2000年の時を飛んで描かれるポンテオ・ピラトの苦悩。いろんな話が交錯し、かなり読み進んでも巨匠もマルガリータもなかなか登場しないし、ロシア人の名前はややこしいしで、一体この小説はどうなっていくのだろう?と不安に思いつつも話の面白さに引き込まれていく感じだった。

この本はSFファンタジー&ラブロマンス&喜劇&悲劇の形をとった体制批判と読むべきなのか?ロシア文学の伝統、弱い男と強い女のストーリーでもある。一口では言い表せない。へんてこな登場人物(動物)に笑わせられるが、小説としての面白さの後ろ側にあるものは実に深い。伏線があちこち張られていてさらーっと読んでいると見落としてしまう。(何度も前のページに戻りつつ読んだ) 1回読んだ位では読みきれていない。
悪魔のせりふ「原稿は燃えないものです」や巨匠のせりふ「お前は自由だ!」に込められた作者の思い。それは、精神の自由は永遠、ということなのであろう。

d0007923_040419.jpg作者ミハイル・ブルガーコフ(1891-1940)は、『白衛軍』(1925)という小説で作家の地位を確立したそうだが、その後小説や戯曲の中での体制批判のため当局から圧殺され、作品発表の機会を奪われた。粛清されなかったのは、スターリンが『白衛軍』の舞台版のファンだったからという説がある。亡命も許されず、孤独に死んだ。
『巨匠とマルガリータ』は29年から死去直前まで書かれ、原稿は夫人によって保管されていた。不完全ながらもソ連国内で出版されたのは66年、完全版の出版は73年とのこと。やはりロシア人にとってこの小説は特別なものであるのはわかるような気がする。

私が読んだのは集英社版だが、群像社版(悪魔の逃走地図付きらしい)も見ようと思ってかなり大きな書店を何軒かまわったが双方の版ともどこにもない。残念なことだ。


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ストーンズのアルバム「ベガーズ・バンケット」(1968年)にある「悪魔を憐れむ歌」は、『巨匠とマルガリータ』をヒントに作られたもの。
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by itsumohappy | 2006-02-14 00:52 | 文学・本 | Trackback(1) | Comments(4)
2006年 01月 31日

ソルジェニーツィン 『イワン・デニーソヴィチの一日』

d0007923_233679.gifソルジェニーツィン氏(1918年生)は冷戦時代、反体制派の作家として有名だった。(今でも有名だが)昔、新聞で「ソ氏」とあればそれで充分通じ、サハロフ博士と並び闘う知識人の代表というイメージがあった。74年に国外追放され94年にロシアに帰還したとのことだが、最近話題になることはなく、かといって死亡ニュースは聞かないから多分存命だろうとしか分からなかった。だが、先日著作『煉獄のなかで』がロシアで初TVドラマ化され(ソ氏は脚本を担当)放映が始まったというニュースがあった。(1月28日北海道新聞ほか)

代表作『煉獄のなかで』『収容所群島』などは長大で、扱っている内容からいって気分的にちょっと手が出ないが、収容所ものでも処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』なら長すぎずとっつきやすい。
この小説は、62年に発表された。スターリンの死後、56年の党大会でスターリン批判が行われ、61年にはスターリンの遺骸がレーニン廟から撤去されたこともあり、この著作はフルシチョフの政治的決断で世に出たのである。

ソルジェニーツィン氏は、45年、私信などでスターリンを批判したということで逮捕され、裁判なしで8年の刑を受け、服役後、シベリアに追放された。その体験が作品の下敷きとなっている。 
『イワン・デニーソヴィチの一日』の時代設定は51年頃。主人公は、独ソ戦で捕虜になったことで「国家に対する罪」により10年の刑を受け、マイナス30度を超えるなかで強制労働させられる。特に印象に残るのは食べ物関係の話である。あまりに惨めで読んでいてつらい。日本人のシベリア抑留者の体験談と同じである。飢え、寒さ、過酷な作業。監視人が行列をカウントできず、何度も点呼するというエピソードまで共通している。
この小説で感銘を受けるのは、主人公が人の尊厳を保ち続け、作業でも実直な職人気質を失わず、とにかく生き抜こうとする強い意志の描写である。

収容所は帝政時代から存在したが、革命後の20年代からスターリン時代まで粛清や強制労働の犠牲となった国民は、1500万人は下らないという。スターリンは、「危険人物」を粛清するため、正規の裁判とは別の特別裁判のシステムを導入した。対象となったのは、貴族、軍人、党官僚、党員、知識人、僧、農民、労働者、外国滞在歴のある者、ユダヤ人等特定民族など。要するに誰でもだ。小説にもあるが、49年以来10年刑は一律25年刑になった。もうめちゃくちゃである。人々は、人民の敵としてよくわからないような理由で逮捕され、国家建設のための奴隷労働力として工場、ダム、道路づくりなどに酷使された。

自国民でこの扱いである。まして大戦期、(そして大戦後も)日独伊の捕虜を投入することなど何の不思議もなかったろう。そもそも34年~39年頃の大粛清後の時点で、ソ連将校の9割が皆殺しというから一体どんな軍隊だったのか考えるだに恐ろしい。
スターリン批判後多くの収容所は廃止され、今に至るまで犠牲者の名誉回復が続けられている。

現在、ロシアでは民間の人権団体による粛清犠牲者の発掘作業などが行われている。政府がどのような対策をとっているのかはわからないが、この度のソ氏のニュースを見ても、歴史見直しの動きはどんどん高まっているとは言えそうだ。
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by itsumohappy | 2006-01-31 23:49 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 11日

チェーホフ4大戯曲

d0007923_21202462.jpg誰もが多分名前は知っているロシアの作家・劇作家、チェーホフ(1860~1904)。
でも何読んだっけ。「桜の園」、映画にもなった「犬を連れた奥さん」とかは読んだ気がするが。

TVロシア語講座でモスクワのマールイ劇場のことが出てきて、「かもめ」の有名な1シーンをやっていた。
   Я чайка...Не то. Я актрйса.
  (私はかもめ。いえそうじゃない。私は女優だわ。)
昔の女性宇宙飛行士テレシコワの「私はかもめ」はここから来ているのかな。

1896年から1904年にかけて書かれた戯曲「かもめ」、「ワーニャおじさん」、「三人姉妹」、「桜の園」がチェーホフの4大戯曲。比較的新しい訳で読んでみた。
共通するテーマは人生の困難さ。苦境を如何に乗り越えるか。運命に果敢に立ち向かう者もいれば、苦難を乗り越えられず自滅する者もいる。生きるのは苦しい、でも必死で働いて生きるのだ、といった台詞があちこちに出てくるのだが、作家の訴えたメッセージは100年経っても十分現代社会に通じるものだ。人生とは何ぞや、というテーマは永遠だなー。

ロシア文学の伝統のひとつと言われるのが、強い女と弱い男のストーリー。「かもめ」はそれにあてはまっている。「ワーニャおじさん」もそうかも。「ワーニャおじさん」では人生の理不尽さ、不公平さが描かれているところが気に入った。能天気な幸せ者に生活をかき乱され、必死に彼らを支える者のほうは何だか報われない、って今日でもよくある話ではないか。

「三人姉妹」、「桜の園」は没落した知識階級、有産階級を描く。農奴制とかブルジョワの台頭による貴族の没落とか当時のロシア社会の背景がわかるとより理解が深まるかも。

チェーホフは貴族の生まれではなく、父親は雑貨商、祖父は元農奴だった。奨学金を得てモスクワ大学医学部を出、医者になった。破産した家のために小説を書きまくり親兄弟を支えた。
チェーホフ全集の細目を見てみるとものすごい量の短編小説を書いている。
結核を病み44歳で亡くなった。伝記を見ると妹が大好きだったそうだ。今で言う妹萌え?

戯曲を読むとやはり舞台が見たくなる。去年はチェーホフ没後100年ということでいろいろと催し物があったようだが、普段でも古典ということでたまには上演されているのかなぁ。
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by itsumohappy | 2005-12-11 21:34 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 04日

ゴーゴリ 『ペテルブルグ物語』

『ペテルブルグ物語』は、(群像社、2004年)ゴーゴリの3作品『ネフスキー大通り』『鼻』『外套』をロシアの文芸学者エイヘンバウムがまとめたもので、この本は新訳である。ロシアでの出版当時の不思議な感じの挿絵が入っていて、訳も自然でとっつきやすい。ゴーゴリは、日本で言えば幕末の頃の人である。私は他には『検察官』位しか読んだことがないが、思っていたよりずっと読みやすい。

『ネフスキー大通り』『鼻』は幻覚的というのか簡単に言えば訳わからない話である。『ネフスキー』は、幻想と妄想が交錯したストーリー、『鼻』は、奇想天外、へたするとナンセンス噺で重厚長大なロシア文学のイメージが崩れる。

  今のネフスキー大通り 昔は馬車が行き交っていた
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誰が読んでも面白いのが『外套』だと思う。当時の、階層社会、官僚社会に生きる人々の生態が生き生きと描かれている。(ゴーゴリは下っ端役人の経験があるそう) 主人公の惨めさ、情けなさが真に迫っているが、それだけでは貧困物語になってしまうところオチがあって楽しませてくれる。
次は『死せる魂』を読んでみようかな。
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by itsumohappy | 2005-12-04 17:00 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
2005年 11月 04日

プーシキン 『ベールキンの物語』 『エヴゲーニー・オネーギン』

ロシア文学と言えばまずひたすら長大で気軽に読もうという気が起きないイメージがある。トルストイやドストエフスキーの著名な作品を読んでもなんだか疲れたなぁという思い出があるだけで、あまり感銘を受けたって記憶がない。大人になってから読むと全然違うんだろうか。しかしもう『戦争と平和』とか『カラマーゾフの兄弟』を読む気力はないなぁ。

ロシア文学の神、プーシキンの作品では、中高生の頃に『スペードの女王』『大尉の娘』などは読んだ。内容は覚えていないのだが、面白かったように記憶している。でも特にその他の作品を読んでみることはなく、しばらく忘れていた。

プーシキンの肖像  右は自画像
d0007923_16514988.jpgロシア人はプーシキンの作品を読みながら成長していく、と言われるくらいお国ではプーシキンの存在は大きいらしい。日本で存在がもうひとつなのは、時代が古いせいもあるが詩句のすばらしさというのはもとの言語でないと理解しにくいこともあると思う。

『ベールキンの物語』と『エヴゲーニー・オネーギン』を読んだ。
ベールキンは『A.Pによって刊行されたる故イヴァン・ペトローヴィチ・ベールキンの物語』という小難しい題名であるが、5つの独立した短編から成るもので、どれも簡潔で読みやすい。広大な大地を背景に農奴制と貴族社会というロシアならではの前近代性を頭に入れながら読むと面白い。昔は田舎にこんな貴族がいたんだろうなぁ。名前でも田舎の子の名前とかあるようで、そういう当時の社会風俗の解説がついていると楽しめる。ベールキンに限らないが。

『エヴゲーニー・オネーギン』は、プーシキンの代表作。今まで本を開いてみてその見慣れぬ構成におののいて、ストーリーは知っていたが読まないままでいた。これは小説ではなく物語詩で、一見とっつきにくいが読んでいくうち慣れてちゃんと物語の世界に入っていける。プーシキンが腐心したであろう韻とか字句の構成美は翻訳では失われるが。当時数部に分かれて出版され、読者は次編の出版を心待ちにしていたそうだ。

やさぐれ貴族オネーギンの描写が読みどころのひとつだろう。プライドだけは高く才気は上すべり気味の様子や決闘の原因となる友人への態度など、他人の純粋さをからかうねじけぶりが淡々と描写されていく。タチアーナはまさにロシアの大地の強さを持つ理想の女性として描かれる。最後のオネーギンとのやりとりのシーンはぐっとくるものがある。
この作品はオペラやバレエにもなっている。映画ではレーフ・ファインズがオネーギン、リブ・タイラーがタチアーナをやった。なかなかよい映画だったと記憶している。まあ原作がよいからまじめに作ればよいものになると思う。
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プーシキンは『オネーギン』のシーンにあるような決闘を実際にやり、その傷がもとで37歳で死んだ。伝記を見ると20歳くらいの時から決闘騒ぎをしている。自ら誇っていたエチオピアの熱い血のせいか。ドラマチックな人生だ。
 
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by itsumohappy | 2005-11-04 21:23 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 16日

『北槎聞略』-大黒屋光太夫の苦難

エカテリーナ2世に謁見した日本人、大黒屋光太夫。
1782年に伊勢を出帆後、嵐に遭って8ヶ月漂流、アリューシャンまで行き着いた。その後ロシアの東端から大陸をペテルブルグまで移動し、1791年、帰国願をエカテリーナに直訴。翌年、対日通商を求める使節アダム・ラックスマンに伴われて根室に帰国した。 

(写真)エカテリーナ宮殿内 光太夫がエカテリーナ2世に拝謁した間
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帰国した光太夫が見たロシア事情を、幕命で学者桂川甫周が聞き書きし、『北槎聞略』として幕府に提出した。これの現代語訳(原文は漢文調で結構読むのが大変らしい)を図書館で借りて読んでみた。10年に及ぶ波乱万丈の物語であり、なかなか面白かった。

漂流の経緯、仲間の乗組員の運命、キリル・ラックスマンとの出会いといった帰国までの話に加え、ロシアの風土、気候、歴史、言葉、冠婚葬祭、動植物、生活一般等々が絵図とともに記されており、当時としてはかなりの情報だったと思う。これだけの内容を語るには、光太夫はメモなどをまめにとっていたのではないだろうか。ロシア人の生活の様相をつぶさに観察している。折々に聞き手の甫周が、自身の蘭語の文献などから得た情報を合わせて補足説明している。鎖国下でも海外事情をよく研究しているのがわかる。

光太夫はあちこちでロシア人の世話になり、食客みたいな感じだ。時には辞書作成の手伝いなどもしている。ツァールスコエ・セロー(エカテリーナ宮殿のあるペテルブルグ郊外)滞在中、宮中から皇太子の馬車で寄宿場所に戻って周囲の人をびっくりさせた話、ペテルブルグの娼家に連れて行かれ日本の話を聞きたがる娼婦達に囲まれて、帰国前には彼女らからお土産をもらった話、マスカレード(仮面舞踏会)の何が面白いのかわからないが、それがある度に着物を貸してくれと言われた話などエピソードも多い。

厳寒のシベリアを横断した光太夫は、驚異的な体力と気力の持ち主だったのであろう。帰国後、幕府からあてがわれた屋敷に暮らし、78歳で死去している。
光太夫の文物はペテルブルグのクンストカーメラ(人類学民俗学博物館)にあるそうだ。
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by itsumohappy | 2005-10-16 22:32 | 文学・本 | Trackback(1) | Comments(0)