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カテゴリ:文学・本( 51 )


2008年 03月 12日

エリセーエフの生涯

『エリセーエフの生涯 -日本学の始祖』(倉田保雄著)及び『赤露の人質日記』(エリセーエフ著)の感想です。
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ロシアの日本学・東洋学者セルゲイ・エリセーエフ(1889-1975)は、明治時代に来日、東京帝国大学で学んだ後帰国し、大学で日本語を教えた。ロシア革命後、亡命してフランスに移住。ハーバード大学に招かれ渡米し、同大で教鞭をとった。当時の教え子にのち駐日大使となるライシャワー氏がいた。

『エリセーエフの生涯』(1977年)はエリセーエフの評伝。
エリセーエフは当時のロシアの大ブルジョワ、「エリセーエフ商会」の御曹司だった。家庭や学校でフランス語、英語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語を学習。パリの別荘に滞在しているときにパリ万博(1900年)で東洋文化に魅了されたのが、日本学に進むきっかけである。ベルリン大学で学んでいる時、日本人留学生たちの助力を得て、日本に留学。1908年、シベリア鉄道で40日かけて東京にやってきた。

モスクワ・トベルスカヤ通りにあるエリセーエフの店(左)。この食料品店の
発展は、エリセーエフの祖父がペテルブルクで始めたワイン販売が大当たり
したことに始まる。右はサンクトペテルブルク・ネフスキー通りの店。

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 (写真:Елисеевский магазинほか) 

東京帝大の入学許可を得、留学生活を送るなかでの数々のエピソードが面白い。お金に不自由しないので、女中付きのしもた屋に住み、日本語・日本文学研究の傍ら漢文や習字、特に草書の稽古に励んだ。寄席や歌舞伎にも親しみ、日舞、清元も習っていた。六代目菊五郎など当時の歌舞伎役者との交流もあった。新橋、柳橋、時には先斗町まで遠征して盛大に遊んだ。日常、和服姿で江戸弁を話し、女装も得意だったユーモアあるエリセーエフは、上流階級の令嬢たちに大人気だったそうだ。

夏目漱石に心酔し、遊び仲間の小宮豊隆(漱石の弟子)の縁で「木曜会」にも度々出席。漱石に俳句を書き付けてもらった『三四郎』を宝物にしていた。卒論は芭蕉研究で、優秀な成績で帝大大学院を卒業した。

左:小宮豊隆と歌舞伎の真似事 右:着物もかつらも特注 
(『エリセーエフの生涯』より)

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ロシアに帰国後、ペトログラード大(サンクトペテルブルク大)で日本文学・日本語を講義していたが、1917年のロシア革命で生活が一変した。
革命勃発後、不動産を没収され、竹の子生活に陥ったエリセーエフが、妻子とともに無事亡命を果たすまでの経緯を記したのが『赤露の人質日記』(1976年。当初版は1921年)。

同書には、「ウリツキー執政官暗殺後、各区ソヴィエトに千人の銃殺が許可され、一晩に7千人殺害された」「船に5,6千人の士官を乗せて沖で沈没させた」等々、恐怖政治の始まりのエピソードが記されている。労農政府は、「1人の共産主義者のために1万人の反革命者と資本階級を銃殺する」と表明した、とある。物不足で、学者も次々と餓死し、エリセーエフは、「露文明の破壊」を目の当たりにした。エリセーエフの親類にも銃殺されたり餓死した者がいた。

エリセーエフは有産階級だったため拘引されたが、勤め先の大学のはからいで銃殺されずに出所できた。拘留中は、家から持ち出した『三四郎』『それから』『門』等を読みふけった。大学に復帰したが、外国での研究願いが却下されて亡命を決心し、美術品を売り払い、宝石を詰めた牛乳瓶などを隠し持って1920年、フィンランドへの密輸船で出国した。逃亡計画が一度では成功せず、無事出帆するまでの展開がスリリングだ。

『赤露の人質日記』は、古風ながらもテンポのよい日本語で書かれている。拘置所でエリセーエフと同室になった労働者が、労農政府に対して憤るくだりは落語調になっていた。

フランスに移住したエリセーエフは、ギメ博物館や日本大使館で働き、ソルボンヌ大の高等研究院教授に就いた。1932年に渡米したのはハーバードの高給が大きな理由だったようだが、アメリカにはなじめず「野猿坊の国」と言っていた。ライシャワー教授が大使となった際は、学問の聖域を汚したと嘆いたそうだ。
1969年、日本政府より叙勲(勲二等瑞宝章)される。75年、パリで死去した。

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粋なロシア人学者の興味深い話なのだが、両書とも絶版になっているのか中央公論新社の目録では見当たらず。大きい図書館ならあるかもしれません。
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by itsumohappy | 2008-03-12 22:58 | 文学・本 | Trackback | Comments(4)
2007年 12月 19日

ソルジェニーツィン 『収容所群島 1918-1956文学的考察』

d0007923_1563817.jpgアレクサンドル・ソルジェニーツィン(1918~)の長編。原題“Архипелаг ГУЛАГ”(アルヒペラーグ・グラーグ)。同氏の体験及び氏に寄せられた227人の収容所体験者の回想、手紙をもとに構成したもので、トルストイの『戦争と平和』を上回るボリュームである。内容のあまりの重さにずっと読み続けるのは苦しく、また気もへんになってくるので、休み休み読んでいたら1年位かかってしまった。

人民がどのように逮捕され、ソ連全土に散らばる収容所に送られて強制労働についたか、何百とも思えるエピソードを重ね、歴史的な考察を交えながら「理想国家」の悲惨な実態を暴いている。といっても、比較的刑が軽いほうだったソ氏(8年;10年や20年の刑期が当たり前だった)も触れているように、この著作で収容所の全貌が語られているわけではない。酷寒の地で最も過酷な労働に従事して死んだ人々の証言は得られていないからである。

収容所の歴史は、スターリン時代から始まったのではなく、巡洋艦オーロラの砲声から始まった―即ち、ロシア革命が収容所群島を生み出した、とソ氏は語り、ロシアを「あらゆる可能性をしめ殺した国」と総括している。

1巻目冒頭、「なんのためかわからない逮捕」の話から始まる。ソ氏の場合は、友人との文通の中で、スターリンを「ヒゲ」と呼んだから(直接名前に言及していないのにも関わらず)、のようだ。逮捕にはノルマが課されていたため、容疑などなくとも密告その他の手段で捕らえられた人々が多かったという。

以下は、ソ氏の紹介しているエピソードのひとつ。
―モスクワ地区の党代表者会議の終わりにスターリン宛のメッセージが採択され、嵐のような大喝采が起きた。5分経っても10分経っても拍手は止まらない。疲れて最初に拍手を止めた工場長はその晩逮捕された―教訓:「決して最初に拍手を止めてはいけない」

強制労働による犠牲者数はよくわからない。数百万~2000万の数字が見受けられる。収容所の過酷な生活描写は、読んでいてかなりつらい。強制労働が実質、国の経済活動の重要な一部をになっていた社会体制が約70年もよく続いたものである。

『収容所群島』は秘かに書き進められ、完成稿は自宅以外の場所に保管された。タイプを手伝った女性は、KGBの取調べを受け、地中に埋めていた草稿のことを自白した後自殺した。
ソ氏の表現にはくせがあり、難解なところも多い。もう少しまとめられる箇所もあるように感じたが、それに関して、作家は、書く自由を失うことを予想して出版を急ぎ、一度も『収容所群島』の原稿をそろった形で確認できなかったからと弁明している。

『収容所群島』は長大すぎるので、強制収容所の話としてはまず『イワン・デニーソヴィチの一日』が読みやすく適当だと思う。

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【ソルジェニーツィン】
1945: 砲兵中隊長時代、私信が検閲にひっかかり逮捕される。8年間を収容所で過ごしたのちカザフスタンに流刑となる。数学教師をしながら小説を書く
1953: スターリン死去】
1962: フルシチョフの許可の下、収容所生活を描いた小説『イワン・デニーソヴィチの一日』 を発表し、脚光を浴びる。その後数点の小説を発表するが、『煉獄のなかで』等の原稿を当局に没収される
1964: フルシチョフ失脚】
1967: ソ連作家同盟大会関係者250人に検閲廃止の訴える公開状を発送
1969: ソ連作家同盟支部から除名される。ノーベル文学賞に決定したが、当局による再入国ビザの発給拒否をおそれ、翌年の授賞式は欠席
1973: 『収容所群島』がパリで刊行され大反響を呼ぶ。ソ連国内で「裏切り者」「悪質な反ソ主義者」と批判され、翌年、国家反逆罪容疑で逮捕、西ドイツへ追放される。後、アメ リカへ移住、無国籍のまま暮らす
1985: ゴルバチョフ、書記長に就任】
1989: 『収容所群島』ソ連国内で解禁。ソ氏は翌年市民権を回復。犯罪容疑も撤回される
1991: ソ連邦解体】
1994: 永住帰国

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ロシア文学の翻訳者、故木村浩氏は、ソ氏から直接翻訳を依頼された当時「研究生命が危うくなるかもしれないが、紹介しなければならぬ作品」と考えて訳し、その後約8年ソ連から入国を拒否された。それでも氏がロシアと決別しなかったのは、「優れたインテリの存在を知っていたから」だそうだ。

(1989年4月12日読売、7月4日毎日、90年5月1日読売、91年9月19日日経、12月27日朝日、92年10月30日読売新聞他より)
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by itsumohappy | 2007-12-19 02:18 | 文学・本 | Trackback | Comments(4)
2007年 09月 28日

ドストエフスキー 『カラマーゾフの兄弟』

d0007923_07309.jpgドストエフスキーの未完の大作。この亀山郁夫先生による新訳は、出版した光文社によれば9月6日現在、36万9千部を突破した。何か売れるきっかけがあったわけでもなく、第1巻から突出して売れ始めたが、その理由は不明だそうだ。
おそらく、現在、読み易い小説(簡単に読めても後に何も残らない小説)は次々と出版されるが、読み応えのある小説に出あうのが難しいので、古典を選ぶためだろうか。少なくとも私の場合はそうだ。限られた時間のなかでは、確固たる地位を確立したとされる小説を選択するほうがはずれがない気がするのだ。ただ、ドストエフスキーは、トルストイやチェーホフと違って何だか重く、そう気軽に始められないが。

私が以前読んだカラマーゾフは原卓也先生訳のものだったと思う。なかなか読み進められず大変だった記憶はあるが、内容はほとんど忘れてしまっていた。今回の新訳は、はじめて「挑戦」する人でも心理的な負担が軽くなるよう?活字は大きく、行間はゆったりしている。亀山先生の詳しい解題がつくが、全5冊で文庫にしては値段が高く、1冊平均単価は800円を超える。表紙は、従来の訳本のように作家のいかめしい顔をあしらうようなものではなく、ポップなイラストが描かれて、書店で何となく手にとってみたくなる装丁だ。

この度の翻訳は、評判どおり言葉が自然に流れていて、理解しやすい。ドストエフスキーに限らず、外国の古典文学の翻訳は日本語の流れが不自然で読みにくいときがある。登場人物の名前ひとつにしても、先生によれば、名前を忠実に訳出するとページによっては3分の1を名前が占めてしまうので、表記を工夫したらしい。同じ人物の名前が姓、名、父称、愛称とりまぜて出てくるロシア文学は、この名前の問題で読むのにけっこうつまづくのだ。
各巻のしおりに主要な登場人物が書いてあるのも良い。

各巻あとがきに、内容と対応する形で、農奴解放後の当時の社会・宗教・歴史的背景が解説されている。文学上の表現についても、シラーやゲーテの作品を踏まえた部分など説明が詳しくありがたい。

作品の読みどころは、人間描写だろうか。ストーリーに魅かれるという人も多いだろう。「神」の問題も外せないだろうし。ルーレット賭博に狂いすさまじい浪費癖のあったというドストエフスキーならではの「金」を巡る描写も同様。
作家が描く、人の負の面、即ち、憎しみ、怒り、妬み等々に突き動かされた人間の狂乱状態にはうちのめされてしまう。ミーチャの大宴会シーンなどちょっとおそろしいくらい。次々に登場する、常軌を逸したというかビョーキの人物たちがリアル。時代は19世紀でも人間の持つ多面性というか複雑な心のありようは現代と変わらない。
以前読んだときは、アリョーシャが絶対の善に見えた記憶があったが、善には違いなくとも迷いや脆さを抱えているのが感じられた。

『カラマーゾフの兄弟』は作家の死で「第二の小説」が書かれぬまま終わったが、その主題は「皇帝暗殺」だった。亀山先生は、暗殺者をアリョーシャではなく、長じて革命家になったであろうコーリャ・クラソートキンと見ている。確かに読んでいてそのほうが自然だと思える。

1,2度読んだくらいではこの小説の完全理解は多分不可能。先生の解説には自伝層とかポリフォニーとかいろいろ書いてあるが、難しいことは抜きに、まずはひたすら読み進め、年代相応にドストエフスキーの世界に浸れればいいのだと思う。

亀山先生は、現在『罪と罰』を翻訳中。出版は来年夏の予定だそうだ。
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by itsumohappy | 2007-09-28 00:19 | 文学・本 | Trackback | Comments(4)
2007年 08月 05日

村尾靖子 『クラウディア 奇蹟の愛』


「…他人の不幸の上に私だけの幸福を築き上げることは、私にはどうしても
出来ません。あなたが再び肉親の愛情に包まれて、祖国にいるという嬉しい
思いで、私は生きていきます。…37年余りの年月をあなたと共に暮らせたこと、
捧げた愛が無駄ではなかったこと、私はこの喜びで生きていきます。
涙を見せずに、お別れしましょう。・・・」



これは当初版。06年に改訂版が出ている
d0007923_17543621.jpg終戦後の朝鮮で、無実の罪を着せされてソ連に拘束され、妻子と生き別れになった蜂谷弥三郎氏とそのソ連でのつらい生活を支えたクラウディアさん、51年ぶりに夫と再会した蜂谷夫人久子さんの実話である。
TVドキュメンタリー番組「クラウディアからの手紙」(1998年・日本海テレビ(山陰地方)制作)に触発された著者が、蜂谷夫妻とロシアに住むクラウディアさんを訪ね、インタビューを重ねて構成した。私は未見だが、06年に舞台・TVドラマ化されている。

朝鮮の兵器工場で働いていた蜂谷氏は、1946年、日本への引揚げを待っている間に、ソ連官憲にスパイ容疑(ソ連刑法第58条第6項;当時、多数のソ連市民がこの条項により強制収容所に送られた)で逮捕された。衝撃的なのは蜂谷氏を告発したのは日本人であったこと。その日本人(のち旧日本軍の特務機関関係者だったことが明らかにされた)は、蜂谷氏他2名の日本人に対して「スパイを助けた」「日本でスパイを徴用した」等々虚偽の証言を行い、蜂谷氏達はピストルを突きつけられてやむなく調書にサインをした。

証拠もなく弁護人もつかない裁判で3人は10年の刑を宣告され、強制収容所に送られた。告発した男にかつて食事をふるまったり、仕事を手伝ったりしたという蜂谷氏達の厚意は仇で返された。スターリン時代、スパイの摘発はノルマ化されていた。おそらくその男は、自ら生き残るため知り合いを密告したのだろう。

幾つかの強制収容所を転々とするうち腎臓病を患い、零下数十度の収容所の中を這って移動するまでに弱った蜂谷氏は、生き延びるために理髪の技術を身につけ、指圧も学び懸命に働いた。「日本人の恥になってはならない」という思いが生きるための原動力になったという。正直で器用な働き者という戦前の日本人のイメージそのものだ。

蜂谷氏は、1949年、マガダン(北極圏コルィマへの入口)に送られたが、勤務する収容所内理髪店の売り上げを多く当局に納め、減刑されて53年に出所した。56年の日ソ国交回復後も何故か帰国が認められず、KGBに監視される日々だったそうだ。そのようななかでクラウディアさんと知り合い、のち結婚。クラウディアさんは孤児で、やはり無実の罪で逮捕され、強制労働に服した過去があった。

この物語の核はクラウディアさんの人間性にある。「神は、人の心の中にこそある」というのがクラウディアさんの信条で、不幸な生い立ちにもかかわらず、純真な心の持ち主で生まれながらの善人である。

91年のソ連邦崩壊後も、蜂谷氏は恐怖心が先立ち、なかなか日本に連絡をとれなかったが、96年、51歳になった娘さんが訪ロし、再会を果たした。日本で久子夫人が健在で、夫を待っていると知ったクラウディアさんは、蜂谷氏に帰国を勧めた。冒頭引用したのが、蜂谷氏との別れに際してクラウディアさんが書いた手紙の一部。

人間の限りない素晴らしさと恐ろしさを知る本である。
クラウディアさんはアムール州プログレス村に一人住む。07年5月に久子夫人は亡くなった。
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by itsumohappy | 2007-08-05 18:13 | 文学・本 | Trackback | Comments(6)
2007年 06月 26日

シャラーモフ 『極北 コルィマ物語』

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ヴァルラーム・シャラーモフ(1907~1982)は、強制収容所での体験を基に短編群『コルィマ物語』著したソ連の反体制作家・詩人。今年6月で生誕100周年である。ソルジェニーツィンと違って生涯ソ連国内で創作を続けた。

本書のあとがきによると、『コルィマ物語』は、1953~73年にわたって書き続けられた約150篇の短編の総称で、作家の生前は国内で出版されなかった。しかしながら地下出版で回し読みされ、国外にも流出し高い評価を得たという。ペレストロイカの時代になってから本格的にソ連国内で紹介された。


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マガダンの北がコルィマの地。『極北 コルィマ物語』の図版に、周辺にあった収容所のおおまかな位置(『収容所群島』図版より)をで示した。

作家は、4度逮捕され、約20年間強制労働に従事した。逮捕の理由は、反革命行為でいわゆる国家反逆罪である。最初の逮捕は1929年。「レーニンの遺言」(スターリンは粗暴であり、書記長職から降ろすべきというレーニンの文書。スターリンの死後公表された。)を印刷しようとした地下出版所で捕らえられた。スターリン時代は逮捕歴があるため「人民の敵」扱いで逮捕。
北極圏のコルィマの収容所で15年過ごした。コルィマは、オーロラ、永久凍土、夏は沈まぬ太陽の地である。厳寒期は、-50~60度位になるらしい。ここには金鉱があり、砂金の層を掘り起こし金を産出するまでに多大な労力が必要とされた。作家は、肉体労働に従事したのち補助医師となり、刑期を全うして生還した。

『極北 コルィマ物語』は、『コルィマ物語』と総称される短編シリーズのうち約5分の1を収録。まだ全訳は出ていないようである。生地獄の人間模様をあれこれ描いているのだが、おどろおどろしくなくむしろ静謐な印象を受ける。それにしてもこれほど悲しい物語群はおそらくないと思う。

作家は、刑期が終わってもすぐにはコルィマから出ることを許されなかったようだ。「手紙」(1966)という短編に、コルィマから犬ぞり、トラックを乗り継いで500キロ先まで行って敬愛するパステルナークの手紙を受け取る印象的なエピソードがある。

今、ロシアでは政府系のTV(テレカナル・ロシア)で、『コルィマ物語』を下敷きにした全12回のドラマシリーズ「レーニンの遺言」(Завещание Ленина)が放映されている。
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          TVドラマ「レーニンの遺言」より(テレカナル・ロシアのサイトより 
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by itsumohappy | 2007-06-26 00:00 | 文学・本 | Trackback | Comments(8)
2007年 04月 09日

ドストエフスキー 『貧しき人々』 『地下室の手記』 『永遠の夫』

長編は疲れるので短編を、と思って図書館で借りたのがこれ。集英社の『世界文学全集』43巻(1979年)で、『貧しき人々』は江川卓氏、あとの2作は水野忠夫氏の訳である。文学全集がはやらない今日、出版年が古いのでもう絶版になっているかもしれない。

●『貧しき人々』
貧乏役人(それも年とっている)と向かいに住む不幸な少女の交流を、書簡体を主体に描いた小説。2人は、互いにいたわり、励ましあい、愛を語らうが悲しい結末を迎える、という単純な話だが、「貧しき人々」の生活・心理が惨め極まっていて、読んでいてすごくつらい。本当の貧しさを経験したものの描写である。貧しさのあまり「自分自身への尊敬の気持ちをなくし、・・・何もかも崩れ去って堕落の底に落ちこむ」状況が、実に半端じゃない。ストーリーそのものよりも、貧乏はここまで人を卑屈にしてしまうのか・・・という貧乏描写にかなり気をとられてしまった。最後のシーンでは、主人公の絶叫が聞こえてくるような錯覚に陥った。

この小説でドストさん(当時23歳)は一躍有名になった。原稿を試しに持ち帰った編集者と友人の作家が、夜を徹して読んでしまい、感激のあまり夜明け頃にドストさん宅に押しかけて祝福した・・と解説にある。ドストさん自身、「生涯で最も感激した瞬間」だったそうだ。

●『地下室の手記』
ドストさん42歳の時の作。「わたしは病める人間だ・・・」から始まる。この小説も「貧乏」と無関係ではないが、主題は「人間の本質」になるのだろうか。人の醜さをシニカルな目でこれでもかとえぐり出してくれるので、辟易した気分になりかけると、ドストさんはそういうこちらの心理も見抜いていて更に突いてくるのである。

この小説は前半と後半に分かれるのだが、はじめのほうでは何が何だかよくわからなくてあっさり投げだそうかと思った。しかしながら、読み進めていくうち、センナヤ広場?あたりのじめじめした地下室から時空を超えてビョーキの人間がブツブツ語る言葉に、無視しようにも何故かそうできなくなってしまった。「現代のきちんとした人間は誰しも、臆病者で奴隷であるし、またそうでなければならないものなのだ」なんて言いますから・・・。

読み終えた後、私の惰性ぶりがドストさんに冷笑された気分になり、ああ、参った・・・としみじみ思いました。

●『永遠の夫』
『地下室の手記』がインパクト強すぎて、すぐ後に読んだこの小説はあまり印象に残っていない。ストーリー自体は分かりやすいが、「永遠の夫」役の人物が卑屈でぐじぐじしているので、いらついてしまう。喜悲劇調に語られていて読みやすいとも言えるが、どうも爽やかでない。もっともこの小説だけではないけれど。

各作品、短くともやはりドストエフスキー。それなりに疲れました。
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by itsumohappy | 2007-04-09 00:20 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
2007年 01月 30日

アルセーニエフ 『デルスウ・ウザーラ 沿海州探検行』


   ・・・突然、彼はひざをついて、こう言い出した。
   「カピタン!どうか、わしを山へいかせろ。わし、町には、ぜんぜん、
   住めない。薪買う。水にも金いる。木切る、ほかの人、おこる」
   私は彼をおこして、椅子に坐らせた。
   「いったい、どこへいくつもりか」 私はきいた。
   「あそこへ!」 彼は遠く青いヘフツィルの山なみを指さした。



d0007923_0481119.jpg『デルスウ・ウザーラ』は、ロシア人探検家アルセーニエフ(1872~1930)が、1906~07年にかけて行った沿海州ウスリー河流域の探検の紀行記である。デルスウは、アルセーニエフ一行の案内をつとめたゴリド族(ナナイ族。北方ツングース系少数民族)の老人(と言っても60歳位)。

まだ未開の地であった沿海州地方の厳しくも美しい自然と、そこに住む少数民族デルスウが生き生きと描かれている。デルスウの超人的な能力(というより現代人が失ってしまった自然と共生するための知恵と観察力)を物語る数々のエピソードが印象的。
霧や雨の音、鳥の向いている方向、銃声の響き具合で天候を予測する。足跡一つを見て、人種、年齢、健康状態をぴたりと言い当てる。そして時には身を挺して自然の猛威に襲われるカピタン(隊長)一行を危機から救う。

自然を畏れ敬い、タイガに存在するものは、魚も虫も、霧までもデルスウにとっては全て「ひと」。無駄な殺生はせず、食べ物はその場の皆(人間とは限らない)で分け合う。
しかし、ハンターとしての誇りを持っているので、魚が「悪態をつく」のや、アザラシが人間を「数える」のは我慢できない。

アルセーニエフは、そんなデルスウの考え方や生活ぶりを紹介する傍ら、先住民族が、中国人、ロシア人、日本人たちの沿海州地域への進出に伴い、徐々に生活の場を奪われ(中国人の搾取ぶりがむごい)、伝染病まで持ち込まれて苦しめられていく悲劇を語っている。
親子ほども年の違うアルセーニエフとデルスウの互いに対する尊敬と友情も、ただの探検記ではないこの本の読みどころだと思う。

新参者が持ち込んだ天然痘で家族を全て失い、孤独なデルスウは、ある「事件」をきっかけに森での生活を続けることが困難になる。アルセーニエフは、探検がいったん終了した後、デルスウをハバロフスクに連れて行き、街中で一緒に暮らす。けれどもデルスウは街の生活に馴染めず、ひとり森に去っていく。はじめに紹介したのは、デルスウとカピタンことアルセーニエフの別れの場面。

本来なら名もなき少数民族であるが、デルスウはこの本によってその名を後世に留めた。
私が読んだのは『デルスウ・ウザーラ』(1930年版)の長谷川四郎による改訳(1965年)で、平凡社東洋文庫シリーズのひとつ。なので、実に無味乾燥な装丁。大きな書店でないとないかもしれない。悪魔も出る深いシベリアの森はやはり写真で見たくなる。この紀行の時の記録写真ってあるのかなぁ。
ちなみに、写真家故星野道夫氏は常にこの本を持ち歩いていたそうだ。
   
   囲みの中の色つき部分が探検した流域
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d0007923_045797.jpg絵本もある。『森の人 デルス・ウザラー』(群像社)
パヴリーシン氏はシベリアの画家だそう。やや渋い感じの絵本。印象的なエピソードはみな入っている。

また、1975年に黒澤明監督が映画化した(日ソ合作)。1976年アカデミー賞外国映画賞受賞。前から気になっているのだけど、イメージどおりか不安でまだ観ていない。
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by itsumohappy | 2007-01-30 01:04 | 文学・本 | Trackback | Comments(4)
2006年 11月 12日

J・リード 『世界をゆるがした十日間』

d0007923_033369.jpgアメリカのジャーナリスト、ジョン・リード(1887-1920)の著した10月革命のルポルタージュ(1919年発表)。大作。 リードは、1917~18年ロシアに滞在し、臨時政府の崩壊と革命政権の誕生を取材した。

1917年10月、潜行中のレーニンはひそかに帰国し、ボリシェヴィキ党中央委員会で武装蜂起の方針を決定した。24日武装蜂起、翌日臨時政府は倒れてソヴィエト政権が樹立した(10月革命)。

この本からは著者の、世界初の社会主義革命にふれた興奮がよく伝わってくる。背景説明としては、当時の政党、委員会、組合等多種多様な団体(その数膨大で、読んでいても何が何だかよくわからない)を逐一紹介し、決起文や声明文など関連の資料もたくさんのせている。

しかし、この本の読みどころは、背景の解説よりも、占拠された冬宮、ペテロパブロフスク要塞、クレムリンや党本部の置かれたスモーリヌイなどに乗り込んで見た現場の様相だと思う。
リードは、自身でも「感情は中立ではなかった」(労働者の側に心情を置いている)と書いている。新しい世界の出現を前に冷静に現状分析している状況ではなかったのだろう。
当時30歳のリードは、裕福な家の出身でハーバードに学んだインテリであるが、だからこそ?社会主義に関心を寄せ、ロシアに来る前はメキシコの革命を取材していた。

帰国後、リードは、19年にアメリカ共産党を結成。モスクワを再訪し、共産党政権の経済政策の失敗による民衆の困窮を見て精神的打撃を受けた。
チフスに罹りモスクワで病死。32歳。唯一クレムリンの壁に眠るアメリカ人である。

********************
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【スモーリヌイ修道院(左)とそれに併設する寄宿学校】
修道院はエリザベータ女帝、寄宿学校は、エカテリーナ2世の勅命で共に18世紀に建てられた。修道院はロシアで最初の女学院。
臨時政府は全ロシア労働者兵卒ソヴィエト中央執行委員会にスモーリヌイの建物を貸していた。10月革命時、スモーリヌイは革命本部となり、レーニングラード・ソヴィエト中央委員会、中央執行委員会が置かれた。モスクワに首都が移るまでレーニンは革命前後をスモーリヌイの一室に住み執務していた。寄宿学校は現在ペテルブルク市庁舎。
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   スモーリヌイのホールで演説するレーニン

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d0007923_23553269.jpg【映画 「レッズ」(1981年アメリカ)】
革命を取材したリードとパートナーのルイーズ・ブライアントのストーリー。3時間を超える長編。現在と過去を交錯させる展開となっており、リード自身のストーリーとリードを直接知る人々の回想が行ったりきたりする。以前見て途中でかなり寝てしまった記憶がある。ウォレン・ベイティがこのような映画を創ったことがすごく意外に感じた。
二人の関係の描写は全然覚えていないが、革命の部分は生き生きとしていて、インターのメロディーが美しく聞こえる。アカデミー賞監督賞ほか受賞。今年、制作25周年を記念してアメリカで再公開されたらしい。写真は25周年記念バージョンのDVD。今のところ日本では未発売。
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by itsumohappy | 2006-11-12 00:40 | 文学・本 | Trackback | Comments(2)
2006年 10月 05日

ドストエフスキー『白痴』

d0007923_23564018.jpg白痴。なんかすごいタイトルである。英語(IDIOT)と同じで、ロシア語でも“ИДИОТ”。ロシア語では「白痴」の意味のほか「ばか」「まぬけ」程度の軽い意味もあるらしい。周囲から白痴と称されている、ムイシュキン公爵が主人公。ドストエフスキーが究極の理想とする、完全無垢な心の美しい人間として描かれている。

長編小説は、前半ぐいぐい引き込まれた後、途中、本来のストーリーに必要なのかよくわからない描写が続く中だるみがあり、その足踏み状態をクリアすると、急展開して終了。というパターンが多いが『白痴』もそれにあてはまるかも。

前半、ムイシュキン公爵の憧れの君、ナスターシャ・フィリポヴナが強烈な印象を残す。暖炉のシーンが前半部分の山だろう。ナスターシャの登場シーンがもっとあるとよいのだが。アグラーヤよりナスターシャがいい。

公爵は周囲を癒すキリスト的な存在のようでややリアリティーがないが、その他の人物はそれぞれに人間くさく複雑かつ現実的。リザヴェータ夫人が一見わけのわからないおばさんのようで、実は一番の慧眼の持ち主かもしれないと思った。登場人物は、ロシアの長編小説の例外に違わず大勢出てくる上に名前がややこしくて(父称がついているとき混乱しがち)頭に入らず、何度も本の扉裏にある人物表を参照してしまう。

俗世の中で心の美しさは壊されてしまう。世の中、きれいごとじゃ生きていけない。そうわかっていても善良に生きたい人間は日々どうあるべきなのだろう。「結局、我々はみな幻影に過ぎない」というリザヴェータ夫人のせりふがドストさんの答えなのだろうか。

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黒澤監督が『白痴』の翻案を映画化している。(1951年公開) 舞台は北海道。出演:森雅之、三船敏郎、原節子、久我美子。ああ、あの役とすぐわかるキャスティングである。
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by itsumohappy | 2006-10-05 00:01 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
2006年 09月 19日

ドストエフスキー『死の家の記録』

ドストエフスキー。中高時代の課題読書に必ずといっていいほどある「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」は読んだことは読んだが、今よりもさらに理解力の足りない昔のことで、内容はほとんど忘れてしまった。長くて大変だったことは覚えている。世の人が絶賛する文豪の有名作品でも、傑作だ!感動した!という感想が持てないと、やっぱり自分にはこんな高尚な文学は難しいから今後はやめとこ。。と思う。私にとって、そんな作品の代表がドストさん文学。

d0007923_0303239.jpgしかしドストさん文学はやはり読まなければならないもののような気がするので、今後少しずつ読もうかなと思う。長編だと挫折しそうなので、まずは文庫1冊からということで『死の家の記録』(1860年発表)。ぺトラシェフスキー事件で検挙され、死刑の寸前に恩赦によりシベリア流刑となったドストさんの実体験に基づく小説である。というか実体験そのものと読める。


結論から言えば、読みやすくて助かった。リアリティに富んでいてまさに「記録」。監獄の人間模様と生活が活写されていて、映像が目に浮かぶよう。(実際ソ連では映画化されたようだ)
入浴の場面(足枷をしながらどうやってズボンを脱ぐかというところが面白い)、たまの娯楽で許される演劇の場面(『俘虜記』(大岡昇平)を思い出した)、労役の描写などなど。作業の合間に犬や山羊をかわいがったりする場面もなんだかユーモラス。ドストさんにしては意外な面白さがある。

一番印象に残るのは、人間観察の妙。監獄社会でも普通の社会と同様さまざまな類型の人間がいて、生まれながらにして人としての性の良さを持つものもいればその反対もいる。現在、私の周りにもいるようなタイプが本に出てきて、昔も今もロシアでも日本でも変わらない、人間そのものの姿を感じた。

訳者工藤精一郎氏(新潮文庫)の解説によると、この本に出てくる登場人物の造形が、後のドストエフスキーの大作に反映されているとのこと。例えば、監獄仲間で、チェチェンあたりの山賊兄弟の弟のアレイという、言ってみればうい奴が出てくるのだが、それがアリョーシャ(「カラマーゾフの兄弟」)やムイシュキン公爵(「白痴」)という形になるというように。

ロシアの伝統(と私が勝手に思っているのだが)、収容所文学の初期の傑作だと思う。それにしても昔からロシア人は体制に痛めつけられている民族だなぁ。
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by itsumohappy | 2006-09-19 00:39 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)