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2012年 09月 07日

レーピン展

d0007923_23221690.jpg国立トレチャコフ美術館所蔵のレーピン展の感想などです(2012年10月8日まで文化村ザ・ミュージアムで開催。以降、浜松、姫路などを巡回)。

イリヤ・レーピン(1844―1930)は、ウクライナ・チュグーエフ出身。1863年、サンクトペテルブルクに出て、美術アカデミーで学んだ。アカデミー時代は、エルミタージュのコレクションを模写し、レンブラント、ベラスケス、ハルスらに傾倒した。在学中より、市井の人々の生活を描くことに関心が強かった。

レーピンの名声は、『ヴォルガの船曳き』(ロシア美術館所蔵、1873年)で高まった。今回の展示会には、『船曳き』の下絵が出ている。『船曳き』は、1869年、レーピンがサンクトペテルブルクのネヴァ川を散策中に見た光景がもとになっているそうで、画家は、その後、ヴォルガ川で船曳きを観察し、何度か描き直して完成させた。

1873年、美術アカデミーの留学生としてパリへ渡ったレーピンは、マネや印象派の影響を受けた。今回出展されている代表作『日向で-ナジェージダ・レーピナの肖像』(下)など、光あふれる日差しの下で描かれた作品は、明るく穏やかで、いかにも印象派の感じである。  
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1877年から1882年のモスクワ滞在時代には、実業家トレチャコフと知り合い、トルストイ、ムソルグスキーらとも交友を深めた。一度見たら忘れられないムソルグスキーの肖像画(上)が展示されている。この絵が描かれてから約10日後にムソルグスキーは死去したらしい。アルコール中毒で病んだ姿ではあるが、圧倒的な存在感に満ちた作品だ。
 
レーピンは、「人生というドラマ、自然の印象、歴史の精神などが私たちの主題」と、師であるクラムスコイに書き送っている。クラムスコイは、1863年、美術アカデミーのコンクールで自由な画題を求める請願を仲間と共に行ったが却下されたため、アカデミーを退学して移動美術展覧会協会(移動派)を結成した画家。1878年にレーピンは、移動派の会員となった。

1882年、サンクトペテルブルクに移住後、肖像画を主体に旺盛な制作を続けた。肖像画のモデルは王族、貴族、軍人、農民、巡礼者、インテリゲンツィア、芸術家、評論家、女優、家族などさまざまである。男性も女性もその内面が堂々たるタッチで描かれていて、人気画家であったことが納得できる。

19世紀後半のロシアは、ナロードニキらによる反帝政活動など不穏な空気が漂っていた。レーピンは、1866年、アレクサンドル2世を暗殺したカラコーゾフの公開処刑をスケッチしている。展示会には、政治犯がシベリアあたりに橇で護送される絵があった。1917年の2月革命を支持し、臨時政府首相のケレンスキーの肖像画も描いた。
レーピンが、革命後の社会の様相をどのように見ていたか、この展示会からはわからない。大戦前の1930年に死去しているので、よい時期に世を去ったと言えるかもしれない。教鞭をとった美術アカデミーでは師事を希望する者が引きもきらなかったそうだ。あらゆる階層から幅広い支持を得続けた、幸せな画家人生だったのではと感じた。

ロシアに行く機会があれば、 『ヴォルガの船曳き』(ロシア美術館所蔵)(下)は見たいものだ。
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by itsumohappy | 2012-09-07 23:39 | 展示会 | Trackback | Comments(0)
2010年 08月 31日

シャガール-ロシア・アヴァンギャルドとの出会い~交錯する夢と前衛~

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ポンピドー国立芸術文化センター(パリ)所蔵のシャガール(1887ー1985)とゴンチャローワ、ラリオーノフ、カンディンスキーらの作品展の感想です(東京藝術大学大学美術館:開催中~10.11;福岡市美術館:10.23~2011.1.10)。

シャガールの芸術と20世紀はじめに始まったロシア・アヴァンギャルドとの関わりに焦点をあてた企画で、シャガールが影響を受けた「ネオ・プリミティヴィスム」(ロシア・アヴァンギャルド運動初期の動きのひとつとされる)の絵画が合わせて展示されている。

右: 『ロシアとロバとその他のものに』(1911)



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ナターリア・ゴンチャローワ『収穫物を運ぶ女たち』(1911)
ネオ・プリミティヴィスムは鮮やかな色彩と簡潔な描写が特徴。


1887年、帝政ロシア・ヴィテブスク(現ベラルーシ)のユダヤ人町に生まれたシャガールは、1908年から2年間、ペテルブルクで、バレエ・リュスの舞台芸術を手がけていたレオン・バクストの美術教室に通ったのち、パリで引き続き絵を学んだ。ロシア革命後、ヴィテブスクに戻り、革命政府の支援をえて1919年、美術学校を開くが、教授として招いたマレーヴィチと対立し、学校を辞職。翌年、モスクワで舞台美術の仕事を始めた。その後、パリに移住し、37年にフランス国籍を取得するが、ナチスのパリ占領を機に41年米国に亡命した。

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『彼女を巡って』(1945) ベラ夫人の思い出を描く。シャガールは赤より青が美しい。

ドイツ国内にあったシャガール作品は37年、退廃芸術としてナチスにより撤去され、独ソ戦で故郷のヴィテブスクは焼き払われた。渡米してまもなくの44年にはベラ夫人が死去。そのようななかで、シャガールの画風は、キュビズムやフォービズムの影響を受けた抽象的なものから幻想的な表現を主体としたものに変化していった。画面の端には農村生活のモチーフが配され、記憶の民らしく常に思い出の中に生きていたかのようだ。

画家は、戦争や混乱の時代を亡命者として生き抜き、つらいことも多かった現実を直視する表現よりも、脱力したような人物が漂う、現実感のないふわふわの夢の世界を描いた。作品だけを見ていると、愛や夢ばかりでもうひとつパンチがないと感じてしまうが、やはりいろいろな要因が背景にある。故郷に残っている親族を思えば、亡命画家としては反ソ的なものも描けなかった。
 
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『日曜日』(1952-54) 女性は再婚したヴァランディーナ夫人。

舞台美術の代表作としては、メトロポリタン・オペラ「魔笛」の衣装デザイン、舞台スケッチが展示されている。
また、会場ではビデオ『シャガール:ロシアとロバとその他のものに』(52分)が上映されており、画家本人の絵画に対する思いなど映像を通してより理解を深めることができる。このなかに出てくるユダヤ人村の様子は映画『屋根の上のヴァイオリン弾き』の光景そのものだった。

展示会の性格上、会場に置いてあるペーパーには作品リストに加えて、サイトに出ている年譜くらいはあったほうがよいと思った。どの展示会でも言えるが、立派な図録だけでなく、コンパクトで安価な小冊子程度のものも作成してほしい。
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by itsumohappy | 2010-08-31 23:30 | 展示会 | Trackback | Comments(0)
2010年 04月 30日

話の話 ロシア・アニメーションの巨匠 ノルシュテイン&ヤールブソワ

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ロシアを代表するアニメーション作家ユーリー・ノルシュテイン(1941-)(右)とその作品の美術監督であるフランチェスカ・ヤールブソワ(1942-)夫妻の展示会の感想です(神奈川県立近代美術館 葉山館・6月27日まで)。


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ノルシュテイン作品の下絵・絵コンテを中心に、作家の世界を紹介する展示で、現代のCGを多用した量産アニメーションとは全く異なる詩的な映像にふれることができる。CMなどをのぞく過去約40年間の作品(共同監督を含む)のほとんど全て(『25日-最初の日』(1968)、『ケルジェネツの戦い』(1971)、『キツネとウサギ』(1973)、『アオサギとツル』(1974年)、『霧の中のハリネズミ』(1975)、『話の話』(1979)、『冬の日-狂句 木枯らしの身は竹斎に似たる哉』(2003)、『外套』(制作中))について展示されている。11時と15時に上映会がある(『ケルジェネツの戦い』を除く)。


ノルシュテインのアニメーションは、絵コンテから作成した切り絵を少しずつずらしながら撮影し動きを作るという手間のかかる手法で作られる。マルチプレーン(多層のガラス面に切り絵を配置して撮影する)で奥行きを出す表現も独特で、手作業の暖かさが伝わってくる。複雑な色づかいの変化が美しい。『キツネとウサギ』からは土気が、『霧の中のハリネズミ』(右)からは冷気が感じられる。

d0007923_15534781.jpg1980年に着手した『外套』は今もって制作中で、会場ではラッシュを見ることができる。主人公アカーキエヴィチの表情やしぐさの表現が驚異的である。『話の話』はやや観念的な作品。個人的なおすすめは『霧の中のハリネズミ』。君がいなければ誰と一緒に星を数える?と切々と訴える小熊の脇で夢から覚めやらぬ様子のハリネズミ。ブルーグレイを基調とした幻想的な世界が展開されている。

ノルシュテインは、芭蕉、一茶、北斎などを信奉する日本文化愛好家でもあるそうだ。アニメ作家育成に熱心で、日本でワークショップを開くなど制作指導を行っている。
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by itsumohappy | 2010-04-30 16:00 | 展示会 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 17日

国立トレチャコフ美術館展 「忘れえぬロシア」

国立トレチャコフ美術館展(09年4月4日-6月7日 於東京:Bunkamura)の感想です。来日した75作品のうち半数以上が現地で常設展示しているもので、展示会の準備に5年かかったそうです。

d0007923_2239261.jpgこの展示会は、トレチャコフ美術館(左)所蔵絵画から、19世紀後半の移動展派の作品を主体に紹介するものである。移動展派は、1863年、ペテルブルクの美術アカデミーの形式主義を批判し退学した14名が設立した「移動展覧会協会」の画家たちを指す。クラムスコイ、ペローフらが同派を主導。移動展派は、モスクワ、ペテルブルク以外にキエフ、カザンなど地方都市を巡って一般向けの展覧会を行った(1923年まで48回)。

19世紀後半のロシアは、農奴解放令(1861)、「人民の中へ」運動(ナロードニキ運動;1873)、「人民の意志派」による皇帝アレクサンドル2世暗殺(1881)等にみるように、社会の変動期であった。移動展派の活動は、「人民の中へ」運動と呼応するもので、絵画を通じて民衆の啓蒙を目指したとされる。

この度の展示会は、庶民の日常風景画、フランス印象派の影響を受けた外光派絵画、雪原等ロシアらしい風景画、肖像画と様々な分野の絵画で構成されていてあきない。特に肖像画は、チェーホフ、トルストイらの文豪、皇族、芸術家、一般人(左翼学生もあった)ら様々な社会的立場の人々のものが並んでおり興味深かった。人間の内面を映し出した肖像画に限らず、生き生きとした自然の風景画などにもみえる抒情的なリアリズムは日本人に親しみやすいと思う。
ロシアの美術展の常?として初日でもそれほど混んでいなかったので、じっくり鑑賞できた。
(2009年4月7日毎日新聞、平凡社『ロシアを知る事典』2004年 参照)

【今後の巡回予定】
岩手県立美術館 2009年6月13日~7月21日
広島県立美術館 2009年7月28日~10月18日
郡山市立美術館 2009年10月24日~12月13日

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右:「忘れえぬ女」
 (「見知らぬ女」;1883)
<クラムスコイ画>

今回のように国外に貸し出されていることが多く、トレチャコフ美術館ではあまり見られないらしい。ネフスキー通りで幌を上げた馬車から見下ろしているモデルは不明である。当時この絵を見た人々は、アンナ・カレーニナやナスターシャ・フィリポヴナ(『白痴』の登場人物)を連想したそうだ。私は後者のイメージを感じた。

絵の前で左右あちこちから見ると表情が変わってみえる。向かって正面やや左からがよいと思った。人物はもとより黒の豪奢な衣装の描写が美しい。誇り高く、挑むように寄せ付けないような、それでいて潤んでいる瞳が非常に印象的。


「冬の道」(1866)<カーメネフ画>
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展示解説によれば、ロシア絵画の特徴は「冬」、「道」、「古い地主屋敷」である。「白樺」、「橇」も入るだろう。


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パーヴェル・トレチャコフの肖像
(レーピン画:この絵は今回来日していない)
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パーヴェル・トレチャコフ (1832-1898)(左)は、紡績業で成功した実業家。慈善活動の傍らロシアの美術品を収集。移動展派を支持していた。ギャラリーを作って1880年代から収集品を一般に公開した。それらの作品は、1892年、モスクワ市に寄贈され、革命後は国に移管された。弟セルゲイの収集品も併せた美術品がトレチャコフ美術館の中核をなす。現在、コレクションは10万点となっている。
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by itsumohappy | 2009-04-17 22:44 | 展示会 | Trackback | Comments(4)
2008年 06月 22日

ロシア・アヴァンギャルド展

「青春のロシア・アヴァンギャルド シャガールからマレーヴィチまで」(Bunkamuraザ・ミュージアム(渋谷・8月17日まで))の感想です。

d0007923_16561144.jpg日本初公開である、モスクワ市近代美術館所蔵の30作家・70作品の展示会。1999年に開館した同美術館のコレクションは、館の総裁で、ロシア美術アカデミーの総裁も務める彫刻家ツェレテリ氏が、海外から買い戻した収集品が主体となっている。

20世紀初頭、ロシア民衆芸術は、フォービズム、キュビズムに影響を受け、「ネオ・プリミティズム」が生まれた。農民などがモチーフの素朴な平面表現+抽象表現は、やがて「立体未来派」の作品に見受けられた。さらに、幾何学的抽象を追求するマレーヴィチが、「スプレマティズム」を発表した。展示会はこの流れに沿って構成されている。

紹介されていた主な作家は、シャガール、ラリオーノフ、ゴンチャーロワ、ブルリューク、アニスフェリド、マレーヴィチ、プーニら。
はじめのほうはピカソ、セザンヌ、ゴーギャンの影響を受けたと思われる絵画が多い。ロシア・アヴァンギャルドの中心人物、マレーヴィチの創る人物は面白い。再現性を否定し、理論・理念に基づく絵画である。
グルジアの放浪画家、ピロスマニの絵が多く展示されていた。20世紀プリミティブ芸術家の一人だそうだ。鑑賞するのははじめて。遠近のない、素朴でへたうま風の作品は、何となくルソーの絵のようだった。

解説によると、ロシア・アヴァンギャルド芸術は絵画のみならず、詩、演劇、映画、デザイン等幅広いジャンルで、時には連携しながら進められた革新運動だった。しかしながら1920年代以降、抽象絵画は「個人的」と批判された。1932年、スターリンは、全ての芸術団体の解散を命じ、「社会主義リアリズム」が唯一認められた「芸術」となった。
展示会の謳い文句、「青春の・・・」は、実際は「悲劇の・・・」のほうが似つかわしいような。
ロシア・アバンギャルドの画家の多くは亡命している。マレーヴィチは、普通の具象絵画に回帰(回帰するしかなかった)。最後のコーナーにあった自画像が「終焉」を物語っていた。

余り見たことのないロシア・アバンギャルドの作品。ロシアものはだいたい見学者が少なく、初日なのにじっくり観ることができた。次はどこかで、文学・演劇等も交えた総合的な紹介展示をしてくれないかしら。

展示会は、東京のあと大阪、岐阜、埼玉を巡回。Bunkamuraでは、次はミレイ、ワイエス展と続いた後、来年の4月、国立トレチャコフ美術館展を開催。「見知らぬ女」来日予定です!

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モスクワ市近代美術館

d0007923_16584448.jpg1959年に米国から帰国したフルシチョフは、現代美術館の建設を命じた。デミチェフ文化大臣に呼び出されたツェレテリ氏(当時ソヴィエト科学アカデミー歴史・民俗学研究所に所属)は、「現代美術にはシャガールやブルリュークなど国を去った芸術家達が必要である」と応え、計画は頓挫した。1997年、ツェレテリ氏がロシア美術アカデミー総裁に就任後、美術館建設構想が本格的に始動した。
(美術館のサイトより)
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by itsumohappy | 2008-06-22 17:02 | 展示会 | Trackback | Comments(10)
2007年 08月 22日

舞台芸術の世界―ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン展

「舞台芸術の世界―ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン展」(東京都庭園美術館(白金台)・9月17日まで)に関し、バレエ・リュスとニジンスキーについて。

東京都庭園美術館
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この展示会は、ディアギレフ(「天才興行師」と称されている)が率いた舞踏カンパニーであるバレエ・リュス(1909~1929)に関わった芸術家の舞台デザイン画や衣装などを紹介している。

d0007923_0585115.jpgバレエ・リュスは専用の劇場を持たずにパリを拠点として活動し、ロシアでは公演しなかったそうだ。オリエンタリズム(と言っても衣装や絵を見ると中近東風なのだが)で人気を博した。研究家である芳賀直子氏によると、傑作も駄作も作ったが、単なる異国趣味だけではなく、正統なクラシックバレエの精神を受け継ぐカンパニーであったという。バレエ・リュスがフランスでは忘れられていたバレエ「ジゼル」を復活させた。リュスの舞台は、当時のファッション、アートに大きな影響を与えた。関わりのあった芸術家は、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、プロコフィエフ、バクスト、ピカソ、コクトー、ルオー、マティス、キリコ、シャネルなどなどそうそうたる人々である。

バレエ・リュスのスターがニジンスキー。ニジンスキーの映像はないとは聞いていたが、写真も見たことがなかった。展示にあった写真の姿がずんぐりというかどっしりしていて意外だった。なんとなく、細め・不健康そうで早死だと勝手に思っていたのだが。活躍した時期は1907~1917年と10年間ではあるが、亡くなったのは1950年。ただし、18年ごろより今で言う統合失調症のような精神の病におかされ長く別な世界に生きた。

薔薇の精を演じるニジンスキー。
(東京バレエ団ニジンスキー・プロのちらしより)

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ニジンスキーは跳躍で「伝説」となったらしい。バレエ「薔薇の精」(部屋の窓から薔薇の精が跳び入ってひとしきり踊った後、窓から跳び去る)のラストで、跳んだまま着地せずに消えた。舞台に何かジャンプ装置のような仕掛けがあるのでは?とわざわざ確かめに行った観客もいたとか。写真ではよくわからないが、芳賀氏のお話では、同時代の芸術家を刺激した「対象としての魅力」にあふれるダンサーで、活躍期間が短いのにも関わらず、描かれた作品が数多く残されている由。また、ニジンスキーは、ディアギレフに勧められて「牧神の午後」などの作品の振付もする多彩な才能の持ち主だった。


展示会場(講堂の手前)で、パリ・オペラ座バレエの「薔薇の精」「牧神の午後」「ペトルーシュカ」の映像(ルグリらが出演。最近のわりにあまりきれいな画像ではない)を1日2回ずつ上映している(スケジュール)ので観ると展示がよりわかりやすくなると思う。

d0007923_135528.jpgバレエ・リュスは、1929年、ディアギレフの死後いったん解散したが、所属ダンサーたちはアメリカその他の地でカンパニーの精神を受け継いでいった。その物語が映画化され(「バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び」)2008年公開予定である。




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【東京都庭園美術館】
1983年開館。33年に完成した朝香宮邸の建物をそのまま使っている。以前はもう少し黄色い建物だったが、元の姿に近い色に塗り直された。各展示室そのものが芸術品。
もと白金の御料地だった広大な敷地には洋風・和風庭園がある。やはり御料地だった隣の自然教育園には昔ながらの貴重な森が残されている。(ただ、カラスが多くてちょっとこわい)

日本庭園と茶室
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by itsumohappy | 2007-08-22 01:20 | 展示会 | Trackback | Comments(2)
2007年 05月 06日

国立ロシア美術館展

「国立ロシア美術館展」(東京都美術館(上野)・7月8日まで)の感想です。

d0007923_042171.jpg東京都美術館での企画展はおおかた六本木に移動したようだが、これは従来の場所で開催中。こどもの日の上野はとんでもなくこんでいて、駅もすぐには出られない位だったが、幸い美術展は拍子抜けするほど空いていた・・・。かつて経験がないくらいじっくり鑑賞できてよかったことはよかったのですが。人ごみに絵が埋もれているような展示会もありますからねぇ。

空いていたのは、多分、ロシア美術館自体まだあまり知られていないからだろう。「エルミタージュ」のほうはもはや定着したブランドだが。ロシアの画家がテーマだと少々集客が難しいのかもしれない。私もレーピン、クラムスコイくらいしか知らない。旅行の際、トレチャコフで見た作品の制作者によるものと思われる風景画があったが、なかなか画家の名前が覚えにくいもので・・・。d0007923_0445552.jpg

展示は、時代を追っていろいろなジャンルからバランスよく構成されていたと思う。キャプションもただタイトルと画家名・制作年をつけるのではなく、画題に関する簡単な説明を添えてあった。
作品は全般に、日本人に馴染みやすい作風ではないだろうか。緻密で写実的な絵画が多く、見ていて安心感がある。

人物画からは、モデルの心、精神性が伝わってくる。エカテリーナ2世の、堂々と自信みなぎる、大国の女帝らしさ。息子(とされる)パーヴェル1世のはかなくも見える思慮のなさ。

d0007923_2163340.jpg左はシーシキン「針葉樹林、晴れの日」(写真:図録から)という絵画。よい風景画からは、風や温度、湿度感や水の音、鳥の声、地面のにおいを感じる。目の前の風景の中に、実際踏み込んでいけるかのような気持ちになる。

自然を描いたもののほか、他の画家による帝都や街の風景画もいくつか展示されており、絵の中の当時の人々の風俗や生活ぶりも興味深かった。

展示会は、作品数が多く、満足できた。しかし、やはり現地で見たいものです。
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by itsumohappy | 2007-05-06 00:55 | 展示会 | Trackback(1) | Comments(9)
2005年 10月 22日

プーシキン美術館展

モスクワに行ったとき、道路の混雑で時間的余裕がなくなって行かれなかったプーシキン美術館。あー今でも心残り。なので、上野にやってきた出張展示会「プーシキン美術館展 シチューキン・モロゾフ・コレクション」に初日に行ってきた。朝から雨が降って暗い天気。込んでいるのか空いているのか全然見当つかなかったが、早目が無難かと思い9時半ちょっと前に着いた。会場の都美術館は狭くて暗く、雑然とした所で私が嫌いな建物のひとつ。今日はさすがに外に行列はできていなかったけれども、会場内に入って鑑賞しだすと、どんどん人が入ってきてこれ以上込んでは混雑で身動きとれなくなりそうなくらいだった。

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印象派の絵画は全般に明るく親しみやすい。西洋絵画を見るとき、誰もが最初に馴染むジャンルなのではないだろうか。私がはじめて見た印象派の展示会は「ソ連邦所蔵の-フランス近代絵画展-プーシキン・エルミタージュ両美術館から」(1979年)で、親に頼んで連れて行ってもらった記憶がある。絵画展の図録を買ったのもこのときが最初だ。会場も同じだが今の建物だったかは覚えていない。この時買ったポスターや絵葉書は今でもある。今日の展示会に当時見たものが6,7点あった。「白い睡蓮」などに26年ぶりに再会したわけだ。

今回の展示では1階ではルノワール「黒い服の娘たち」がよいなーと思った。少女のかわいらしい表情、黒い服なのに画面が暗く見えないテクニックが印象に残る。2階では目玉であるマティス「金魚」。これを目当てに今日は行ったようなものだ。
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マチスは別に好きではないが、この絵はとにかく見ていて飽きない要素に溢れている。構成、色彩、タッチ。鑑賞している周りの人が「小学生の絵みたいねー」なんて話していたが、確かになぐり書き風で遠近もへんだし、もののあるべき直線・曲線など全く無視している。しかし、実はとても緻密な計算がされているように思う。そして緻密でも、描きながら瞬間芸のように色を載せてそれを感じさせないようなテクニック。黒い床?上のテーブルにある巨大な金魚鉢と周辺の植物の他には壁紙?と階段の手すりなのかなんなのか、不協和音の画面ながら不思議に統一感があるし。金魚の白目も何気にかわいいし。緑、ピンクを散らした中心に赤い金魚という色彩のハーモニーもポップで、ほんと面白くて楽しい絵だ。

展示会の作品は、もともとシチューキンやモロゾフが心血注いで集め、それぞれの邸宅を飾っていたものだ。革命後国家の所有になり、彼らはどんな思いだったろう。その後、プーシキン美術館やエルミタージュ美術館がコレクションを分割所蔵することになった。モスクワ旅行時のロシア人ガイドは、モロゾフは革命後パリで自殺したと言っていた。シチューキンの遺族は美術品の返還を願っているともどこかで読んだ。でも後世いろんな国の人が愛で外貨も稼ぎ、大事にされているわけだから幸せな絵画人生?なんじゃないかな。
              
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   ルノワール「黒い服の娘たち」とモネ「白い睡蓮」
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by itsumohappy | 2005-10-22 22:17 | 展示会 | Trackback | Comments(0)