カテゴリ:歴史・領土問題( 33 )


2015年 11月 23日

北方領土問題(3)冷戦のなかで

1951年9月に締結された講和条約には千島列島の範囲が示されなかったが、同年5月に作成された講和条約の米英共同草案には千島、南樺太のソ連への割譲が定められていた。最終案に千島の範囲・帰属先が示されなかった理由のひとつとして、米国に、ソ連に対する利益を明示することを避ける意図があったことが指摘されている。
講和会議ソ連代表のグロムイコは、ソ連の千島領有は正当であると演説で述べ、講和条約への調印を拒否した。

第2次世界大戦終結後、ベルリン封鎖や朝鮮の分断などに見るように、東西の対立が顕在化するなかで、日本がソ連との間に「北方領土問題」を抱えているほうが米国にとって好都合であったとする説は多い。

一方、講和条約に調印しなかったソ連との平和条約交渉は、1955年6月に開始された。交渉を重ねる中で、最終的に日本は、歯舞、色丹、国後、択捉の四島の返還方針を打ち出したが、歯舞、色丹の返還が最終的な譲歩とするソ連と当然ながら折り合わなかった。交渉中断の合間に、重光外相は、米国のダレス国務長官から「日本が千島列島に対するソ連の主権を認めれば、(講和条約第26条に基づき)アメリカも沖縄を占領し続ける」旨の警告を受けたとされる。

ソ連との交渉は、平和条約を締結せずに国交を回復する形で合意され、1956年、「日ソ共同宣言」が調印された。

以降、現在に至るまで、ソ連/ロシアとの領土問題交渉で、具体的な成果(島)は得られていない。冷戦は終結したが、領土問題は解決の糸口のないまま依然残された形となっている。

****************************************
【参考文献】
○『日本占領の多角的研究』日本国際政治学会(1987.5)
○原貴美恵『サンフランシスコ平和条約の盲点―アジア太平洋地域の冷戦と「戦後未解決の諸問題」―』溪水社(2005)
○和田春樹『北長谷川毅『北方領土問題と日露関係』筑摩書房(2000)方領土問題 歴史と未来』朝日新聞社(1999)
○松本俊一『モスクワにかける虹―日ソ国交回復秘録』朝日新聞社(1966)
○田中孝彦『日ソ国交回復の史的研究』有斐閣(1993)
○久保田正明『クレムリンへの使節―北方領土交渉1955―1983』文芸春秋(1983)
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by itsumohappy | 2015-11-23 17:32 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
2015年 07月 26日

北方領土問題(2)対日講和条約の規定と千島の範囲

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対日講和条約の発効(1952年4月)で日本は独立を回復した。同条約が締結された講和会議(1951年9月)にはソ連も含む52カ国が出席したが、講和条約に調印したのは49カ国。ソ連は調印を拒否した共産圏3国のひとつだった。

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対日講和条約の「第2章 領域」第2条(C)は、
「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定。しかし、この放棄したところを日本にかわってどの国が領有するのか規定されなかった。

千島列島・南樺太をロシアが「領有」している根拠はない、という意味で、先の地理院地図の赤丸部分が点線なのだ。そして、同地図の青丸部分の点線は、未画定(或いは領土問題を抱える)の箇所である(もうひとつの領土問題は竹島)。

講和条約では千島列島の範囲も示されなかった。同条約作成に携わったダレス米国務長官顧問は法律家だったのにもかかわらず、なぜそのような曖昧さを残したのでしょう。
(続く)
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by itsumohappy | 2015-07-26 16:34 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
2015年 07月 24日

北方領土問題(1)北方領土とは

日露関係の最大の懸案である北方領土問題について、当ブログでいくつか書きましたが(「歴史・領土問題」カテゴリご参照)戦後70年目の節目を迎える今夏、あらためてごくごく簡単に、黄色の囲み部分を見るだけでもあらましがわかるように記したいと思います。   

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北方領土問題って何?という疑問に対して外務省は、「日本の領土をめぐる情勢」ページにある「北方領土」のなかで懇切丁寧に紹介している。これを端からじっくりと読めばよいのだが、よほど時間と関心のある方々は別として、正直あまりそんな気が起きない。この問題はやはり政策課題としては優先順位が高いとは言えない。
今、教育現場でどれだけ教えられているかわからないが、北方領土ってどこでしょう。

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上は、今日の「ウェザーニュース」の「全国の天気」。うす緑色の地が「全国」である。北方領土は黄色い円で囲った島々(歯舞〈群島〉、色丹、国後、択捉)で、沖縄県より大きい島もある。ロシアは、これら四島を不法占拠中である。

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日本の領土は、対日講和条約(サンフランシスコ平和条約。1952年4月発効)により、法的に確定された。では戦前の日本の領土で北の部分はどうなっていたか。

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これは国土地理院の地図。赤丸部分の点線が、かつてのソ連(ロシア)との国境である。でも、どうして現在もこの点線が引いたままなのでしょう。
(続く)
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by itsumohappy | 2015-07-24 23:24 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
2011年 11月 30日

北方領土をめぐる最近の話題

●日露首脳会談の開催
d0007923_0274851.jpg2011年11月12日、APEC首脳会議が行われたホノルルで、野田総理とメドベージェフ大統領が会談を行った。外務省の発表によれば、両首脳は領土問題解決の必要性を再確認し、議論を継続させることで一致。野田総理から、交渉は日露両国間の諸合意に基づき行う必要があることを指摘した、とのことだ。ここで、「諸合意に基づき行う必要性で両国は一致」にもなっていないことが気になる。9月21日、国連総会開催時に行われた日露外相会談の概要を見ると、玄葉外相とラヴロフ外相は、「日露間では立場の違いがある中で、法と正義を重視して、静かな環境で議論を継続していくこと」で一致したとある。

北方領土交渉を「静かな環境」で、という表現をよく見かけるが、意味するところがもうひとつ不明である。昨年11月1日、メドベージェフ大統領は、国後島を訪問。ソ連時代を含めロシア国家元首として初めての北方領土訪問であり、ロシアの実効支配をまざまざと見せつけた。領土問題の議論を重ねた上で、解決に向けた次のステップに進む具体的道筋など依然全く見えない状況である。問題解決に向けた交渉は徐々に後退しているようにも感じられる。

●国後島、地熱発電で全電力供給へ
北方領土のインフラ整備を行う「2007~15年 クリル諸島社会経済発展計画」の一環で、国後島で地熱発電所のタービンが更新・増設され、島全体の電力が地熱で賄われる予定である。計画が達成されれば、日本側が供与したディーゼル発電施設が不要になる可能性もあるとのことだ。

2011年1月31日、国後島を視察したバザルギン地域発展相は、2025年までのクリル発展計画を用意することを打ち出した。特に「クリル諸島連邦目的別プログラム」として、港湾施設、空港整備のほか、漁業発展のため、現在2つの水産加工場に加えて8つの新たな工場を建設する予定である。総額180億ルーブル(約540億円)が計上されると伝えられている。

●北方四島交流等事業用の新船舶就航へ
ビザなし交流など北方四島への交流事業に使用していた船舶が老朽化したため、2007年12月、バリアフリー設備も導入した船(約1200トン)を造る方針が決定された。2011年5月、新船舶の名は公募で「えとぴりか」となり、同年11月11日、命名進水式が広島県江田島市で行われた。「えとぴりか」は、来年5月からの就航が予定されている。
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【2011年2月1日朝日新聞、11月3日北海道新聞、9月23日「ロシアの声」、外務省HP、内閣府HP等より】
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by itsumohappy | 2011-11-30 23:49 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
2010年 05月 31日

元シベリア抑留者への給付金支給法案

戦後、ソ連やモンゴルに強制抑留された人々に特別給付金を支給する法案(戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法案)の成立が待たれている。同法案は、元抑留者に抑留期間に応じて1人25万円から150万円を給付することを柱とするもので、今年9月に解散予定の独立行政法人「平和祈念事業特別基金」を13年3月末まで存続させて、その基金約200億円を給付金の財源に充てる。法案は、2010年5月21日、参議院で全会一致で可決され、5月中に衆議院でも可決・成立が見込まれていたが、昨今の国会情勢の影響により5月末現在も衆議院で審議中である。

元シベリア抑留者への補償に関して、日ソ共同宣言(1956)で両政府は相互に賠償請求を放棄したため、元抑留者たちは、日本政府に対し、強制労働の未払い賃金の補償と謝罪を求め、法廷で争ってきた。しかし、いずれのケースも敗訴確定または敗訴となっている。全国抑留者補償協議会(全抑協)が、国に未払い賃金の補償を求めた訴訟での最高裁判決(1997.3.13)では「抑留も、国民のひとしく受忍しなければならなかった戦争損害のひとつであり、抑留の補償には立法措置を講ずることが必要である」とされた。全抑協はこの判決を受けたのちは、補償を実現する立法に向けた要請活動を続けてきた。04年以来、元抑留者に給付金を支給する法案は、野党(民主党等)から度々国会に提出されたが、廃案ないし否決が繰り返された。09年の政権交代により、元抑留者に対する国からの給付金支給の実現性が高まったが、政府内には、別の国家補償問題に波及するとの懸念も根強いと言われる。この度の法案が政治決着により成立することが期待されている。

法案には、「特別給付金の支給」のほか、強制抑留の実態調査等(抑留者の埋葬場所、遺骨等の収集、抑留の実態解明その他)に関する基本方針を定めることが盛り込まれている。なお、特別給付金の支給対象は、「法律の施行の日において日本の国籍を有するもの」であり、日本軍に徴用された朝鮮半島出身者など外国籍の元抑留者は対象外である。

【2009年10月15日毎日、2010年1月9日読売、5月14日毎日、5月21日北海道新聞より】
当ブログの関連記事もご参照ください。

【参考】
以下、長いですが、全抑協会長でシベリア立法推進会議代表でもある平塚光雄氏の声を一部紹介します。
 
・・・自公政権は、シベリア抑留問題への対応は10年9月(注1)で完全に幕を引くと決めていた。代わりに記念品を配る事業を実施したが、07年に届いた記念品に添付されていたちっぽけな送付状には「先の大戦における御労苦に対し心から慰藉(注2)の念を表します 内閣総理大臣」とあるだけで、当時の安倍晋三首相の名前も日付も記入されておらず、あぜんとした。首相官邸に送付状を返却しに行き、抗議すると、官房副長官も「お怒りは当然」とすぐに送付状を作り直し、あらためて送ってくれた。その時一緒に官邸を訪れた仲間のうち、この2年半で半分の4人がすでに他界した。私自身も今年の正月は病院で迎えた。もはや残された時間は少ない。
 小泉構造改革の後遺症と空前の不況で、国の支援を必要とする社会的弱者は他にも多い。私たちだけを特別扱いせよと求めるつもりはないが、遅れるなら遅れると説明し、どうしてもできないのであれば、理由を明らかにして謝罪してほしい。
 すでに野党側の了承も得られている今回の法案も、あれだけの過酷な重労働3年に対し、25万円の特別給付金では少なすぎるという気はする。だが、金額の問題ではない。強制労働を国として受け止め、その責任を認めてくれるのであれば、尊厳回復のあかしとして、私たちはそれを受け入れようと決めている。国として、歴史的、政治的にけじめをつけていただきたい。
 私たちは国と和解することを望んでいるが、私たちの声がどこまで鳩山首相に届いているのかもわからない。もどかしさと焦りを禁じ得ない。
 「領土はなくなることはないが、人のいのちには限りがある」と語って、1956年にソ連との交渉のためモスクワに赴いたのは、首相の祖父の鳩山一郎首相だった。
 シベリアで弔いもできないまま多くのいのちを見送ってきた私たちのいのちがあるうちに、抑留問題のけじめをつけていただきたい。


 (注1)当初予定されていた平和祈念事業特別基金の解散時期
 (注2)いしゃ。慰めいたわること。

出典:(私の視点)シベリア抑留 今こそ国はけじめをつけよ (2010年2月18日 朝日新聞)


【追記】
2010年6月16日、第174回通常国会の最終日に、戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法案は成立し、同法は即日公布・施行された。

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by itsumohappy | 2010-05-31 19:15 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(2)
2009年 05月 13日

前外務次官の「3.5島返還」発言

d0007923_0491993.jpg2009年4月17日付の毎日新聞で、谷内正太郎政府代表(前外務事務次官)が北方領土問題の打開に関して「私は3.5島でもいいのではないかと考えている。・・・択捉島の面積がすごく大きく、面積を折半すると3島プラス択捉の20~25%くらいになる。折半すると実質は4島返還になるんですよ。」と発言したことが報道された。この報道が波紋を広げると谷内代表は、当初発言を否定したが、その後「誤解を与えたかもしれない」と弁明し、中曽根外務大臣から厳重注意を受けた。

毎日新聞によれば、谷内氏へのインタビューには記者3名、カメラマン1名が同席し、内容は氏の同意を得て録音されていた。そのため、「記事が全て」とコメントした同社に対し、政府は抗議しなかったのだろう。

北方領土の面積
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3.5島返還発言を聞いて怒った国民がどれ位いるかはわからないが、プーチン首相が来日した09年5月11日付の主要紙朝刊(見た限り毎日、日経、読売、産経)に載った日本国際フォーラムによる意見表明「対露領土交渉の基本的立場を崩してはならない」において、学者、返還運動関係者、政治家等が、「関係者が長年血の滲む努力で築いてきた平和条約交渉の土台」が崩れると緊急アピールしている(「妥協を示唆するやり方は、交渉の進め方としてあまりにも軽率」とも言っている)。政府は、このアピールに対し、国益上問題があるとして撤回するよう何度も要求したそうだ。

一方、3.5島論にさほど違和感を感じない国民もいるのではと思う。サハリンでの日露首脳会談(本年2月18日)で、両首脳は、領土問題を今の世代で解決すること、メドヴェージェフ大統領の言う「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」の下、最終的な解決につながるよう作業を加速させることで一致したのだから。

4島返還が達成されるまで粘り強く百年単位でがんばるか、「向こうが2島、こちらが4島では進展しない」(麻生首相)から妥協点を探るかは、最高権力者の政治判断次第である。近年の日露の首脳会談では、5月12日の麻生・プーチン両首相の会談も含め、「これまでの諸合意・諸文書に基づいて領土交渉を継続/加速することで一致」といった内容の表明がひたすら繰り返されている。その一方、「貿易、経済分野の関係強化は領土問題解決への環境づくり」というフレーズのもと日露の経済関係は着実に進展している。
特に日本側にとって、戦後63年過ぎた今となっては、領土問題は先送りするしかないのだろう。今更妥協策ではこれまでかけた時間が無意味になる。世の中には北方領土よりも優先して政治生命を賭けなければならない問題が山積している。北方領土を巡って戦争が起きるわけでもない(たぶん)。

谷内代表の3.5島返還発言は国内外への「観測気球」という見方もあるが、この発言で一番空しい思いを強めているのは、出口の見えてこない返還運動を懸命に行っている元島民をはじめとする人々及び根室等北方領土隣接地域の住民だろう。
 
【2009年4月21日毎日新聞、5月1日・8日北海道新聞、5月12日共同通信より】
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by itsumohappy | 2009-05-13 01:03 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(2)
2009年 05月 13日

ビザなし交流再開へ

2009年1月、ロシアが国内法に基づき、北方四島渡航時における出入国カードの提出を日本に要求した問題は、5月1日、ロシア側が求めたカードへの署名は避けた形で両国が合意に至り、プーチン首相来日前にとりあえずの解決をみた。

これまでの北方領土への渡航方式は、
●日本側が作成した訪問団員リストをロシア側に提出。
●訪問団は日本外務省発行の身分証明書及び挿入紙を携行。(同行の外務省係官等が団員分をまとめて所持。ロシア側には提出しない)

という形であったが、今月からは、訪問団員リストに関して、
●訪問団員リストに訪問者全員が署名し、ロシア側に提出。
●その団員リストに基づきロシア側が出入国カードを作成。団員の出入域時におけるカードの半券受け渡しによりロシアは出入りを管理する。

こととなった。ロシアは団員が個々にカードの半券を所持するよう求めていると伝えられている。

ロシア側が作成した書類に日本側が記入・署名をしないので入国手続きには当たらない、というのが日本政府の見解である。「苦肉の策」「玉虫色の決着」と新聞は報道したが、外務省は「双方の法的立場を害さないことを双方が確認」した上での技術的な解決、と表明した。

ビザなし交流第一陣の出発は5月15日。高橋はるみ北海道知事も参加する予定である。以降9月まで6回の渡航が計画されている。

(追記:第一陣の訪問は、ロシア内部の調整が間に合わず5月13日、中止となった。次回は、同月22日択捉への出発が予定されている)

【2009年5月2日北海道新聞・毎日新聞、5月1日外務省プレスリリースより】
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by itsumohappy | 2009-05-13 00:47 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 05日

北方四島渡航時における出入国カードの要求問題

2009年1月、北方領土への人道支援物資(医療器具約1.9トン:約950万円相当)を積んだチャーター船「ロサ・ルゴサ」号が、ロシア側から出入国カードの提出を要求されたため、物資を渡すことなく根室に引き返した。日本人の北方領土への入域は、これまで日ロ政府間で交わされた取決め(日ソ外相間往復書簡ほか)により、旅券・ビザなしで行われている。当然日本政府は、出入国カードの提出はロシアの四島への主権を認めることになるとして反発している。

  入域手続きは、はしけで島から来るロシア側の係官を待って船中で行われる。
  国後島古釜布沖で停泊中の「ロサ・ルゴサ」号(2007年5月のビザなし渡航時)
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北方四島への日本人の渡航に関する枠組は、以下の通り。

1.四島交流(ビザなし交流)
1991年4月に訪日したゴルバチョフ大統領の提案をきっかけに92年来毎年実施されている、日ロ相互の訪問事業。日本人の四島訪問には、旅券・ビザは要らないが、日本外務省発行身分証明書及び挿入紙が必要。元島民とその家族、四島返還運動の関係者、報道関係者、学術専門家等が参加できる。日本人の訪問先は、ロシア人住民がいる色丹、国後、択捉(歯舞群島には国境警備隊しかいない)。ロシア人の訪問先は道内が多いが、近年の実績を見ると東京、愛知、京都、佐賀等もある。
2.自由訪問
1998年、小渕首相・エリツィン大統領によるモスクワ宣言に基づき99年開始された。元島民とその家族(配偶者/子)が対象で、四島交流と異なり歯舞群島の訪問が可能。
3.墓参
元島民とその家族による墓参は、1964年から開始された。76年、ソ連が旅券・ビザを要求したため10年間中断したが、従来どおりの身分証明書による渡航方式により86年再開された。四島には日本人墓地が52ヵ所ある。
4.人道支援
1992年、ソ連崩壊後の混乱で困窮した四島ロシア人住民支援のため、外務省「支援委員会」による発電所など施設建設等の事業が開始された。支援委員会廃止後は、患者の受入れ、地震等災害時の緊急支援、人道支援物資の供与が行われることとなった。このうち、人道支援物資供与事業を、外務省の補助金事業として「千島歯舞諸島居住者連盟」が2003年、引き継いだ。

今回の出入国カードの問題で入域できなかったのは、この4の事業の訪問団(千島連盟と外務省の関係者)。

外務省は、「ロシア側が、北方四島への人道支援物資を搬入する直前になって、(中略)「出入国カード」の提出を一方的に要求してきた」(1.28プレスリリース)と表明したが、カードの問題は今回突然出てきた話ではない。

ロシアでは、02年の連邦法改正で入国審査の書類提出が義務化された。
08年10月、来道したロシア外務省サハリン州代表が、「09年以降、日本人に対する出入国カード記入が求められることになる」と発言し、北海道新聞(10月20日)をはじめ日経、読売、毎日でも報道された(21日)。03年6月にも、ロシアがビザなし渡航団に出入国カードを要求したという記事がある。(6月24日北海道、25日読売新聞)

つまり、前々からロシア側は「警告」を発していた。この度、船が引き返したのは半ば予想された事態とも言える。今回、人道支援事業関係者7人だけの渡航で、一般民間人は乗船していなかった。ロシアとしては、日本側に多少「配慮」したタイミングで、従来からの要求を通したのかもしれない。

今後、四島に渡航する際には出入国カードが必要、というロシアの主張がもし変わらなければ、日本政府は渡航事業を止めるのだろうか。ビザなし交流も17年間行われ、相互理解・友好という当初の目的はある程度達成されたと言われる。ロシア人住民の生活レベルも向上した今日、交流・支援事業がもし中止になってもロシア側は格別困ることもなさそうだ。とはいえ、島民は医療品を必要としているので、国後島の地区長は、来道の機会に根室で物資を受け取るという意向を示したらしい。

    爺爺岳(国後島)
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麻生首相は、今月半ば、メドベージェフ大統領の招待を受けて、「サハリン2」からの天然ガス輸出開始の式典に出席するため、日本の首相としては初めてサハリンを訪問する予定である。その際行われる日ロ首脳会談で、或いは首脳会談までに、この問題がどう解決されるか関係者は注視しているだろう。

(2009年1月23・29・30日、2月5日北海道、1月29日朝日、1月30日読売新聞、外務省のサイトより)
(四島交流実績はこちら参照)
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by itsumohappy | 2009-02-05 23:15 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(2)
2008年 04月 30日

北方領土返還交渉の経緯

4月25日、福田首相は、プーチン大統領の招待を受け訪ロした。翌日の日ロ首脳会談において、東シベリア油田の日ロ共同開発、北方領土問題交渉の継続などが確認された。首脳会談後、5月7日に就任するメドベージェフ次期大統領との会談も行われた。

会談が行われたモスクワ郊外の大統領公邸
d0007923_17442397.jpg北方領土(歯舞・色丹・国後・択捉)の問題は、今、どれだけ関心が持たれているだろう。これについて、当ブログで何度か書いているので(ロシアとの領土問題 日ソ国交回復50周年国後島・択捉島上陸記)、多少重なりますが、新政権との交渉が始まる節目の時期ということで、経緯等についてごくごく簡単にふれます。
  
【現在の日本の主張】
ロシアは、日本固有の領土である北方領土を不法占拠している。
四島は対日平和条約(1951年。サンフランシスコ平和条約)で日本が放棄した千島列島には含まれない。
四島の日本への帰属を確認後、平和条約を結ぶ。

【現在のロシアの主張】
四島の領有は第2次世界大戦の結果であり、国際法上の根拠がある。
日ソ共同宣言(1956年)の法的効力は認める。

これまで、プーチン大統領は、「「日ソ共同宣言」に基づき決着させる用意がある」とも「四島はひとつも返さない」とも発言しているが、この度の首脳会談で表明した、「平和条約の締結を目指すため、北方領土問題の交渉は継続する」旨の方針は変えていない。大統領は、かつて、四島領有の法的根拠として、ヤルタ協定、ポツダム宣言に言及したことがある。

    現在の国後島(07年5月)。古釜布の町と爺爺岳
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    地熱発電の工事。ロシア政府によるインフラ整備の一環。後ろは羅臼岳
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【千島の定義は不明】
そもそも対日平和条約で、日本が放棄した「千島列島」の範囲及び日本が放棄した後の「千島列島」の帰属先が規定されなかったことが問題を複雑にした。
これについては、米国の策略が背景にあるとする説が多い。即ち、冷戦の始まりのなかで、日ソ間に紛争の種をあえて残し、両者の接近を防ごうとした、というもの。なお、米国は、ソ連が対日平和条約への調印をボイコットすることを予想していた。
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      (図:外務省「われらの北方領土」より作成)

【返還交渉の推移】
●敗戦後~日ソ国交回復交渉前まで(1945~1954頃)
独立回復前の日本では、領土交渉どころではなかった。
ただし、吉田首相の対日平和条約受諾演説にあるような「ソ連による択捉などの占領は不当」という主張はあった。
当時は、対日平和条約における千島の範囲に関する日本政府の見解はまだ確立されていない。「千島とは「北千島」と「南千島」(国後・択捉を指す)」という内容の政府の国会答弁がある。

●日ソ国交回復交渉(1955~1956)
国連加盟とシベリア抑留者帰還を実現させるため、ソ連との国交正常化交渉が開始された。
日本政府の領土交渉方針は、当初「歯舞・色丹」の返還要求だったのが、途中から「国後・択捉」をも含めた要求へと変化。結局、領土問題の解決は棚上げされた。日ソ共同宣言で、歯舞・色丹は、平和条約締結後、日本に引き渡すことが規定された。

●ソ連崩壊前まで(~1991)
日米安保条約調印をきっかけに領土交渉は後退し始めた。やがて、ソ連は、「領土問題は解決ずみ」「領土問題は存在しない」とした。日本政府の方針は「政経不可分」。領土交渉の進展なくして経済関係を深めることはできない、という立場をとった。

●現在まで
ロシアとの交渉のなかで、各種政治文書(外務省のサイト参照)が作られた。
日本政府は、領土返還に向けて様々な具体的提案を行ったとされるが(注:領土交渉の詳細に関する外交文書は公開されていない)、結局のところ、

◎ソ連は領土問題の存在を認めた。
◎日ソ共同宣言が交渉の出発点として合意された。

というのが、実質的な成果。つまり、今に至るまでロシアは、日ソ共同宣言の内容を超える譲歩はしていない。日本政府は、対ロ政策を「拡大均衡」「重層的アプローチ」等々の方針に転換してきた。要は、以前と違って、領土交渉を進展させるために経済関係も重視しましょう、ということ。現在は「日露行動計画」(2003)に沿った外交を展開している。シベリアやサハリンのパイプラインの話はこの計画にある。

【今後の交渉】
日本政府は、北方領土問題の解決をサミットで取り上げたり、国際司法裁判所に持ち込んだりすることなく、ロシアとの直接交渉により行うとしている。日ロともに方針を変えなければ何十年かけても領土交渉は前進しない。ロシアが譲歩するまで百年単位で交渉を続けよという論調もあるが・・・。
今となっては、平和条約がなくとも四島がなくとも致命的に困らない(たぶん)ことが、領土問題解決を長引かせているゆえんか。

        択捉島
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        旧「紗那郵便局」。択捉島に残る日本時代の建物
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<その他>
【「北方領土」という言葉】

国会図書館の「国会会議録検索システム」(戦後最初の国会(1947)から検索可能)で「北方領土」を検索すると、外務省条約局長の「・・・講和会議では、日本政府の希望するような北方領土の定義は下されませんでした。」という答弁(1956)が最も古い。
「四島は、千島に含まれない日本固有の領土」という見解については、池田首相の国会答弁(1961)で初出する。なお、混乱を来たす「南千島」という用語は公文書で使用しないことが省庁に通達された(1964)。

【返還運動の始まり】
四島の返還をはじめて訴えたのは、当時の北海道根室市長がマッカーサー司令官に行った陳情(1945)という。

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(参考)
・2006年2月1日読売、2008年4月27日朝日、北海道、産経新聞
・長谷川毅『暗闘』(2006年 中央公論新社)
・和田春樹『北方領土問題 歴史と未来』(1999年 朝日新聞社)
・原貴美恵『サンフランシスコ平和条約の盲点―アジア太平洋地域の冷戦と「戦後未解決の諸問題」―』(2005年 溪水社)
ほか
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by itsumohappy | 2008-04-30 00:54 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
2007年 06月 06日

国後島・択捉島上陸記 -5. あとがき

2006年8月16日に根室の漁船がロシア国境警備隊に銃撃され、乗組員1名が死亡した事件を受けて、当時の根室市長は、ビザなし交流や人道支援の一時中止を政府に申し入れた(2006年8月17日毎日新聞)。 市長は、領土返還のためにビザなし訪問事業を続けても、領土交渉に進展はない上、こんな事件まで起きたことにいらだったのかもしれない。
結局、政府の方針でビザなし事業等は予定通り行われることになり、銃撃事件直後の18日、択捉へ向けビザなし訪問の船が出立した。

1992年にゴルバチョフ大統領の提案で始まったビザなし交流も今年16年目ということで、相互理解、友好、親善といった目的はそこそこ達成されているのでは?と思う。

交流事業なので、色丹・国後・択捉在住ロシア人もやってくる。ただし来日するのは富裕層で、繰り返し訪問できる人々と参加できない一般層とのあつれきがあるという。(06年8月19日北海道新聞) また、この事業で来日したロシア人が、家電、自転車、芝刈り機、リビング用品など買い物する姿にビザなしが「買い物ツアー」「観光」と化しているという批判もあるそうだ。

ロシア政府に四島を返す気はない。
プーチン大統領は、かつて日ソ共同宣言(1956年)に基づく解決を考慮したと伝えられたが、今は、「四島の帰属性がロシア側にある点に議論の余地はない」(07年6月)と発言している。今年4月にはイワノフ第一副首相が択捉を、6月にはラブロフ外相が国後、色丹、歯舞(水晶島)を訪問し、これらの島々が「ロシアの領土」であることをアピールした。

これまでの政府交渉のほか、自治体、民間団体、個人がいろいろな形で、もうやりつくした位に返還運動をしていても、事態が変わらないというのは何だか空しい。領土問題は何十年かかっても原則を粘り強く訴え続けるべきと言われればそうなのだろうが。 

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  北方領土絵葉書より「ハマベンケイソウ」と「材木岩」(国後島)


今年度のビザなし交流事業に関して、地元紙に以下のような記事があった。
ビザなし交流では、受け入れ側が滞在費を負担する「相互負担」が原則だが、実際には島の財政難に配慮し、日本側が車の移動経費、食事代など一回60-100万円分を負担。四島側は4月の日ロ代表者間協議で、物価高でロシア側の実質的な負担が増えたため、日本側の負担増を求めた。(中略)交流事業費などを交付する内閣府も、日本側の負担増に伴う予算要求を検討する方針だ。 (2007年5月19日北海道新聞) 

なんだか、事業を継続させたい日本の足許見られているような感じである。島返す気もないのに・・・。 あと半世紀後、事態はどうなっているだろう。今と同じ状態だろうか。それともある日突然解決したりするのか。

島で移動中、同じ車になった元島民の方に「返還されたら島に帰りたいですか?」と尋ねかけてやめた。今の島の状態、そして「返還」というゴールが全然見えない状況では、非現実的で空しい質問のような気がしたからだ。元島民1世は平均年齢74歳位。こう言ってはなんだが、もうそんなに残された時間はない。
好景気を背景に四島での生活レベルは向上したといっても、快適すぎる日本の生活になれてしまうと、たとえすぐ島が返還されたところで、住むには相当インフラ整備しないと無理だ。

訪問を終えてやや落ち着いてからは、ロシア人住民にもっとあれこれ聞けばよかった、と思った。島にいるときは、とりあえずのコミュニケーションに必死で、心情を問う余裕がこちらになかった。
ロシア人住民は、集会だステイだと1年に何度となく来る日本人たちの相手をして、似たような話を聞かされ、うんざりすることもあるだろう。何度も四島訪問する日本人はあまりいないが、迎える側は変わらない。それでも我々団員に暖かく接してくれた。
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  北方領土絵葉書より「ルピナスと紗那川」(択捉島)

先日、ロシア人家庭へお礼の手紙や写真などを送る前に、料金など確認しようと思い郵便局で尋ねた。 「本などを択捉島に送りたいんですが」「は?」「北方領土です」「…」
帝都の郵便局員でも反応が鈍い。私としてははじめから「ロシア」というのは何だか悔しかったのだが、会話が成りたたず残念。現実的な妥協をし、おばあちゃんの筆記体をコピーした封筒d0007923_0503624.jpg宛名の中にあるРоссия Сахалинская обл.(ロシア・サハリン州)じゃあまりに不親切なので英語で「Russia」、ロシア本土に空輸されないよう「サハリン州」と漢字で書き加え、ちょっと考えて「択捉島」と続けた。漢字で島名を書くと返送されるという噂がある(うそだと思うけど)。カチカさまのおかげで何とか送ることができたんだし、あとは無事、届くといいなぁ。

・・・以上、とりとめもなくいろいろ書きましたが、一言で言えば、何かにつけて複雑な気分になった、というのが北方領土訪問の感想です。ここまでお目通し頂きありがとうございました。

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【参考】

d0007923_2202529.jpg北海道のサイトによると、終戦時、北方領土には、17,291人が住んでいたが、強制退去させられた後はその約8割が北海道に居住した。元島民の生存者は、8,251 人(平成17年3月末現在)で、半数以上亡くなっている。

最も島からの引揚者が多かった根室は、北方領土返還運動の原点の地。1945年12月、当時の根室町長が、マッカーサー元帥に宛てた領土返還の陳情書が、四島返還に関する陳情の第1号である。
根室市内では、「四島(しま)の家」という名の民宿も見かけた。

06年2月、根室をはじめとする北方領土に隣接する町などが、領土問題が未解決であるため地域が疲弊しているとして、「未来に希望の持てる取り組み」の提言を国などに対して行った。

その中には、「自由貿易ゾーン(経済特区)の形成」「四島在住ロシア人労働力の活用検討」他たくさんの要望項目がある。
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by itsumohappy | 2007-06-06 00:28 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(6)