2007年公開作品。制作・監督のデイナ・ゴールドファインとダニエル・ゲラーは著名なドキュメンタリー映画作家だそうだ。
この映画は、2000年、ニューオーリンズで開催された「バレエ・リュス」(ロシア・バレエ団)の同窓会に集合したかつてのダンサーたちが語る思い出の数々を、当時の映像も交えて紹介しながら、バレエ・リュスの歴史を振り返る構成となっている。 「バレエ・リュス」は、興行師セルゲイ・ディアギレフがマリインスキー劇場などの若手ダンサーを集めて結成したバレエ団で、特定の劇場に所属せず、パリを中心にモンテカルロ、ロンドンなどロシア外で公演していた。09年は、リュスのパリデビューから100周年にあたる。 セルゲイ・ディアギレフの肖像(レオン・バクスト画 /国立ロシア美術館所蔵) このバレエ団は、舞台装置や音楽、脚本に、ピカソ、マティス、ミロ、ルオー、バクスト、ローランサン、シャネル、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ラヴェル、ドビュッシー、コクトー等々の芸術家たちが関わったことでも有名である。 29年のディアギレフ死去に伴い、バレエ団は解散したが、31年、ド・バジル大佐らにより「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」として再建された。バレエ・リュスでダンサー、振付をしていたジョージ・バランシンが振付師としてこれに参加したが、その後、レオニード・マシーンに交代した。34年には米国公演を敢行し成功をおさめたが、バジル大佐とマシーンの争いにより、団はモンテカルロと「オリジナル・バレエ・リュス」に分裂した。 映画は、ディアギレフ死後、後継バレエ団経営者たちの内紛に翻弄されつつも、バレエ・リュスの遺産を伝え続けたダンサーらのバレエに対する深い思いに焦点を置いている。 分裂した団はそれぞれに米国やオーストラリア、南米などを巡業した。ダンサーの出身国が一時17ヶ国にわたったという「モンテカルロ」が周った米国で、団に初めての黒人や少数民族ダンサーが加わったり、米国人振付師アグネス・デ・ミル(映画監督セシル・B・デミルの姪)による新感覚のバレエ『ロデオ』を上演したりといったエピソードなどにも映画では触れられている。 「バレエ団はもうからないもの」というダンサーのコメントにあるように、資金難で組織が弱体化し、「オリジナル」は48年、「モンテカルロ」は62年に活動を停止した。 「報酬なんてほんのわずか。でも『これが踊れるなら』『あのデザイナーと仕事ができるなら』と、そういう思いが財産だった」と映画撮影当時80歳を過ぎていたアリシア・マルコワ(右:14歳でディアギレフに見出されたバレエ・リュスの「ベイビー・バレリーナ」のひとり。故人)が生き生きと語る言葉が印象に残った。 バレエ・リュス草創期のダンサー
by itsumohappy
| 2009-03-06 22:57
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