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2008年 12月 02日

『カラシニコフ自伝 -世界一有名な銃を創った男』

d0007923_23284448.jpgフランス人ジャーナリスト、エレナ・ジョリー氏聞き書きによる自伝の紹介です。(2008年4月 朝日選書)

自動小銃AK-47(自動小銃カラシニコフ1947年型)の開発者ミハイル・カラシニコフ(1919-)は、この本によれば「世界で最も頻繁に口にされるロシア人の名前」である。

1947年、コンペで入賞し、のちソ連軍に採用されたAK-47は、冷戦時代、ワルシャワ条約機構加盟国全てに代価を支払うことなく製造が可能だった。AKは、部品に隙間を持たせる設計で、砂・泥水に強く故障が少ないのが特徴。この銃は、70年代、ベトコンの勝利に「貢献」し勇名をはせた。現在も、アフガニスタン、イラク等々の紛争地で、直近ではインドで起きたテロ事件でも使われている。

カラシニコフ氏は、11歳の時、スターリンによる農業集団化を目的とする「富農撲滅運動」
の犠牲となった。一家は財産を没収されてシベリアに送られ、過酷な労働で父親はまもなく死去した。カラシニコフは、国内移動のためのパスポートを偽造し追放地から脱走。行く先々で「人民の敵」であったことを隠し続けた。自身の過去を語れるようになったのはゴルバチョフが登場してからだという。
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カラシニコフは、1938年、ウクライナで兵役に就いたが、独ソ戦で負傷し、近代的な銃器でファシストを倒したいという思いにとらわれた。当時の軍における有力者、ジューコフ将軍との出会いが、本格的に兵器開発に携わるきっかけとなった。独学で技術を身につける一方、セネカ、モンテスキューらの著作も愛読。「私の大学」である書物から幅広い教養を身につけた。

兵器開発で国に貢献したカラシニコフは、旧ソビエト最高会議の代議員にも選出されたが、政治とは一定の距離を置いた。名誉は得ても、売買された銃器から利益を得ることはなかった。カラシニコフ銃が、自身の意思とは無関係に世界のテロリストにも広まったことについて、設計以外に決定権を持たなかった自分に責任はないと語る。「祖国を守るため」に銃を作った人物として人々の記憶に残りたいそうだ。

興味深いのは、スターリンを「両親よりも身近な存在」として尊敬していたと述懐するくだり。ゴルバチョフはソ連の崩壊を招き、エリツィンは酔っ払いと切り捨てている。ソ連時代は、スタート地点で平等の権利を与えられたと語り、共産主義についてそれなりの評価をしているようだ。

d0007923_23302232.jpgカラシニコフが我慢ならないのは、新ロシア人と呼ばれる新興富裕層。真面目に働こう、新たに何かを生み出そうという意思がなく、不当に利益を得た連中として断じている。諸外国を見ると、豊かな資源を持つロシアは、もう少し望ましい発展があったのではないかと歯がみする、国士ないし実直な愛国者的姿勢が印象的。
ウラルの奥地、イジェフスクに慎ましく暮らし、今でも機械工場で働いているとのことだ。
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by itsumohappy | 2008-12-02 23:35 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
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