エドワード・ラジンスキー(1936-)は、ソ連時代は劇作家として活躍し、今は「歴史ドキュメンタリー小説」で有名な作家だそうだ。『アレクサンドルⅡ世暗殺』は、これまでラジンスキーが「ロシアの悲劇」シリーズとして、ラスプーチンやスターリンらロシア史を転換させた人物を扱った一連の作品群における最終作に位置づけられている。
著者は、アレクサンドル二世(1818-1881)の時代に生まれたロシア式テロリズムは、20世紀のテロリズムの先駆けであると主張している。最近ロシアでは、この皇帝の時代に対する関心が高まっているらしい。 アレクサンドル2世の曽祖父母(ピョートル3世、エカテリーナ2世)の時代には、世の中が「下から上まで全てが奴隷」である状態が確立され、民衆は常に恐怖心にとらわれていた。本書の前半では、そのような沈黙と忍耐を強いる社会が形成された過程が概説されている。 本書の後半は、テロの発祥から始まる。皇帝の専制に対する反動は、デカブリストの乱などを経て、1860年代後半になると学生紛争の形をとって現れた。農奴解放(1861)等近代化政策の一方で、秘密警察による思想統制に見られるような専制政治の温存はやがて、「皇帝は労働者の手にかかって死ななければならない」という過激派を生むことになった。 1870年代、公平な社会の実現を目指すナロードニキによる民衆への教化運動は、農民の支持を得られず、理想主義的な運動に代わってテロリズムが登場。発明されたばかりのダイナマイトを使用して、列車や宮殿を爆破するなど何度も皇帝に対するテロ事件が起きた。結局7度目の攻撃でアレクサンドル2世は暗殺された。 本書には、ドストエフスキーに関するエピソードも多い。 「純真無垢な若者たち」が、皇帝暗殺の計画にとらわれてテロを生み出し、時には地下組織の中で互いを監視しあうという、陰惨な社会のはじまりを見聞していたドストエフスキーは、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』を著した。ドストエフスキーの隣室では、テログループ「人民の意志」のメンバーが住み、皇帝の馬車を爆破するべく建物の地下を掘っていた。ドストエフスキーはその物音を聞いていただろう、とラジンスキーは推測している。 アレクサンドル二世が暗殺されても、専制体制の維持に変わりはなく、憲法制定への道は閉ざされたままだった。ラジンスキーは、「歴史の根本的な教訓は、人々は歴史から何の教訓も学ばないことだ」という警句を引き合いに、のちに悲劇的な最期を迎えるロマノフ王朝は、歴史の曲がり角で何度も間違った道を歩んだ、と記している。 私には本書がはじめて読むラジンスキー作品だった。この作者の「歴史ドキュメンタリー小説」は、史実と周辺のエピソードを組み合わせ、時に謎解き・推理も行うという、歴史書とは若干異なるスタイルである。様々な話題が交錯する上、上下2巻でボリュームもかなりあるため、流れがわかりにくい。近代ロシア史をざっとおさらいしてから読むといいかもしれない。 サンクト・ペテルブルグの「血の上の教会」。アレクサンドル2世を弔うため建設された。左下のグリボエードフ運河(エカテリーナ運河)にかかる橋付近が皇帝暗殺の現場。
by itsumohappy
| 2008-04-20 22:35
| 文学・本
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