ロシアが気になる

amihappy.exblog.jp
ブログトップ
2008年 03月 22日

ネフスキーの生涯

『天の蛇-ニコライ・ネフスキーの生涯』(加藤九祚著)よりロシアの東洋学者ニコライ・ネフスキー(1892-1937)について。ネフスキーは、教授活動が中心だったエリセーエフとは異なり、日本民俗学、言語学に関する膨大な研究成果を残した。

************

ネフスキーは、ペテルブルク大学東洋語学部で中国語、日本語を学び、卒業した翌1915年、同大派遣の官費留学生として来日した。ロシア革命の勃発により本国からの送金は途絶えたが、日本に留まり、小樽高等商業学校、大阪外国語学校でロシア語を教えながら、14年にわたって地方の伝承や方言の研究を続けた。柳田国男、折口信夫、金田一京助ら多くの日本人研究者と交流し、時に共同研究も行った。

東北や北関東、沖縄等を調査旅行し、北京、台湾にも足を伸ばした。研究内容は、アイヌ語、宮古島の方言、台湾の曹族の言語、西夏(タングート)文字等々幅広い。この他、『遠野物語』の話者、佐々木喜善を訪ね、「オシラ様」に関する研究を共に行ったというから特異である。また、宮古方言を流暢に話して地元の人々を驚かせ、古い歌謡を聞いたその場で完ぺきに再現して歌い、記録したという。

d0007923_1154882.jpg

西夏の文字。1908年、ロシアのコズロフ探検隊が、中央アジア・カラホト(黒水城)遺跡を発見し、出土品の西夏文書をロシアに持ち帰った
東洋文庫より)




1922年、ネフスキーは、積丹出身の萬谷イソと結婚し、一女をもうけた。29年、ソ連入国許可がすぐに下りなかった妻子を残して単身帰国。レニングラード大学(ペテルブルク大学)で日本語を教えるかたわら東洋学研究所で西夏語を研究し、33年、妻子を呼び寄せた。


ネフスキー一家。1929年頃(『天の蛇』より)
d0007923_11229100.jpg

しかしながら大粛清期の1937年、密告によりネフスキー夫妻は逮捕され、45年、共に収容所で病死したとされた。スターリンの死後、57年にネフスキーは名誉回復されたが、無実の夫妻が、「国家反逆罪」(スパイ行為)で37年に銃殺されたのが判明したのは91年になってからである。  

遺児エレーナさんは、ネフスキーの親友の日本学者ニコライ・コンラッドに引き取られた。1989年に56年ぶりに来日し、母方の親類との交流を果たした(なお、ネフスキーには他の日本人女性との間にも一女があったが十代で早世した)。

ネフスキーの資料は、ロシア科学アカデミー東洋学研究所に所蔵されているそうだ。日本では天理大学に研究ノート等がある。


サンクトペテルブルク大日本語学科の教室にはネフスキーの肖像写真が掲げられているd0007923_1143797.jpg


(1999年8月29日琉球新報、2001年10月2日北海道新聞、2005年10月1日朝日新聞他より)
[PR]

by itsumohappy | 2008-03-22 01:36 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://amihappy.exblog.jp/tb/7537158
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 最近の話題から      エリセーエフの生涯 >>