アレクサンドル・ソルジェニーツィン(1918~)の長編。原題“Архипелаг ГУЛАГ”(アルヒペラーグ・グラーグ)。同氏の体験及び氏に寄せられた227人の収容所体験者の回想、手紙をもとに構成したもので、トルストイの『戦争と平和』を上回るボリュームである。内容のあまりの重さにずっと読み続けるのは苦しく、また気もへんになってくるので、休み休み読んでいたら1年位かかってしまった。人民がどのように逮捕され、ソ連全土に散らばる収容所に送られて強制労働についたか、何百とも思えるエピソードを重ね、歴史的な考察を交えながら「理想国家」の悲惨な実態を暴いている。といっても、比較的刑が軽いほうだったソ氏(8年;10年や20年の刑期が当たり前だった)も触れているように、この著作で収容所の全貌が語られているわけではない。酷寒の地で最も過酷な労働に従事して死んだ人々の証言は得られていないからである。 収容所の歴史は、スターリン時代から始まったのではなく、巡洋艦オーロラの砲声から始まった―即ち、ロシア革命が収容所群島を生み出した、とソ氏は語り、ロシアを「あらゆる可能性をしめ殺した国」と総括している。 1巻目冒頭、「なんのためかわからない逮捕」の話から始まる。ソ氏の場合は、友人との文通の中で、スターリンを「ヒゲ」と呼んだから(直接名前に言及していないのにも関わらず)、のようだ。逮捕にはノルマが課されていたため、容疑などなくとも密告その他の手段で捕らえられた人々が多かったという。 以下は、ソ氏の紹介しているエピソードのひとつ。 ―モスクワ地区の党代表者会議の終わりにスターリン宛のメッセージが採択され、嵐のような大喝采が起きた。5分経っても10分経っても拍手は止まらない。疲れて最初に拍手を止めた工場長はその晩逮捕された―教訓:「決して最初に拍手を止めてはいけない」 強制労働による犠牲者数はよくわからない。数百万~2000万の数字が見受けられる。収容所の過酷な生活描写は、読んでいてかなりつらい。強制労働が実質、国の経済活動の重要な一部をになっていた社会体制が約70年もよく続いたものである。 『収容所群島』は秘かに書き進められ、完成稿は自宅以外の場所に保管された。タイプを手伝った女性は、KGBの取調べを受け、地中に埋めていた草稿のことを自白した後自殺した。 ソ氏の表現にはくせがあり、難解なところも多い。もう少しまとめられる箇所もあるように感じたが、それに関して、作家は、書く自由を失うことを予想して出版を急ぎ、一度も『収容所群島』の原稿をそろった形で確認できなかったからと弁明している。 『収容所群島』は長大すぎるので、強制収容所の話としてはまず『イワン・デニーソヴィチの一日』が読みやすく適当だと思う。 ************************ 【ソルジェニーツィン】 1945: 砲兵中隊長時代、私信が検閲にひっかかり逮捕される。8年間を収容所で過ごしたのちカザフスタンに流刑となる。数学教師をしながら小説を書く 【1953: スターリン死去】 1962: フルシチョフの許可の下、収容所生活を描いた小説『イワン・デニーソヴィチの一日』 を発表し、脚光を浴びる。その後数点の小説を発表するが、『煉獄のなかで』等の原稿を当局に没収される 【1964: フルシチョフ失脚】 1967: ソ連作家同盟大会関係者250人に検閲廃止の訴える公開状を発送 1969: ソ連作家同盟支部から除名される。ノーベル文学賞に決定したが、当局による再入国ビザの発給拒否をおそれ、翌年の授賞式は欠席 1973: 『収容所群島』がパリで刊行され大反響を呼ぶ。ソ連国内で「裏切り者」「悪質な反ソ主義者」と批判され、翌年、国家反逆罪容疑で逮捕、西ドイツへ追放される。後、アメ リカへ移住、無国籍のまま暮らす 【1985: ゴルバチョフ、書記長に就任】 1989: 『収容所群島』ソ連国内で解禁。ソ氏は翌年市民権を回復。犯罪容疑も撤回される 【1991: ソ連邦解体】 1994: 永住帰国 ************************ ロシア文学の翻訳者、故木村浩氏は、ソ氏から直接翻訳を依頼された当時「研究生命が危うくなるかもしれないが、紹介しなければならぬ作品」と考えて訳し、その後約8年ソ連から入国を拒否された。それでも氏がロシアと決別しなかったのは、「優れたインテリの存在を知っていたから」だそうだ。 (1989年4月12日読売、7月4日毎日、90年5月1日読売、91年9月19日日経、12月27日朝日、92年10月30日読売新聞他より) しっかし、ロシアの小説ってのはどうしてあんなに長いんだろうね? 昔、西岡って学者が言ってたと思うんですけど、和辻とおんなじことを言ってました。風土なんだそうです。便利な言葉ですね。司馬遼の空気みたいなものですね。 風土。おおいに関係あるでしょうね。特に気候ではないかと 思います、あと国土の広さ。かなり読んでも状況があまり 進行していないという小説は多いですね。 おめでとうございます。 今年もブログ楽しみにしています。 複雑な国ですね。 モンゴルというか、タタールのクビキが強烈なコンプレックスなんだと思います。過去の被支配の記憶を払拭したい気持ちが周辺への圧制になる?ような。 やはりスラブはチョット劣るのかな? 袴@卒業式さま
おめでとうございます。ご覧頂きありがとうございます。 「ちょっと劣る意識」が何となくあるんでしょうか、それが 欧米に対抗して「強いロシア」をやたらアピールする 形として現れているのか。 ずっと昔の歴史をひもとくのも面白そうですね。 またさぼっていてすみません。。書かねば~ 袴はつけたことないです。もう機会がないのですねぇ
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