2007年 06月 06日

国後島・択捉島上陸記 -5. あとがき

2006年8月16日に根室の漁船がロシア国境警備隊に銃撃され、乗組員1名が死亡した事件を受けて、当時の根室市長は、ビザなし交流や人道支援の一時中止を政府に申し入れた(2006年8月17日毎日新聞)。 市長は、領土返還のためにビザなし訪問事業を続けても、領土交渉に進展はない上、こんな事件まで起きたことにいらだったのかもしれない。
結局、政府の方針でビザなし事業等は予定通り行われることになり、銃撃事件直後の18日、択捉へ向けビザなし訪問の船が出立した。

1992年にゴルバチョフ大統領の提案で始まったビザなし交流も今年16年目ということで、相互理解、友好、親善といった目的はそこそこ達成されているのでは?と思う。

交流事業なので、色丹・国後・択捉在住ロシア人もやってくる。ただし来日するのは富裕層で、繰り返し訪問できる人々と参加できない一般層とのあつれきがあるという。(06年8月19日北海道新聞) また、この事業で来日したロシア人が、家電、自転車、芝刈り機、リビング用品など買い物する姿にビザなしが「買い物ツアー」「観光」と化しているという批判もあるそうだ。

ロシア政府に四島を返す気はない。
プーチン大統領は、かつて日ソ共同宣言(1956年)に基づく解決を考慮したと伝えられたが、今は、「四島の帰属性がロシア側にある点に議論の余地はない」(07年6月)と発言している。今年4月にはイワノフ第一副首相が択捉を、6月にはラブロフ外相が国後、色丹、歯舞(水晶島)を訪問し、これらの島々が「ロシアの領土」であることをアピールした。

これまでの政府交渉のほか、自治体、民間団体、個人がいろいろな形で、もうやりつくした位に返還運動をしていても、事態が変わらないというのは何だか空しい。領土問題は何十年かかっても原則を粘り強く訴え続けるべきと言われればそうなのだろうが。 

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  北方領土絵葉書より「ハマベンケイソウ」と「材木岩」(国後島)


今年度のビザなし交流事業に関して、地元紙に以下のような記事があった。
ビザなし交流では、受け入れ側が滞在費を負担する「相互負担」が原則だが、実際には島の財政難に配慮し、日本側が車の移動経費、食事代など一回60-100万円分を負担。四島側は4月の日ロ代表者間協議で、物価高でロシア側の実質的な負担が増えたため、日本側の負担増を求めた。(中略)交流事業費などを交付する内閣府も、日本側の負担増に伴う予算要求を検討する方針だ。 (2007年5月19日北海道新聞) 

なんだか、事業を継続させたい日本の足許見られているような感じである。島返す気もないのに・・・。 あと半世紀後、事態はどうなっているだろう。今と同じ状態だろうか。それともある日突然解決したりするのか。

島で移動中、同じ車になった元島民の方に「返還されたら島に帰りたいですか?」と尋ねかけてやめた。今の島の状態、そして「返還」というゴールが全然見えない状況では、非現実的で空しい質問のような気がしたからだ。元島民1世は平均年齢74歳位。こう言ってはなんだが、もうそんなに残された時間はない。
好景気を背景に四島での生活レベルは向上したといっても、快適すぎる日本の生活になれてしまうと、たとえすぐ島が返還されたところで、住むには相当インフラ整備しないと無理だ。

訪問を終えてやや落ち着いてからは、ロシア人住民にもっとあれこれ聞けばよかった、と思った。島にいるときは、とりあえずのコミュニケーションに必死で、心情を問う余裕がこちらになかった。
ロシア人住民は、集会だステイだと1年に何度となく来る日本人たちの相手をして、似たような話を聞かされ、うんざりすることもあるだろう。何度も四島訪問する日本人はあまりいないが、迎える側は変わらない。それでも我々団員に暖かく接してくれた。
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  北方領土絵葉書より「ルピナスと紗那川」(択捉島)

先日、ロシア人家庭へお礼の手紙や写真などを送る前に、料金など確認しようと思い郵便局で尋ねた。 「本などを択捉島に送りたいんですが」「は?」「北方領土です」「…」
帝都の郵便局員でも反応が鈍い。私としてははじめから「ロシア」というのは何だか悔しかったのだが、会話が成りたたず残念。現実的な妥協をし、おばあちゃんの筆記体をコピーした封筒d0007923_0503624.jpg宛名の中にあるРоссия Сахалинская обл.(ロシア・サハリン州)じゃあまりに不親切なので英語で「Russia」、ロシア本土に空輸されないよう「サハリン州」と漢字で書き加え、ちょっと考えて「択捉島」と続けた。漢字で島名を書くと返送されるという噂がある(うそだと思うけど)。カチカさまのおかげで何とか送ることができたんだし、あとは無事、届くといいなぁ。

・・・以上、とりとめもなくいろいろ書きましたが、一言で言えば、何かにつけて複雑な気分になった、というのが北方領土訪問の感想です。ここまでお目通し頂きありがとうございました。

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【参考】

d0007923_2202529.jpg北海道のサイトによると、終戦時、北方領土には、17,291人が住んでいたが、強制退去させられた後はその約8割が北海道に居住した。元島民の生存者は、8,251 人(平成17年3月末現在)で、半数以上亡くなっている。

最も島からの引揚者が多かった根室は、北方領土返還運動の原点の地。1945年12月、当時の根室町長が、マッカーサー元帥に宛てた領土返還の陳情書が、四島返還に関する陳情の第1号である。
根室市内では、「四島(しま)の家」という名の民宿も見かけた。

06年2月、根室をはじめとする北方領土に隣接する町などが、領土問題が未解決であるため地域が疲弊しているとして、「未来に希望の持てる取り組み」の提言を国などに対して行った。

その中には、「自由貿易ゾーン(経済特区)の形成」「四島在住ロシア人労働力の活用検討」他たくさんの要望項目がある。
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by itsumohappy | 2007-06-06 00:28 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(6)
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Commented by cccpcamera at 2007-06-06 21:43 x
 北方領土が帰ってきたら住みたいのか、本当はどうなのでしょう。若い人では、北方領土に住む気がない人が多いそうです。当たり前ですよね。今の仕事を捨ててまでして、住みたい人は少ないでしょう。一世だって、息子達と暮らしている人は、息子達と離れて、年寄りだけで住みたい人は少ないでしょう。
 戦後60年が経過しました。60年は、長すぎます。日本人が北方四島に本格的に進出したのは、明治のいつ頃のことなのでしょう。仮に、明治20年ごろとするならば、敗戦までの期間は58年です。政府は南千島を日本の固有の領土と言うけれど、アイヌの固有の領土であるように思えてなりません。
 ところで、北方墓参では、元住民の年寄りが墓掃除をして、同行の若い人たちは、まわりで腕組みをしている光景を目にすることがあったと聞きます。最近はそんなことないでしょうか。
 それから、郵政省、日本郵政公社では、北方諸島といいます。日本の領土は、原則として内国料金が適用されるので、「北方領土」はまずいのかもしれません。
Commented by itsumohappy at 2007-06-07 22:36
cccpcameraさま 北方諸島ですか!はじめて聞きました。それで通じなかったんですね。日本の領土なのにそんな言葉の言い換えなどして・・・。
あそこに住むのはちょっと厳しいでしょうね。インフラもですが、とにかく生活を楽しむもの(娯楽施設など)がなさそうですし。多分、まずは自由に行き来ができれば・・とか思われているんじゃないかなぁと。
アイヌ(以外にも民族がいたような)を搾取して、江戸時代かなぁ国後あたりで反乱が起きてますよね。固有の領土論てわかるようなわからないような論ですね。。「固有」が仮に理解されても今の状態は戦争の結果なんだって言われちゃいますしね。

今回は若い人は少なめでした。季節的に草がそれほど高くなってなかったので、みなで粛々とお参りだけをしました。私はお墓を前にしてなんだか茫然としました。なんともいいようのない寂寥感というのか。
そうそう紗那の家屋はやはり cccpcamera さまのおっしゃるように郵便局の建物ですね。そばの建物にいたのだから説明あってもよかったように思います。
Commented by begemot at 2007-06-10 23:19 x
こんばんは。コメントがすっかり遅くなってしまいました。
今までもビザなし交流の新聞記事や専門家のレポートを読んだことがありますが、itsumohappyさんの今回のレポートは、一般の方の目線で、しかも旅行記として楽しめる出色の出来だったと思います。写真がきれいでとても楽しみました。お疲れ様でした。

プーチン政権は、仮に島を返すとしてもそれは善意によるものだという勝手な理屈をこねていますが、それをいうなら、北千島を要求しないのは日本の善意ですよ、と言ってやりたくなります(売り言葉に買い言葉で、そういう持論をもっているわけではないので、あしからず)。
これを機会に北方領土問題のことをまたじっくり考えてみたいと思います。
Commented by itsumohappy at 2007-06-12 00:58
begemotさま こんばんは!どうもありがとうございます。
\(^^)出色(^^)/ おそれいります。写真をもっと撮ってくればよかった。。行っているときはいること自体に興奮?していたような気がします。
この問題は、ロシア人が絶滅する30世紀?に自然解決するとか言われてますけど、あと10年、20年先はどうなっているんでしょうねぇ
やはり政治家同士が決める問題であって、一般国民のできることは「忘れない」ように努めることかなぁなんて思ったりしてます。
Commented by azu-sh at 2007-06-15 19:15
北方領土ではロシアな日常が過ぎているんですね。島内の住所はロシア語ですか。日本語で書いて届くのかな。もともとの島民たちの高齢化、今となっては時間との競争ですね。この問題どう発展していくんでしょう。
Commented by itsumohappy at 2007-06-17 00:45
あづさま ほんとに「ロシア」なんですよ。北海道からすぐ目の前に見える島です。すごい違和感です。あの体格の良いロシア人がいるんですよ、例の帽子かぶって。 手紙は、日本語では届かないですねぇ 英語でも難しかも。領土問題は、しばらくこのままなのかもしれませんね。何としても解決しなければというせっぱつまった状況がない限り、進展しないのでしょう。。たぶん。


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