2007年 06月 03日

国後島・択捉島上陸記 -4. 日本で5番目に大きい島、択捉

択捉島は大きい。国後(沖縄より若干大きい)の倍以上。
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青字が訪ねたところ。単冠(ひとかっぷ)湾は、1941年11月、南雲中将率いる連合艦隊が、真珠湾に向けて出航した場所。

終戦時の人口は約3,600人。今はロシア人が約7,000人住んでいる。ウルップ、シムシルとともにサハリン州クリル地区に(いちおう)属す(住民がいるのは択捉だけ)。   
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どんよりした空の下、またはしけを使って上陸。はしけは、普段は人間を運ぶものではないらしく、港でやりくりつかない時は待機となる。 
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上陸後、紗那(クリリスク)のクリル地区行政府で行政府長を表敬訪問。紗那には約2,700人のロシア人が住む。
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紗那の民家。あとで、上は戦前の日本の建物、「紗那郵便局」とわかった。
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島を支える水産加工会社「ギドロストロイ」 (ピンクの屋根)

当局からこの島の産業の9割が漁業、択捉はサハリン州で出生率が一番、等々の説明を受ける。その後、行政府2階にある博物館を見学。

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考古学の資料等約6,000点を所蔵。アイヌのコーナーもあり。択捉は希少な鉱物資源が多いとのこと。

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d0007923_1742112.jpgクリル小中学校で昼食。私は訪問中、たいがいのものはおいしく食べられたが、この時出された炊いたソバの実のピラフ?(ロシアではよくある料理らしい)だけはちょっと頂けず、かなり残してしまった。スープはどこで食べてもおいしい。

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クリル小中学校の教室で対話集会が行われた。国後同様、ここでも最重要の行事。テーマは、「共住」と「島の将来」。「共住」は日本側が提案したテーマで、そのまま受け入れられた。

ロシア人住民から、まず、「共住」にどれだけ現実味があるのか、政府も我々も択捉が日本に返還されることは考えていない。中国、韓国の会社が島に進出してきていることだし、日本と経済面で協力・発展していくことが有効なのでは?という声があがった。
島に60年住むと言う年金受給者からは、自分たちの政府すら信用できないのにどうして他国民を信頼できよう?という何だかロシア人らしい?意見が出た。また、この学校の生徒の一人は、いきなり共住云々言われても心理的にまだ準備できていない、と発言。

そうなのだ、単に「共住」と言っても、ここがどちらの領土に属するかをクリアしないまま話していても雲をつかむような感じで戸惑う。お互いにだ。それでもロシア人は、少なくとも日本人よりは他民族同士暮らすことに慣れているし、日本人と一緒に住むこと自体は苦しゅうないって人はいるだろう。
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クリル小中学校の前

「経済交流は帰属の確認をはっきりさせてから」と日本側が主張しても、ロシア人住民は、領土問題はわかるけど、とりあえずここはロシアだからこうして住んでいるし、そもそも我々にいろいろ言われてもねぇ…って思ってそうだ(あくまで想像)。日本側も、「友好親善」という交流事業の大事な目的をあまりぶちこわしたくないから、不法占拠だ!島返せ!と糾弾調になるのはやはり避けたい。かと言って管轄権を棚上げし、問題なさそうな形作ってもらって、一緒に商売できるといいねーとも言えないし(少なくとも集会の場では)。
ビザなし交流の事業で「対話集会」は重要行事であるが、話し合いに手ごたえはなく、何だか難しいものだと感じた。

日本の支援による発電装置
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日本政府が、北方領土返還後の具体的プランをどう練り上げているかは知らない。(まぁ当然やっているんでしょう。) 政府は、「北方領土に対するロシアの管轄権を前提とした行為を行うこと等は、北方四島に対するロシアの領有権を認めることにつながり得るもの」と言う理由(外務省サイト参照)で、日本や第三国の経済活動、観光等は容認できないとしている。しかし、現実には中韓の製品が売られているし、カナダとか非ロシア国人が観光にやって来ている。
 
択捉の関係者によれば、人口は増えているが予算は厳しく、年金は予算削減の対象にされやすい、大陸に帰りたがっている年金生活者も多いとのこと。そして今後整備が待たれる問題は?と問われると、水道、道路、港湾、電力…というようにいくらでも出てくる。
島の人々が日本の投資を切望するのはよくわかる。日用雑貨にしてもサハリンより根室から運ぶほうが安くあがるだろうし。
 
丘に立つ聖アンドレイの像。
海の守り神らしい。 

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集会後、ホームステイ(ビジット)宅のお迎えを待つ。受入家庭の数の関係で、ビジット組は夕食後、ロサ号で宿泊となった。

私は、同行者とЗамощникさん宅で宿泊。Надеждаおばあちゃんが迎えに来てくれた。 ご主人Владимирさんの運転で、まず海岸沿い付近をドライブ。と言っても雲がたちこめ霧雨が降り、周りの景色はけぶってよくわからない。車は、ミニ湖と化した水溜りを右に左によけつつお宅に向かった。途中に日本軍の戦車?の残骸があった。ダーチャも案内したいが、雨なので行かれない、とおばあちゃん。

Замощник家のお孫さんЛизаとПаша
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夫妻はウクライナからの移民。ご主人はオデッサの何とかインスティテュートで学び、エンジニアとして1973年に択捉にやってきた。昔は、北方地域への移住を促すために、ソ連政府による高い賃金・年金などの優遇措置があったのだ(道のパンフレットより)。

ウクライナだけの大きな地図が壁に張られ、棚にはプーシキン全集が並ぶダイニングで夕食。ワイン、ビール、ウオッカとすすめられたが、飲めない私は自家製というはまなすジュースを頂いた。
Надеждаさんが、山盛りのお料理の皿をいくつもどどーんと目の前に置いて下さった。
Владимирさんは、ビーツを餌にした豚で作ったウクライナのサーラは最高なんだ!と語り、ウオッカをがんがんあおった(国後でも見た光景だ…。)。
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Надеждаさんは、日本人ビジターを受け入れるのは数年ぶりなので今回不安だったが、いい人が来て(と、言っているんだろうと勝手に解釈)よかったと喜んで、カンパイ!カンパイ!と歓待して下さった。大昔に、サハリンからやって来た日本人を長く泊めていたそうだ(…政府による渡航自粛が出る前は、北方領土に遊びに?来ていた日本人もそれなりにいたらしい)。

巡回してきた通訳さん+ロシア語辞典+知っているわずかなロシア語単語+互いの英単語+身振り手振りなどを総動員して「会話」し、互いに疲れるとカンパイ!を繰り返した宴でありました。近所に住むお孫さんのЛизаが、「なんかハイになっている人たちだなぁ」という感じのうふふ顔で私たちに付き合ってくれた。Лизаはおばあちゃんに似て人懐こく、何だかんだ話かけてくる。お互いわからない会話をし、紙ナプキンで鶴やユリを折ってやった。
室内はボイラーをごんごんたいてくれてぽかぽか。Надеждаさんに服を全部脱がされ、ムームー(ロシアンサイズだ)に着替えさせられた。

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サンルームみたいなところで野菜や花を育てていた。たまたまグラジオラスの芽が出たところであり、おみやげのグラジオラスや野菜種に喜んでくれた。

近所に住む親戚、友人たちが入れ替わり立ち代りやってきてテーブルを囲んだ。家族のアルバムをいろいろ拝見。比較的裕福な一家なのだろう、トルコなど海外旅行の写真も多かった。出身地ウクライナの風景もなかなか美しい。「戦艦ポチョムキン」を観たと言ったら、オデッサの階段他観光名所をいろいろ説明して下さった。
我々が童顔に見えたようで、Надеждаさんはchildren!を繰り返し、なでたりキスしたり抱きしめたりが続いた。

そんなこんなでくたびれてきて寝ることに。ダイニングの椅子が簡易ベッドに変身した。お風呂を使おうとしたらさっきは出た水が出ない(水道管の途中で水を抜き取ったりする人がいるとそうなるらしい。)。まぁいいや。地上で寝るのは揺れなくて最高だ。と半分ぼーっとした頭で横になったが、普段やりつけないことを経験して体が覚醒したのか、いつもならどこでもそして誰よりも早く眠れる私がなかなか寝付けなかった。

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翌朝の気温は0度。やはり雨模様。まず紗那の日本人墓地にお参りした。
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商店はこの道路両脇に点在。中は明るくきれい。
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この日は日曜だったので、ギドロストロイの工場のかわりに同社の体育館(上)を見学。ジムなどもあり、地元民は無料で使える。
その後、別飛(レイドボ)に移動。天候は回復せず、また悪路のためかなり時間がかかってしまった。四駆でないと酔ってしまいそうだった。

別飛の風景
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別飛で歓迎コンサートがあった。
ここの人口は約1,000人。ウクライナ、ベラルーシ、ウズベキスタン、タジキスタン、モルドヴィア(もうどの辺りなのかよくわからない)からやってきた人たちが多いと説明された。
別飛にもギドロストロイの工場があるそうだ。悪天候のため埠頭見学は中止になった。

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紗那に戻ってステイ宅で昼食。択捉出立まであまり時間の余裕がなく、てんてこまいのНадеждаさん。ボルシチを頂いた。ロシアのスープ料理はおいしい。きゅうりの漬物(左上)は日本のものと同じような浅漬けでおいしかった。ロシア人は酸味のあるものが好きなようだ。
出かけにおみやげとカッテージチーズを巻いたブリヌイをたくさん持たせてくれた。
天気も悪くあまり見学もできなかった択捉だったが、このホームステイは強烈な印象を残した。

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見送られてロサ号に戻る。これからはひたすら南下、次下りるときは根室だと思うと何だか気も緩む。
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行けども行けども見える択捉の姿。大きな島なのだと実感。
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阿登佐(あとさ)岳。美しい形だ。

帰りの航行は順調で、寝入ってしまったせいか、また国後水道を通過する時がわからなかった。残念。

翌朝、古釜布沖で、また係員がはしけに乗ってきて、出域手続きを行った。昼過ぎに根室に上陸。直前に植物検疫などを受けた。やはり我々は「外国」に行ってきたのだ。
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すっきり晴れた空と羅臼山

根室に上陸して、舗装道路っていいなぁとしみじみ思った。根室の町がひどく明るく見えた。

都内に戻ってからは20度くらいの差がある気温に参ってしまった。それと通勤電車。現実が飛びすぎて心身がついていかない。たった数日の北方領土訪問にもかかわらず。駅下りて「朝日名人会」の看板を目にしたら何だかほっとして、ああ、帰ってきたんだ・・・と実感できた。
船がやはりこたえたようで、数日は目を使うと揺れるようなぼんやりした感覚が続いた。

(5月12―13日)
(長くなってしまったので、続く・・・)
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by itsumohappy | 2007-06-03 22:39 | 歴史・領土問題 | Trackback(1) | Comments(4)
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Tracked from 地球大に考える at 2009-05-18 02:13
タイトル : 等身大の「北方領土」2~エトロフ編~
ハードボイルド作家・志水辰夫のデビュー作『飢えて狼』(1981年)は、択捉島が舞台である。 択捉島西部に萌消湾という直径数キロの噴火湾がある。周囲は高さ500mの赤茶けた火山岩の絶壁で、主人公はそこをロッククライミングで登って、原生林の茂る択捉島に侵入する。 択捉島は国後島の2倍以上あり、西部と東部はロシア人でも入ることのできない自然保護地域に指定されている。 それゆえ人跡未踏の地も多いが、国後島と異なり、択捉島は水産加工業が活況を呈し、人口が増加している(約1万人)。 ここで択捉...... more
Commented by cccpcamera at 2007-06-04 08:21 x
お世話になっております。cccpcameraです。
 クナシリでは、「われは海の子」を歌ってくれましたか。この歌の7番の歌詞は「軍艦に乗組みて我は護らん海の国」です。かつて、日本は軍国主義だったことを、暗示しているような気がして、この歌、あまり好きではありません。
 まさか、かつて日本が枢軸国であったことを指摘する目的で歌ったわけでもなく、そのように感じた人もいないでしょうけれど。
 お送りいただいた、北方領土問題のロシア側パンフレットには、単冠湾から真珠湾攻撃が始まったこと、朝鮮人強制連行労働奴隷によって、軍事基地が建設されたことが、記されています。日本が歴史問題で韓国と決着がついていないことで、足元を見ているような感じがします。

 紗那の民家との、水色の建物は、郵便局はもうやっていなかったでしょうか。これ、戦前の紗那郵便局舎ですよね。
Commented by itsumohappy at 2007-06-04 23:57
cccpcameraさま 7番まであるなんて~!私は1番だけしかまともに歌えません。。選曲には日本人が多少関わっていると思いますが、7番まで考えてない!ですよね、きっと。  北方領土や樺太その他で強制労働させられた朝鮮の方々やもっと昔の先住民族のことなどは、そのうち忘れられてしまうんでしょうか。。
やはり郵便局だったのかなぁ たしか行政府の近所にあったんですけど、案内はされなかったんですよね。写真で見たことあるような建物だなぁと思って撮ったんです。今でも使われているようには見えました。
Commented by azu-sh at 2007-06-06 21:04
すごいとこに行ってきたのですねーたいへん興味深いリポートでした。北方領土なんて名前しか知らなかったから…こんな暮らしが織り成されている場所なんですね。今日はさらーっと読み急いでしまったけれど今度またじっくり読ませいただきます!
Commented by itsumohappy at 2007-06-07 22:11
あづさま 普通にロシア人が住んでいてすごく不思議?な感じでした。家の内と外でギャップありすぎて。。長々と書いてしまいましたが、ほーこんなところか~と見ていただければ幸いです(^^)


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