ロシアが気になる

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2007年 01月 20日

大鵬とロシアとの絆

サハリンねたが続きますが、「巨人・大鵬・卵焼き」で有名な大鵬の前半生についてです。

●父はウクライナ人
元横綱大鵬(1940~)は、旧樺太の敷香(しすか:現ポロナイスク)生まれ。両親(父:ウクライナ人マルキャン・ボリシコさん;母:北海道出身の納谷キヨさん)は、敷香で牧場を経営していた。大鵬は、皇紀2600年に生まれたので「幸喜」、ロシア名「イワン」と名づけられた。

d0007923_2246747.jpg父ボリシコさんは、1885年頃ウクライナ・ハリコフ州生まれ。コサックだったらしい。帝政ロシア政府の極東移民募集に応じて、農民の両親と1900年代はじめにサハリンに入植した。1918年頃、北部の州都アレクサンドロフスク市のロシア移民の未亡人と結婚。一女をもうけ、商売を営んだ。
アレクサンドロフスクは、尼港事件(1920年:日本人居留民がパルチザンに虐殺された)の報復で日本軍に占領された。以来、同地への移民が日本全国から集まり、ボリシコさんは日本軍にも協力して特需景気にあずかった。

ロシア革命により日露国交はいったん断絶。国交を回復した日ソ基本条約(1925年)により日本軍がアレクサンドロフスクから撤退すると、革命政権を嫌ったボリシコさんは、単身、日本統治下の大泊(おおとまり)に移住後、納谷さんと出会った。

●樺太から決死の脱出
1944年、戦況の悪化により、樺太庁の命令で父ボリシコさんは、大泊近郊の外国人居留地に一人移され、一家は離れ離れになった。
45年8月8日、ソ連は対日宣戦布告し、南樺太への侵攻を始めたため、母・兄姉とともに日本に引揚げることに。当時5歳の大鵬は、大混雑した駅ホームで一人はぐれ、泣いていたところを動き出した汽車の上から兄が発見、ホームにいた警防団の人が放り投げてくれた。
艦砲射撃が鳴り響く中、無蓋列車で2昼夜ののち着いた大泊から、終戦直後の20日、引揚船「小笠原丸」に乗った。相前後して出港した他の引揚船2隻は、8月22日、留萌沖でソ連潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。大鵬一家は稚内で下船、小樽に向かったその船はやはり留萌沖で撃沈された。

●父はスターリニズムの犠牲に
その後、母は再婚し、義父の仕事の関係で一家は道内を転々としたが、大鵬10歳の頃、弟子屈町に落ち着いた。
1956年に相撲界入りし、61年、大関に昇進して同年21歳で横綱に。71年に引退するまで32回優勝し、高度成長期の60年代の英雄となった。
大鵬は父の命日を勝手に決め、位牌に手を合わせていたそうだ。生き別れた後のボリシコさんの生涯は、2001年にサハリン州の文書等で以下のように確認されるまで不明だった。

ボリシコさんは、1948年、コルサコフ(大泊)でソ連当局に逮捕された。拘留中の49年、「反ソ宣伝」容疑で再逮捕、自由剥奪10年の刑を受けた。外国とのつながりのあった人々が徹底的に弾圧されたスターリン時代、サハリンでも次々と無実の人々が捕らえられた。
スターリン死去の翌54年、ボリシコさんは恩赦を求めて認められ出獄し、ユジノサハリンスクのサハリン州立博物館の守衛となった。周囲の人には、妻子は死んだと語っていたそうだ。大鵬が活躍しはじめた頃の60年11月、肺炎で死去。孤独な最期だった。その後、ゴルバチョフ時代の89年になって公式に名誉回復された。

●異母姉はモスクワに在住
大鵬の異母姉ニーナさんは、2006年現在86歳、モスクワに住むという。
父ボリシコさんは、実子のニーナさんだけ連れてアレクサンドロフスクを立ったところ、5人いた異父姉のうちの1人が、馬で数キロ追いかけてニーナさんを連れ戻した。革命政権の弾圧を恐れたニーナさんの母は、ボリシコさんの写真を全て焼き捨てた。

ニーナさんが、異母弟「タイホウ」の存在とその活躍を知ったのは1964年になってから。東京にいた姉が、外国渡航が一部可能になった雪解け時代になってモスクワを来訪し、40年ぶりに再会した時話してくれた。

2001年にニーナさんを「発見」した翻訳家小山内道子氏が、05年にニーナさんに会った際、大鵬に会いたいか訊ねたところニーナさんは、「・・・出来たら会ってみたいけど・・・でも、どうやって?・・・うちの息子と大体同じ年だそうね・・・」と涙をにじませて答えたそうだ。

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大鵬は、今は相撲協会を引退し、国技館内にある相撲博物館の館長を務める。大鵬部屋を継いだ大嶽部屋には北オセチアからやってきた露鵬がいる。
最近は、毎年宗谷岬を訪れてかつての故郷に向かって海を眺め、運命の原点に思いをはせる。健康が許せばサハリン、ウクライナを訪れたいそうだ。

 弟子屈にある大鵬記念館 
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ゆかりの地、ウクライナ・ハリコフの村人は「大鵬さんは、私たちの英雄」「私たちの誇り」と語っている。1998年にはハリコフ相撲協会が結成され、男女の選手が活躍中とのことだ。

(2001年2月6~8日、10日北海道新聞、2月16日東京新聞、05年8月15日毎日新聞、06年9月20~21日北海道新聞 他より)

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【樺太】 
日露戦争の講和条約であるポーツマス条約(1905年)で、樺太の北緯50度以南が日本領となった。1907年、樺太庁が設置され、本格的な植民、開拓が始まった。終戦時の南樺太の人口は約40万人。敷香には王子製紙の大規模なパルプ・製紙工場があった。

【引揚船の撃沈事件】
3隻の乗船者のうち約1,700人が犠牲となった。当初国籍不明の潜水艦とされていたが、1992年、ロシア側の文書でソ連潜水艦と判明。しかし、日露政府は公式に確認していないため、遺族はロシア側の謝罪を求めて日本外務省に要請している。
潜水艦のうち一隻は攻撃後に行方不明となった。2005年、宗谷海峡でロシア太平洋艦隊等が捜索したが、発見されなかった。

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by itsumohappy | 2007-01-20 23:16 | その他 | Trackback | Comments(0)
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