2006年 12月 31日

元シベリア抑留者補償問題の幕引き

2006年12月15日、元シベリア抑留者に対する慰藉事業等を行う平和祈念事業特別基金を解散する内容の「独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案」(自由民主党及び公明党提出)が成立した。同基金は、常勤役員が天下りポストになっていることなど、以前から非効率性が指摘されており、国の進める独立行政法人改革の一環として廃止されることとなった。

今後、慰藉事業に関しては、基金の資本金400億円の半分が元抑留者への慰労品に充てられる。その慰労品とは、銀杯や本人に限り利用できる10万円相当の旅行券(或いは食事券など)の予定である。
今回の与党法案提出者は、この措置で戦後処理問題は最終決着である旨表明した。

一方、民主、共産、社民党も基金の解散法案に加え、資本金をもとに、元抑留者に対し抑留期間に応じて30万円から200万円の特別給付金を支給する法案を提出していたが否決された。
シベリア抑留者の強制労働に対する補償については、ソ連への請求権は56年の日ソ共同宣言で放棄され、日本政府への補償要求も最高裁(97年3月13日)で退けられている。

元抑留者の平均年齢は84歳。「零下30度の世界を若い政治家は知らない、むなしい」「つらかった、ひもじかった、だけで終わるのでは死んでも死にきれない」「80過ぎた年寄りにどこへ(旅行に)行けというのか」等々生存者たちは語った。

国は、もともと強制抑留者問題、恩給欠格者問題に関しては、「これ以上措置すべきものはない」(戦後処理問題懇談会が1984年に出した結論)という立場を示している。また、「補償」として現金や国債を交付することは、死亡者の遺族にもそれらを提供しないと財産権上憲法違反になるという。生存者に限り使えるものとして、長年の検討の結果が「旅行券」らしいのだが。もう少し何とかならないものだろうか。

(12月8日 東京新聞、14日 読売新聞、15日 朝日新聞より)
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d0007923_2258597.jpg1956年7月、経済白書には「もはや戦後ではない」と表記されたが、最後の引き揚げ船でシベリア抑留者が帰国したのは、日ソ共同宣言による戦争状態の終結・国交回復直後の同年12月である。
写真は、1956年12月26日の朝日新聞。
【左】 26日、舞鶴港に入港した引き揚げ船「興安丸」で帰国した抑留者たち。



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【上】氷伝いに興安丸を追って助け上げられた犬「クマ」の記事。収容所で飼われ可愛がられていた。規則で船に乗せられず、港に置き去りにされたところ海に飛び込んだ。

d0007923_230276.jpg【左】 イワノヴォ収容所で帰国前に病死した(とされる)近衛文隆氏(自決した近衛文麿元首相の長男)の遺品を受け取る正子夫人。
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by itsumohappy | 2006-12-31 20:55 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(4)
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Commented by azu-sh at 2007-01-02 15:30
コメントありがとうございました。今年もよろしくお願いします★
実家に帰って昔いただいたロシアのローシカ?(木製のスプーン)を見て思わず持ってきちゃいました。上海に帰ったら飾ろうと思っています。
どうぞ良い一年をお過ごしください。
Commented by itsumohappy at 2007-01-03 17:30
こちらこそよろしくお願いします♪ 上海といえば、、映画「上海の伯爵夫人」観そこないました。。「上海」という地名には歴史ロマンを感じます。
Commented by mountain-deer at 2007-01-06 02:49
「旅行券」ですか〜、、、ん〜現金が違反になるからとはいえ、ちょっと、そりゃないんじゃ…。まぁ、いろいろ理由はあるんでしょうが、、、。誠意を感じないですよね-_-;

p.s.ここだけの話し、「フレッシュ」とは、コーヒーに入れる『ミルク』のことです!…名古屋の喫茶店に行かれた際には使ってくださいね☆
Commented by itsumohappy at 2007-01-07 00:31
ドイツは国からのてあつい補償があると新聞にはありましたが。。戦地でも行き先でだいぶ運命が違いますね。知り合いは、大陸で食べ物には不自由せず太って帰ったと言ってました。
あーミルクなんですね。。名古屋は独特の文化が多そうですね


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