2006年 11月 12日

J・リード 『世界をゆるがした十日間』

d0007923_033369.jpgアメリカのジャーナリスト、ジョン・リード(1887-1920)の著した10月革命のルポルタージュ(1919年発表)。大作。 リードは、1917~18年ロシアに滞在し、臨時政府の崩壊と革命政権の誕生を取材した。

1917年10月、潜行中のレーニンはひそかに帰国し、ボリシェヴィキ党中央委員会で武装蜂起の方針を決定した。24日武装蜂起、翌日臨時政府は倒れてソヴィエト政権が樹立した(10月革命)。

この本からは著者の、世界初の社会主義革命にふれた興奮がよく伝わってくる。背景説明としては、当時の政党、委員会、組合等多種多様な団体(その数膨大で、読んでいても何が何だかよくわからない)を逐一紹介し、決起文や声明文など関連の資料もたくさんのせている。

しかし、この本の読みどころは、背景の解説よりも、占拠された冬宮、ペテロパブロフスク要塞、クレムリンや党本部の置かれたスモーリヌイなどに乗り込んで見た現場の様相だと思う。
リードは、自身でも「感情は中立ではなかった」(労働者の側に心情を置いている)と書いている。新しい世界の出現を前に冷静に現状分析している状況ではなかったのだろう。
当時30歳のリードは、裕福な家の出身でハーバードに学んだインテリであるが、だからこそ?社会主義に関心を寄せ、ロシアに来る前はメキシコの革命を取材していた。

帰国後、リードは、19年にアメリカ共産党を結成。モスクワを再訪し、共産党政権の経済政策の失敗による民衆の困窮を見て精神的打撃を受けた。
チフスに罹りモスクワで病死。32歳。唯一クレムリンの壁に眠るアメリカ人である。

********************
d0007923_0431617.jpgd0007923_0433218.jpg









【スモーリヌイ修道院(左)とそれに併設する寄宿学校】
修道院はエリザベータ女帝、寄宿学校は、エカテリーナ2世の勅命で共に18世紀に建てられた。修道院はロシアで最初の女学院。
臨時政府は全ロシア労働者兵卒ソヴィエト中央執行委員会にスモーリヌイの建物を貸していた。10月革命時、スモーリヌイは革命本部となり、レーニングラード・ソヴィエト中央委員会、中央執行委員会が置かれた。モスクワに首都が移るまでレーニンは革命前後をスモーリヌイの一室に住み執務していた。寄宿学校は現在ペテルブルク市庁舎。
d0007923_0435452.jpg

   スモーリヌイのホールで演説するレーニン

*******************

d0007923_23553269.jpg【映画 「レッズ」(1981年アメリカ)】
革命を取材したリードとパートナーのルイーズ・ブライアントのストーリー。3時間を超える長編。現在と過去を交錯させる展開となっており、リード自身のストーリーとリードを直接知る人々の回想が行ったりきたりする。以前見て途中でかなり寝てしまった記憶がある。ウォレン・ベイティがこのような映画を創ったことがすごく意外に感じた。
二人の関係の描写は全然覚えていないが、革命の部分は生き生きとしていて、インターのメロディーが美しく聞こえる。アカデミー賞監督賞ほか受賞。今年、制作25周年を記念してアメリカで再公開されたらしい。写真は25周年記念バージョンのDVD。今のところ日本では未発売。
[PR]

by itsumohappy | 2006-11-12 00:40 | 文学・本 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://amihappy.exblog.jp/tb/4169672
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by cccpcamera at 2006-11-14 19:09 x
はじめまして。
ジョン・リードの本とはなつかしい。この本は何十年か前に読みました。10月革命の興奮、すなわち、世界最初の労働者国家の誕生の興奮が伝わります。
でも、ソ連崩壊となった今、この本を読む意義がどれだけあるのだろうか、そんな気もします。今では、単なる1つの文学作品でしょうか。

私のページをリンクいただきありがとうございます。ご丁寧にMailをいただいていながら、こちらから、何の返信もしないでいて、申し訳ありません。どうせならば、コメントに書こうと思っていたのですが、ポリトコフスカヤの本は、まだ読んでいないし、収入の話は良く知らないし、と言うことで、今まで、何もコメントできないでいました。
今後ともよろしくお願いします。
Commented by itsumohappy at 2006-11-15 00:20
こんばんは!今となっては革命の意義って何だったのか不明ですが、歴史の流れで避けられない動きだったのでしょうね、きっと。なぜ恐怖政治になってしまったのか、また、それなのになぜ体制が結構続いたのか私よくわからないのですよ。
あんまり書かないブログなのですがよろしくお願いします。


<< ドン・コサック合唱団来日      収入の話 >>