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2006年 07月 11日

皇帝一家の最期

ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世は、1917年3月2日、臨時政府の樹立に伴い退位し、8月、皇帝一家はシベリアのトボリスク、次にオムスクに流された。10月革命後は、エカテリンブルクに送られたが、18年7月17日深夜、幽閉先のイパチェフ家の地下で4人の侍従とともにボルシェビキにより銃殺された。死体の行方は長く不明だったが、79年に郊外の沼地から発見された。91年になってその事実が公表され、ソ連崩壊後、ロシア政府は英米の科学者の協力も得て遺骨のDNA鑑定を行った。その結果、遺体は、皇帝、アレクサンドラ皇后、皇女3人(オリガ、タチアナ、マリア)、侍徒4人のものであるとされた。皇太子アレクセイと第四皇女アナスタシアは確認されなかった。

   待望の皇太子が誕生した1904年頃の皇帝一家
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DNA鑑定の結果に疑問を持つ研究者もおり、またロシア正教会も皇帝一家の遺骸と認めなかったが、一家は受難者として列聖され、歴代皇帝が眠るサンクトペテルブルクのペテロパヴロフスク聖堂に98年7月、埋葬された。

歴代皇帝が眠るペテロパヴロフスク聖堂(左)
d0007923_024303.jpg埋葬式に当時のエリツィン大統領は欠席を表明していたが、直前になって翻意。私人の立場で出席して皇帝の処刑という蛮行を反省し、国民の融和を求める式辞を述べ、新生ロシアをアピールした。正教会総主教アレクシー2世は式典に出席せず、セルギエフ・ポサードで「エカテリンブルクの遺骸」に祈りを捧げた。

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   98年7月、ペテロパヴロフスクに運ばれる皇帝夫妻とされる遺骸
   (AP通信Dmitri Lovetsky氏撮影)

一家が銃殺された民家は、皮肉にもエリツィン氏が旧ソ連共産党のスベルドロフスク州(現エカテリンブルク)第一書記だった時代に破壊されていたが、跡地に皇帝追悼のための教会が03年に建設された。

(2003年7月17日北海道新聞、2000年4月7日産経新聞、1998年7月18日日本経済新聞より)

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【アナスタシア伝説】

皇女アナスタシアは生き延びた―という説があり、映画にもなった。皇女を自称する人物もいたが、DNA鑑定により事実無根とされた。

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1956年のアメリカ映画「追想」(原題「アナスタシア」)
大女優H・ヘイズとI・バーグマンの火花散る演技は見ごたえあり。
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by itsumohappy | 2006-07-11 00:41 | 歴史・領土問題 | Trackback(1) | Comments(0)
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