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2006年 04月 16日

チェーホフ 『シベリアの旅』 『サハリン島』

チェーホフは1890年、30歳の時、流刑囚調査のためモスクワからサハリンまで大旅行をし、道中の記録や調査結果を1895年にかけて順次発表した。その著作『シベリアの旅』、『サハリン島』は今で言うルポルタージュのさきがけである。
当時既に小説、戯曲などで著名だったチェーホフが、誰かに調査を頼まれたわけでもないのにモスクワから9千キロの道のりをサハリンまで、途中喀血までして行ったのは、流刑囚の実態を知り、その非人道性を社会に訴えたいという動機があったからである。作家は部屋で座って本を書いていればそれで済むわけではない、行動して伝えるべき社会的使命があると考え、実際命がけで敢行したのだから偉大だ。
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『シベリアの旅』
チェーホフのシベリア横断への旅は1890年4月、河川の氷が溶ける時期に始まった。汽車、汽船を乗り継ぎ、それらが使えないところは馬車の旅である。シベリア鉄道はまだない時代である。ぬかるんだ泥道や川越えをしているうち馬車はがたがたになり崩壊してしまう。そんな悪路の様子や各所での地元民との出会い、どこまでもどこまでも続くシベリアの森などが生き生きと描写されている。短いルポだがユーモラスなところもあって面白い。

『サハリン島』
d0007923_11573147.jpgサハリン島は、日露間で結ばれた「樺太千島交換条約」(1875年)以前は、先住民をはじめロシア人、日本人混住の地だった。この条約でロシア領となってからは、最果ての流刑地として本土から陸路またはオデッサからスエズ運河を抜けてインド洋を回る海路で囚人が送られた。

1890年7月、チェーホフは当時最大級の監獄があったアレクサンドロフスクからサハリンに上陸し、島を南下しつつ約3ヶ月滞在した。事前に当局から調査のための公式の許可証は得られず、サハリンで実際に活動ができるかどうかもわからない状況だったが、監視を受けつつも資料収集は許可され、必要な援助が与えられた。

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チェーホフは、住所、名前、出生地、家庭状況などの項目のある住民調査カード作成し、徒刑囚と移民約1万人分を集めた。1891年初頭、サハリンには約1万6千人が住んでいたというからかなりカバーしていた。
『サハリン島』は、各所の村と囚人の状況を報告した大作である。データの分析部分は事務的で面白みには欠けるが、囚人の嫁さんの見つけ方などあいまのエピソードがなかなか印象的である。

アイヌ人など先住民族との出会いについても多くふれている。ギリヤーク人が、すぐ下に道路があるのにわざわざ山肌斜面の悪路をあくせくと行き、道路の使い方を知らない様子など。
宗谷海峡を望むコルサコフでは、ロシア語を話す日本人の領事館員と交流している。

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チェーホフは、サハリン調査の後、日本まで足をのばしたかったらしい。アジア地域のコレラ流行で断念したそうだ。1890年(明治23年)と言えば、日本では第1回帝国議会が開かれた年。立憲政治が開始され、外交では条約改正交渉が行われている頃である。もしチェーホフが日本に来ていたらどんな旅行記を書いただろう。

サハリンから帰りはウラジオストックより海路でオデッサに着き、1890年12月にモスクワに帰った。『サハリン島』は章ごとに発表され、独自性と社会的意義を持つ作品として賞賛された。
日本行きがかなわなかったチェーホフは晩年、ヤルタの別荘に桜やアヤメ、竹など植えた。最後の作品は『桜の園』。おそらく日露戦争の行方も注視していただろう。その戦争のさなかの1904年7月、結核で死去した。
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by itsumohappy | 2006-04-16 12:01 | 文学・本 | Trackback(1) | Comments(2)
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Tracked from じゃポルスカな日々 at 2006-04-19 20:27
タイトル : Respectable Movies
今日はドイツで製作された「9000マイルの約束」という映画を見ました。 9000マイルの約束(原題:SO WEIT DIE FUSSE TRAGEN) 内容は上記のウエブサイトにも書いてあるのですが、 極寒のシベリアから逃亡したドイツ人の脱走兵が、 3年もの月日をかけて祖国ドイツへ戻るという、 実際にあった出来事をベースに作られた作品だったのですが、 ものすごくよかったです。超お勧め。 マイナス50度にも達するシベリアの地で、 絶望的な収容生活にピリオドを打つべく脱走を...... more
Commented by japolska at 2006-04-19 20:28
一番上の地図を見て、少し前に見た映画を思い出しました。
トラックバックさせて頂いたので、どうぞよろしくお願い致します。
Commented by itsumohappy at 2006-04-20 23:36
こんな映画があったのですね。全然知りませんでした。。映画館で観たいなぁ 近頃は一度見逃すともうスクリーンで見る機会がなくなってしまうのが残念。抑留されてひどい目に遭ったドイツ人、イタリア人、日本人は何十万といてそれぞれに過酷なストーリーがあったことでしょうね。。。


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