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2月革命と臨時政府の成立

ロシア革命は世界史上の大・大・大事件であるから大筋を追うだけでも困難だ。人や党の名前が入り乱れてわけがわからない。しかし、ペテルブルクのエルミタージュ美術館などを見てきて、革命の歴史に対する関心が少しは大きくなったように思う。
では超簡単に、血の日曜日事件の続きを。

【第一次革命(血の日曜日事件)後】
1905年の革命後、皇帝の「十月詔書」に基づき国会(ドゥーマ)が翌年開かれ、憲法(国家基本法)も制定されたが、皇帝に最高権力が属するという規定であり、専制体制は実質維持されていた。農村改革を巡って政党は政府と対立し、また急進化した資本家や富農層と無産階級との対立が生じていた。

そのような状況下、14年、ドイツがロシアに宣戦布告、ロシア軍は同年のタンネンベルクの闘いで大敗し翌年ポーランド戦線から退却した。
第一次世界大戦により物資は欠乏、各地で労働者のストライキが相次いでいたが、国政面ではラスプーチンの介入による混乱で皇帝の権威は失墜していた。

【2月革命】
1917年3月10日(ロシア暦2月25日)、ペトログラード(14年、第一次世界大戦中にペテルブルクより改名)の労働者は、8日に始まった婦人労働者の「パンよこせ」デモに呼応してゼネストに入った。軍隊が発砲し死者も出たが、近衛連隊の一部が反乱し、労働者とともに政治犯を解放、その後国会に集結して12日、「ペトログラード労働者・兵士代表ソヴィエト」を創設した。

一方、同日、国会はロジャンコ議長を委員長とする「国会臨時委員会」を成立させ、国家権力を掌握、各省庁を接収し、皇帝の専制は倒された。(2月革命)

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大正6年3月17日の東京朝日新聞。ロンドンやベルリン電から得たロシア革命の日本での第1報である。「(ミハエル大公)摂政任命」「現皇帝多分退位」などの文句から、状況がまだ正確に伝わっていない様子がわかる。右端の「欧州大戦乱」は第一次世界大戦のこと。 連日のように戦況が報道されていた。


【2重権力状態】
国会臨時委員会は、ソヴィエトの承認のもとに3月15日、リヴォフ公を首相とする臨時政府を発足させた。中心になったのはブルジョワの立憲民主党(カデット)。ペトログラード・ソヴィエトからは副議長のケレンスキーが入閣した。

   エルミタージュ宮殿内 孔雀石の間
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     ニコライ1世の妻、アレクサンドラが造らせたもの。
    ウラル産の孔雀石(マラカイト)が 2.2トン使われた。ニコライ2世の退位後は、
    臨時政府の会合場となった。


ニコライ2世は退位したが、弟のミハイル公は帝位を拒否し、約300年続いたロマノフ朝は断絶した。臨時政府が戦争の続行を訴える一方で、ソヴィエトは「パンと平和」を求め双方が対立する状態となった。
これ以降、ソヴィエト政権設立に至るまでまだまだ革命のストーリーは続く。

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(上・下)3月18日の東京朝日新聞。革命が「諸工場労働者の同盟罷工(ストライキ)」に端を発し、その原因は「麺麭(パン)の欠乏」云々と概要がかなり詳しく出ている。莫斯科はモスクワのこと。
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目撃者の談や関係者のエピソードも当時の新聞に出ているので、いくつかを現代かなづかいにし読点を入れて引用する。
 
(在露大使付武官 小田切少将談 3月19日)
交通運転機関が敵国程には備わっていないから・・・物資の配当が平等にできない事情がある露国では総て物価が大騰貴して、日本で一足ニ三十銭の靴足袋がニ円五六十銭もする・・・食物店の前では毎日午前四時から夜明けの九時迄・・・パンの一片をあがなわんとして詰め掛けて居る。戦争の災害がここ迄及んで来るかと思うと同情の念に堪えない。しかも此食物配給減の結果、国民の体力を減殺してデブデブと肥満していた連中も次第々々痩せっこけてみすぼらしくなって居た。・・・北海の交通は、ドイツの潜航艇戦(Uボートのこと)に依りてイギリスとの間は交通全く途絶し・・・露都に足を留めて居る日本人もある。

(三井物産社員 上柳氏談 3月20日)
ペトログラードに滞在中の一箇月は、実に殺風景を極めたものです。・・・子ブスキー街(ネフスキー大通り)を歩いて第一に驚かれたのは、如何なる大商店でも並べた品物はしばしば店晒し物ばかりで、これを土産にと欲しくなる品物は遂に見当たりませんでした。・・・パン屋の前には・・・朝は暗い頃から粉雪のちらちら降る零下三十何度という極寒の街路に立ちつくして、三四町の行例(一町は約100m)を作って居た・・・夫が戦場に出た為妻は、夫の代わりに労働して居るのに四時間くらいは毎朝パンを買う為に費やさなければならぬというのです。・・・何か一騒動起こらずば止むまいとは一般の観測だったのです。ところが、果然二月二十七日の朝夜が明けるとペトログラードの街々は一町毎に貼り付けられた大同盟罷工(ゼネスト)の辻ビラに忽ち殺気立って仕舞いました。

(本野外相夫人談 3月18日)
皇后陛下には・・・開戦以来ツァールスコエ・セロ離宮に病院を設け、親しく負傷将士の御看護にいそしみ給い・・・第一王女に渡らせらるるオルガ・ニコラエヴナ内親王殿下には・・・救護事業に携わり、服装等も常の看護婦と異ならないので、或時他の看護婦と一緒に包帯巻を遊ばして居られるのを見て居た兵隊さんが、「貴嬢は非常に包帯巻が上手だが、貴嬢の様な上手な看護婦が戦地に行ってくれるとよいのですが」とほめますと内親王は、「私も戦地へ参りたいと思ってるのですが、父(皇帝のこと)が許しませんものですから」とお答えになった、其の兵隊さんはもとより内親王とは存じませんから「貴嬢のお父さんは馬鹿ですね」と申しましたので、大笑いをなされたと云うことを聞きました・・・この度国内に起こりました政変は・・・ただただ悲しいことと思って居ります。
by itsumohappy | 2006-03-19 11:42 | 歴史・領土問題
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