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2006年 02月 25日

「スターリン批判」50周年

d0007923_17501624.jpg1956年2月25日、ソ連共産党第20回大会の最終日深夜、大会がいったん閉会したところ代議員に再召集がかけられ、フルシチョフ第一書記によるスターリン弾劾演説が行われた。その中でフルシチョフは、53年に死去したスターリンが大戦前に行った同志大量粛清のような恐怖政治を批判し、個人崇拝を指弾した。神格化されていたスターリンに対する公の場での批判に出席者は動揺し、心臓発作を起こした代議員もいたらしい。

この演説は、部外秘で速記もとられなかったので「秘密報告」とも呼ばれるが、その内容はポーランド経由で西側に伝わり、数ヵ月後、米国務省が全文を公表した。
ロシアで演説の全てが明らかにされたのは89年、ゴルバチョフの時代になってからである。

スターリン批判は大変な事件だったようだ。今と違ってネットどころかTVも無いような時代だけに衝撃も大きかったのだろうがちょっと想像がつかない。

スターリン体制を支える一員であったフルシチョフが、裏切り行為ともいえる演説をあえて行った政治的意図は、国内問題にあったとされる。スターリン期から続く農業政策の失敗や粛清等による国民の不満の爆発をさけるため、何らかの方策が必要だったということで民主化が主眼だったわけではない。演説をきっかけに、ポーランドでは暴動が起き、ハンガリーでは人民が蜂起した。ソ連はハンガリーに軍事介入し、自由化運動を阻止した。(ハンガリー動乱)

61年の第22回党大会では、フルシチョフは再度スターリン批判を行い、レーニン廟からスターリンの遺体を撤去することを決定した。フルシチョフは64年10月に失脚したが、スターリン批判による混乱がその一因とも言われる。

ゴルバチョフは、フルシチョフ秘密報告に関して、第20回党大会なしにペレストロイカの理念は生まれなかったと語ったそうだ。
                         (2006年2月17日北海道新聞、19日毎日新聞ほか)

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d0007923_1756569.jpgノヴォデヴィッチ修道院にあるフルシチョフの墓

歴代指導者が眠るクレムリンには葬られなかった。なんだかモダンなデザインのお墓であるが、エルンスト・ネイズヴェストゥヌィという前衛芸術の彫刻家・画家の作品。
フルシチョフは62年、モスクワで行われた美術展に出品されたアバンギャルドな作品を「ロバの尻尾で描いた下らぬ絵」と酷評した。名指しで非難された芸術家その人がネイズヴェストゥヌィ。墓のデザインは共産党の指示だったのかはわからないが・・・。
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by itsumohappy | 2006-02-25 18:12 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
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