2006年 02月 08日

ヤルタ会談 ― ロシアとの領土問題 2

2月8日は、今で言うところの「北方領土」の運命が決められた日。ヤルタ会談(1945年2月4日~11日)の5日目に行われたスターリンとルーズベルト大統領の2人だけの非公式な話し合いで、対日参戦と引き換えに南樺太の返還と千島列島の引渡しなどがソ連に約束された。チャーチル首相も署名したこの合意事項がヤルタ協定である。
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 会談場所のリヴァディア宮殿(ニコライ2世の夏の宮殿)

d0007923_22572667.jpgヤルタ会談は、第二次世界大戦後の世界体制や協調関係が米英ソの指導者で協議されたもので、ヤルタ協定は、46年、アメリカが発表するまで存在が知られていなかった。協定では、南樺太はソ連へ「返還」(shall be returned)、千島列島はソ連へ「引渡し」(shall be handed over)と言葉が使い分けられている。(当時その地域の日本領は、樺太千島交換条約とポーツマス条約により千島列島〔歯舞~シュムシュ〕と樺太の北緯50度以南の部分となっていた)

ヤルタ協定によりソ連は、日本のポツダム宣言受諾直前の45年8月8日、日本に宣戦布告し、翌日満州、南樺太に侵攻した。千島への侵攻が始まったのは、終戦後。北端のシュムシュから歯舞まで順次ソ連軍により占領されていった。当時千島に約1万7千人、樺太に約40万人いた日本人は引き揚げざるを得なかったが、その最中に数千人の人々がソ連軍の爆撃等の犠牲になった。
46年、南樺太と千島はソ連領に編入された。歯舞等4島はサンフランシスコ平和条約で放棄した千島には含まれないとする日本の主張もむなしく、今もロシアは4島を占拠中である。
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会談直後の4月に死去するルーズベルト(中)は判断力が低下していたとも言われる


d0007923_23222751.jpgロシアはヤルタ協定を北方領土占有の根拠のひとつにしているが、当事国の議会の承認もされず、他の連合国すらその存在を知らなかった秘密協定に第3国である日本は拘束されない。のち、56年、日本はソ連との平和条約交渉の際、米英から、ヤルタ協定はポツダム宣言の基礎をなすものではないと回答を得ている。

05年5月、ブッシュ大統領は、対独戦勝60周年記念式典に出席する途上で、(欧州の東西分断も招いた)ヤルタ協定は歴史上最悪の不正であったと発言した。当然ロシアの見解は異なるわけで、歴史認識の相違を埋めるのは容易ではない。そこに領土問題の難しさがあるのかもしれない。

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ヤルタはクリミア半島(ウクライナ)の有名なリゾートで、貴族の別荘などがあったところ。チェーホフ『犬を連れた奥さん』の舞台でもある。(結核を病んでいたチェーホフは晩年ここで療養した)
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by itsumohappy | 2006-02-08 23:26 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
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