1925年12月24日、モスクワのボリショイ劇場で映画「戦艦ポチョムキン」が、血の日曜日事件に始まる第1次ロシア革命20周年を記念して初めて上映された。この時エイゼンシュテイン監督27歳。上映が始まっても、まだ終わりのほうのフィルム編集がすんでおらず、つばでとりあえずくっつけて劇場に運び、辛うじて間にあわせたというすごい作品である。
1925年は、日本では治安維持法、普通選挙法が制定された年である。翌年に、フィルム「戦艦ポチョムキン」は横浜港まで来たが検閲の結果、輸入禁止となり送り返されたそうだ。 日本で初めて上映されたのは1959年になってからで、ソ連などで検閲カットされたものだった。もともと制作当時のフィルムですらソ連は、自国にネガを残さないでドイツにそのものを輸出してしまったというのだからおそろしい。今も各国で、残されたフィルムを探索し、「完全版」を編集する試みがなされているとか。 1959年、日本で初上映されたときのポスター この映画の誕生を記念して24日、神保町で上映会&講演会があった。新藤兼人氏、朝倉摂氏などがこの作品への思いを語っていた。会場となった岩波ビルの1室は満員で立ち見がでるほど。お客さんの平均年齢は67.5歳といったところか。まぁクリスマスイブにポチョムキンを観に来る若者は少ないかもしれない。 無声映画時代にいかに説得力ある表現を追求したか、それを感じてほしいといったことを93歳の新藤監督は話していた。確かに、映像がひたすら垂れ流されていることに慣れきってしまった今日では、この作品の偉大さを十分理解しきれない気はする。 この映画を観るのは2回目だが、オデッサの階段シーンがやはり印象的。不気味に後ろから機械じかけのように近づき市民を次々と殺戮する軍隊と恐怖にかられて逃げ惑う群集とその苦悶の表情、そして滑り落ちる乳母車。映画人ならデ・パルマ監督でなくともこのシーンいただき!と思うだろう。 ロケ地オデッサのリシュリュー階段
by itsumohappy
| 2005-12-24 23:24
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