2005年 12月 23日

元シベリア抑留者最後の訴え

戦後60年経って未だに解決していない元シベリア抑留者の補償問題。今夏、平均年齢を80歳を超えている元抑留者たちが、政府の補償を求め国会前で座り込みをした。参加者は、体力的に今回が最後になるだろうと語ったそうだ。

戦後、旧満州や樺太からシベリア、モンゴル等に移送され強制労働させられた人々は約57万人。その1割が死亡し、行方不明者は4万7千人。「我々は過去最大の拉致被害者」という訴えはもっともだ。先日、厚労省が、今年ロシアから提供された、シベリアから北朝鮮への移送者名簿の公開を検討するという報道があった。(12月16日 朝日新聞)この名簿からは1人しか身元が特定されていない。なんて悲しい話だろう。

東南アジアなど南方からの帰還者は、英米の労働証明により政府から労働賃金相当額が支払われた。対し、ソ連は労働証明を発行しなかったため、労賃を支払うことはできないとされた。しかし、ロシア時代になって近年、労働証明書が発行されるようになったらしい。それでも政府はシベリア帰りの人達に南方組と同様の補償を行わない。

この問題について、国に補償責任はないという最高裁判決が出ており、立法による救済しかない。また、ロシアに対しては、56年の日ソ共同宣言により日本は補償の請求権を放棄している。

今、政府の行っている対策は、「独立行政法人 平和祈念事業特別基金」による慰藉事業。この基金から過去、慰労金(補償金ではない)10万円と銀杯が被抑留者に贈られた。また、新宿の住友ビルの一室にある展示資料館で、強制抑留者の労苦を伝える活動を行っているというのだが、実際その展示室に行ってみると何だか中途半端で、税金が本当に元抑留者のために有効に使われているのか?という印象だった。

この独立行政法人を解散して、取り崩した基金を被抑留者への補償に充てるという法案が民主、共産、社民の議員立法で今年7月、衆議院に提出された。解散総選挙のあおりでいったん廃案になったが、再提出されいちおう審査中になっている。一方で、解散前に与党からも出されていた法案は取り崩した基金の一部から旅行券(!)を支給するというものであった。

生存する抑留体験者は10万を切ったらしい。なぜシベリア抑留者だけ差別されるのか、奴隷の汚名を着せられたまま死にたくない。我々には戦後70年はない。そう訴える人々の声に政府は冷たい。政府は、年月の経過による「自然解決」を待っているのかもしれない。
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by itsumohappy | 2005-12-23 23:04 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
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