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ケストラー『真昼の暗黒』

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アーサー・ケストラー(1905-1983)(右)作。
スターリンによる大粛清の犠牲となったオールド・ボリシェヴィキ(古参の共産党員。オールド・ガード)の悲劇を描くもので、「モスクワ裁判」の犠牲者に捧げられている。この作品は同裁判の3回目(38年のブハーリンの粛清裁判)を題材にしている。

ブダペスト生まれのケストラーは、大学中退後、パレスチナでのシオニズム運動参加を経てフリーのジャーナリストとなった。31年、ドイツ共産党に入党し、コミンテルンの指示でソ連各地を視察。37年、内乱下のスペインで逮捕され、死刑判決を受けるが英国政府に助けられた。モスクワ裁判を機に脱党。『真昼の暗黒』は、40年、反ナチスのかどでフランスで獄中にいる間に、友人による英訳がロンドンに送られて出版された。もとのドイツ語原稿は失われたとされる。
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40年間党に仕えた主人公ルバショフは、「反革命活動に対する自白」を強要され、「犠牲になった者たちの悲しみの声に耳を傾けたこと、彼らを犠牲にする必要性を証明する議論に耳を貸さなかったこと」で罪を認める。スターリン(小説では「ナンバー・ワン」と表記)の独裁体制を固めるための陰謀の犠牲になった人々が、処刑室にひきずられていく様子を、収監者が部屋から部屋へ「壁通信」で伝えていくシーンが怖ろしい。

恐怖政治を暴き、ソ連型社会主義の消滅をいち早く分析した作品として世界的に注目を浴びた。「ナンバー・ワン」の体制とヒトラーの体制はどちらも全体主義国家として同一のものであるとの指摘に、フランス共産党は怒り、フランス語版をすべて買い上げて焼き捨てようとしたという。



【モスクワ裁判】
1936-38年にかけて、革命時代のボリシェヴィキの最高幹部らが「反革命分子」として裁かれた公開裁判。3回行われた。大粛清を正当化し、国内の引き締めをねらったものとされる。犠牲となったジノヴィエフ、カーメネフ(第1回)、ラデック(第2回)、ブハーリン(第3回)らはゴルバチョフ時代のペレストロイカで名誉回復された。


【方形アルファベット】
ケストラー『真昼の暗黒』_d0007923_16252723.jpg5×5の正方形にアルファベット25文字を入れたもの。壁通信の際に使う。この本によれば、「H」を表すには、「2回・3回」と壁を叩く。2回でF-Jの第2列、次の3回でその列3番目のHとなる。 

by itsumohappy | 2016-07-11 19:20 | 文学・本
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