2015年 11月 23日

北方領土問題(3)冷戦のなかで

1951年9月に締結された講和条約には千島列島の範囲が示されなかったが、同年5月に作成された講和条約の米英共同草案には千島、南樺太のソ連への割譲が定められていた。最終案に千島の範囲・帰属先が示されなかった理由のひとつとして、米国に、ソ連に対する利益を明示することを避ける意図があったことが指摘されている。
講和会議ソ連代表のグロムイコは、ソ連の千島領有は正当であると演説で述べ、講和条約への調印を拒否した。

第2次世界大戦終結後、ベルリン封鎖や朝鮮の分断などに見るように、東西の対立が顕在化するなかで、日本がソ連との間に「北方領土問題」を抱えているほうが米国にとって好都合であったとする説は多い。

一方、講和条約に調印しなかったソ連との平和条約交渉は、1955年6月に開始された。交渉を重ねる中で、最終的に日本は、歯舞、色丹、国後、択捉の四島の返還方針を打ち出したが、歯舞、色丹の返還が最終的な譲歩とするソ連と当然ながら折り合わなかった。交渉中断の合間に、重光外相は、米国のダレス国務長官から「日本が千島列島に対するソ連の主権を認めれば、(講和条約第26条に基づき)アメリカも沖縄を占領し続ける」旨の警告を受けたとされる。

ソ連との交渉は、平和条約を締結せずに国交を回復する形で合意され、1956年、「日ソ共同宣言」が調印された。

以降、現在に至るまで、ソ連/ロシアとの領土問題交渉で、具体的な成果(島)は得られていない。冷戦は終結したが、領土問題は解決の糸口のないまま依然残された形となっている。

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【参考文献】
○『日本占領の多角的研究』日本国際政治学会(1987.5)
○原貴美恵『サンフランシスコ平和条約の盲点―アジア太平洋地域の冷戦と「戦後未解決の諸問題」―』溪水社(2005)
○和田春樹『北長谷川毅『北方領土問題と日露関係』筑摩書房(2000)方領土問題 歴史と未来』朝日新聞社(1999)
○松本俊一『モスクワにかける虹―日ソ国交回復秘録』朝日新聞社(1966)
○田中孝彦『日ソ国交回復の史的研究』有斐閣(1993)
○久保田正明『クレムリンへの使節―北方領土交渉1955―1983』文芸春秋(1983)
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by itsumohappy | 2015-11-23 17:32 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
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